たった一つのすばらしい杖
はるかす
課題編
第1章 優等生と問題児
第1話 うれしい報せ
ヘラ・ベルイマン先生がわたしを気にかけてくださる理由の半分は、わたしが彼女と同じ、アカデミーの絶滅危惧種たる魔女だから。
残りのもう半分は、わたしの身体が——あるいは一部の臓器が、ほかの同い年の女の子と比べておどろくほど小さいことに関係しているのだろう。魔法生物学の授業で、十五歳の女の子の
ノックをすると扉はひとりでに開かれた。手前側のソファーからベルイマン先生が立ち上がる。右の
「こんばんは、ホプキンスさん。わざわざ教員館までありがとう。本当は
「こんばんは、ベルイマン先生。お気になさらないでください。先生は担当科目も多いですし、そのうえ今月末の学会に向けた準備もあるのでしょう。わたしは消灯までのあいだ同室の子とおしゃべりをするか、本を読むくらいしかすることがなかったものですから」
ちょうど部屋着に着替えおえたあとに伝達の
それに、ふだんは立ち入りを禁止されている教員館を堂々と見物できる機会なんてめったにない。奥の壁にはめ殺しにされる窓からは、月明かりに輪郭をなぞられる黒い海が見えた。寮部屋のある西館はまったく反対側にあって、それはそれでいまの時期は収穫祭に飾られる町を見おろすことができるから悪くないけれど、せっかく海ぎわの学校なのだから景色は堪能したいところだ。どういうわけか、海辺に面した教室が少ない気がする。
ベルイマン先生はテーブルを挟んだ奥のソファーに腰をおろしながら、わたしにも向かいに座るように手でうながした。
ここは応接室だろうか。そばには暖炉もあるけれど、まだ薪は置かれていない。白塗りの壁は汚れ一つ見つからず、品よく飾られた額縁が海鳴りに揺れている。
あたりを見まわしながら気もそぞろに腰かけたソファーは衝撃的なやわらかさで、うっかり沈みすぎて両足が浮いてしまった。
「……すみません、お見苦しいところを」
「気にすることないのよ。あなたの身体がみんなよりも小さいのは、個性なんですから」
そういうつもりで言ったわけじゃなかったのだけれど、ベルイマン先生が励ますように力強い声を出したから、わたしはうなずく。
「ありがとうございます」
「あなたはとてもすばらしい魔女よ、ホプキンスさん。座学であなた以上に熱心で優秀な生徒はいません。魔法が使えなくてもあなたには勤勉さというだれにも負けない宝がある」
魔法を〝使えない〟わけではない。
ベルイマン先生も知っているはずだった。でも実際、みんなと同じように杖ひとふりで使えるわけではなく、授業では実技だけ免除されている状態なので彼女の言葉も正しい。
「私、あなたのことを応援しているの。だれになんと言われようとめげずに、好きなだけ知識を得てほしい。だから……今日、どうして呼び出されたか見当はついている? そろそろ、ここに校長先生が到着なさるはずよ」
「マクレガー先生が!」
ソファーに腰を捕えられていなければ、とっさに立ち上がっていたかもしれない。
なんとなく灰色の雲のみちはじめていた心に
「先生、それって……でもいいんですかわたし、杖だって使えないのに」
「そのあたりを考慮しても、今年の四年生にきみ以上に優秀な生徒がいないから打診しているのだよ、オードリー・ホプキンスくん」
ベルイマン先生のとなりに、優雅にティーカップを傾ける初老の男性が座っていた。
噂をすればジョン・マクレガー校長先生だ。音もなく現れたことにもおどろいたけれど、宵色にきらめくスーツ、角度を整えられた口髭ときて、整髪剤に艶めく黒のオールバックの上にはちょこんとナイトキャップが乗っている。学期の節目や行事の際にしか見ない彼はいつでも紳士然としていたはずが、ちょっと……正直なところかなり、印象が変わりそうだ。
ごほん、とベルイマン先生が咳払いした。
「校長先生、部屋には扉から入るのがマナーです。それから御髪になにかついてますが」
「おや失礼」
ジャケットから黒曜石色の節くれだつ杖を抜いたマクレガー先生は、ねじれる先端をナイトキャップに添えるとしゅるしゅる吸いとった。多少乱れた髪を撫でつけたあとで、改めてわたしを見る。
「決してこの場を忘れて眠ろうとしていたわけではないと言及しておこう。さてオードリー・ホプキンスくん、確認するがきみは来年度の国導課程に我が校の代表として参加することをいまも希望しているかな」
「はい、もちろん、もちろんっ!」
毎年、五年生になる希望者のなかから優秀な男女が一人ずつ選ばれるという。彼らはほかの学校から同じように選ばれた生徒たちとともに、一年をかけて各国の魔法学校をめぐりながら現地の魔法教育を受けられる。
入学したての春、その年に選ばれた男女のための激励パーティーがあった。主に同級生が集まるものらしいのでわたしは出なかったけれど、そのときはじめて『国際魔導士課程』——国導課程と呼ばれるものがあると知ってから、どれほどこのときを夢みただろう。
国際魔導士を目指す人たちは、資格を手に入れるために当然希望するだろう。競争率は桁違いだ。
四年生になってすぐに希望届を出した。
それから音沙汰のないままだったので、やっぱりだめだったのだろうと諦めかけていたところだ。
「では……ではわたし、来年度の国際魔導士課程に参加できるんですか!」
おもむろにティーカップの底を見せつけられる。その
静かにカップを置いたあとで、マクレガー先生はずぶずぶと背もたれへと沈みこみ、浮いた足をあくまで優雅に組みながら扉を見やった。
「……ところで、あともう一人ここに呼んでいるはずなんだが。クォルツ・フテルクくんはいったいどこでなにをしているのだろう」
聞き覚えのない名前だった。
「男子生徒の代表ですか?」
「まさか。来年度、我が校の代表に男子の候補者はいない。希望者はわんさかいたが」
妥協して恥を晒すよりは賢明だろう、とマクレガー先生は口髭の片側を持ち上げた。
「大方予想はついていたと思うが、きみには国導課程参加のための課題を用意している。彼にはこれを手伝ってもらおうかと思っていてね。ちょうど、進級課題にもなる」
「進級……」
「彼はサボり魔でね、今年度はまだ一度も授業に出ていないんだ。まあ、きみ一人で解決してもいいが、もしよかったら彼に伝えてやってれないか。課題に落ちれば退学だと」
「た、退学!」
まるでわたしが退学通告されたみたいに目の前が回った。
クレメール魔法アカデミーは、国の名前を冠するだけあって国内随一の魔法教育機関だ。狭き門をくぐるためには並外れた知識と魔力、そして莫大な学費を納める経済力だって必要とされる……一部例外をのぞいて。
誰でも簡単に入学できるようなところじゃない。そして、努力に見合うだけの知識がここでは惜しむことなく与えられる。
おせっかいなのは承知だけれど、四年生なんて中途半端なところで退学させられてしまうなんてあまりにもったいない。
「……わかりました。わたし、なんとしてでもフテルクさんと課題を達成します!」
力んで宣言した、そのときは彼を説得することがそう難しいものとは考えなかった。
むしろそのあとに聞かされた課題の内容のほうがよっぽど難問のように思えて——
クォルツ・フテルクという問題児を甘く見すぎていた。
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