第39話 わたしの杖
ベルイマン先生は金縁のモノクルを落としてしまいそうなほど目を見ひらいて言った。
「……では杖狩りの正体はフテルクくんで、彼は杖の密売組織から生徒たちを守るためにここ数年ずっと授業に出られずにいたと?」
「ええそうなんです。彼は本当に優秀な魔法使いで、入学してすぐ組織の存在に気がつくとその責任感の強さからたった一人で……」
実際のところ、クォーツが杖売りの情報を手に入れたのは今年の夏ごろで、それまではサボりついでに傷痕の調べものという具合だったらしい。サボリ魔はまさしくサボり魔だったわけだけれど、そこは念入りに伏せる。
クォーツはといえば、いやがるところをどうにか教員館までひきずってきたはいいものの、案内された応接室の壁ぎわでじっと置物のようになっている。わたしの対面にベルイマン先生とマクレガー先生が座っているために、呼びかけても顔も向けてくれない。
彼なりに心情の変化はあったようだけれど、根付いた教授嫌いは簡単にはなおらないらしい。
「私はおおむね賛成するよ」
肘かけに頬杖をつくマクレガー先生が、口髭を傾けた。今夜の彼の頭にナイトキャップは乗っておらず、一挙一動が様になっている。
「魔臓が二つあるということ、他人より魔力量が多いという事実をどう受け止めていくか、クォルツ・フテルクくんを素敵な大人に成長させるための鍵はきっとそこにある」
わたしは思わずマクレガー先生とうしろのクォーツとを見比べてしまった。先生はウインクでもしそうな親しみのある視線を送っているけれど壁ぎわの置物は微動だとしない。
「知っていたんですか……魔臓の」
「春の健康診断は毎年欠席だがね、オードリー・ホプキンスくんも入学前に健康診断書を提出しただろう? 当時の記録ではあるけれど彼の魔臓はキウイ一個と、スイカ一玉」
キウイ一個が彼の魔臓なら、十二歳の男の子としてはだいぶ小さい。スイカ一玉は大きすぎる。
どうやら教員の全員がそのことを知っていたわけではないようで、ベルイマン先生はいよいよモノクルを落っことした。ソファーから落ちて足もとに転がったそれを優雅な仕草で拾い上げたマクレガー先生は、いったん彼女に返したあとでまたわたしに顔を向けた。
「国導課程に参加して世界を見てまわるということは、彼にとってかけがえのない経験になるだろう。だがどうきみに
つまり抜け道を探せということだ。
もちろんこちらだって、クォーツが正式に国導課程への参加を許されると考えていたわけじゃない。どうにかして二人で参加できるよう、願い出る口実を用意してきている。
ちらと置物に目をやれば、そこではじめて青い瞳はわたしのほうを見やった。
「……他国からの参加者には貴族の方もいらっしゃるのですよね。彼らは特別に従者をつれていくことを許されていると聞きました」
「クォルツ・フテルクくんを従者としてつれていくつもりかい」
「ええ、そうです」
深く、息を吸った。
暖炉がぬるくする空気をお腹のあたりにしばらく溜めたあとで、ゆっくりと吐き出す。
わたしは
「わたしはこの通り、杖を持つことができません。魔法式の計算で魔法を使うことは可能ですが、どうしても時間がかかってしまう。課題を通して、とっさに杖をふるえないことの不便さをあらためて痛感したんです」
「ホプキンスさん……」
ベルイマン先生が気づかわしげに名前を呼んでくれる。灰がかる緑色の瞳を、わたしはまっすぐに見つめ返しながら言った。
「ベルイマン先生のおっしゃるように、わたしの武器は知識だと思っています。ですがときに、それだけではどうしようもない事態もある。もちろん誰の足場も等しく揺るがすものですが、わたしにとっては大きな地震です」
薪の爆ぜる音も、海鳴りもどこか遠くて、部屋に反響する自分の声だけが鮮明だった。
「だからわたしはフテルクさんに同行してほしい。共に手を取れる、わたしの杖として」
▼
月の照らす庭園を西館まで歩きながら、クォーツは言葉を探しているようだった。
見つけ出す前に着いてしまわないよう歩調をゆるめると、彼の足もゆっくりになる。
夜の影のなかいっそう色を濃くする庭木の輪郭をながめながら、ベンチに誘うべきかと迷っていると、ようやく声をかけられた。
「……謝るのは、ちがう気がする。でも、あんたはもともと一人で行くつもりだったわけだろ。ああいうことを俺のために言わせたってのは、やっぱり謝るべきな気もする」
思ったとおり……思ったよりありのままな言葉で、わたしは喉のところで笑った。
「どうしてわたしとクォーツが組まされたと思う?」
彼は怪訝そうに眉を寄せる。参加課題と進級課題、たんに時期が重なったから一緒にされたのだろうと言いたげだ。それもきっと正しくはある。
「……国導課程に杖なしで参加することに不安がなかったわけじゃないの。でも、言い出せなかった。みんながたった一人で挑むのに、わたしだけちがったらずるいと思われてしまいそうで」
吸いこんだ冷たい空気を、ぐっと詰める。
耳の奥でレディの泣き声がよみがえった。
「でも課題のあいだ、杖があったらと思うときが何べんもあった。あなたにたくさん助けられたわ」
「俺のほうがオードリーに助けられた」
「それはそうかもしれないわね」
目配せをする。わたしたちのあいだにあった緊張が、ようやくいくらかほどけた。
「しいて言えば、わたしにああ言わせたのはマクレガー先生よ」
聡いひとだ。
わたしとクォーツの相性の良ささえ見抜いていたのかもしれない。
「謝るのはやめるけど、礼は言わせてくれ。これで俺も、外に出られるようになった」
「……黒の森での一件はきっと枝葉みたいなもので、あなたの追い求めているものはこの大地にもっと広く、深く根ざしている。ウィリアム=ディケンズが神樹の在処にアカデミーを考えているのなら、国導課程の最中で出会えるかもしれない」
課題はこれでおわりだけれど、彼の問題は解決していない。
一蓮托生と指きりしたからには、ちゃんとそばにいてあげないとわたしの杖もぽっきり折られてしまう。
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