第10話 たまごのような

 これまでふいにしてきた授業はたしかに彼の知識に穴を作っていたけれど、授業態度を見ればクォルツ・フテルクはむしろ品行方正な生徒だった。


 理解の不十分なところを見つけて、みずから積極的に尋ねにくる。意外なようで、そういえば《矢避けの風》のときも同じように質問をしにやってきたのだった。


 勤勉とは口が裂けても言えないけれど、知ることには人一倍貪欲だ。もしかしたらこういうひとが研究者になるのかもしれない。


 それでも、頑として先生には教えを請わないのが彼の教授嫌いの筋金入りなところだ。なんでもかんでもわたしに聞くので、いったんわたしから先生に尋ねて、それからクォーツに教えるなんてこともある。


 レディは哀れそうなまなざしを向けるけれど、じつはなかなかいい刺激をもらっている。


 彼の視点はわたしにはないものだ。


「はあい、授業をはじめます」


 魔法生物学は三年生まで必修で、四年生からは選択科目になる。わたしとしては今年度イチオシなのだけれど、生徒数は少ない。


 本館で一番小さな教室には、机と椅子の組み合わせが二十ばかり並んでいるが、その半分ほども埋まっていない。顔ぶれは必然的に少数精鋭といったかんじだ。クォーツが偶然にも履修者だったかといえばそういうわけでもなく、そもそも彼は年度始めの履修登録をすっぽかしていた。しかし彼は、初回からずっといたような顔をしてしれっと紛れ込む。


 海を渡った向こうのフェリシテ出身のクラハ・トマ先生は、授業のあいまにときどき母国の話をしてくださる。珍しい生き物と触れ合えるのももちろん魅力的だし、彼女から外の話を聞くのも大好きだ。この教室で誰よりも授業を楽しんでいるのがわたしだと、自負している。


「さっそくだけど、みんなこっちに来て」


 古びてぼんやり白んだ黒板の前、低い教卓の上にトマ先生は両腕に抱えていた大きな青い卵のようなものをそろりとおろした。


 席を立って近くで見てみれば、表面に卵のつるりとした光沢はなく、ざらざらと繊維質だ。大きさはわたしの胴体と同じくらいだろうか。巨大な糸玉のようだけれど、魔法生物学なのだからこれも生き物なのだろう。


 真上に顔を持ち上げれば、興味深そうに眉を傾けていたクォーツと目があった。


「これがなにか、知ってる人はいる?」


 みんな難しそうな顔を見合わせるだけで、手を挙げる人はいない。トマ先生はいたずらに成功した少女のような笑みをこぼした。


「ヒント、これは繭玉。中には四つの魔臓と……みんなもよぉくお世話になっているあの子がたくさん詰まっているわ」


 四つの魔臓という言葉がふと記憶にひっかかる。わたしはおそるおそる手を挙げた。


「もしかしてパピヨン、ですか?」

「正解よ、ホプキンスさん! この繭玉は、正確には蝶玉ココと呼ばれるものなの。私の母国フェリシテは、蝶玉ココからとれるパピヨン産業で栄えたから、蝶は国旗にもなっているのよ」

「でも、たしか蝶玉ココって白いはずじゃ……」


 教科書で見たことのあるそれは、雪のように真っ白だった。


 けれど目の前に鎮座する蝶玉ココは染めたように見事な藍色をしている。


「……藍の聖樹のそばにあったんじゃないのか」


 ふと呟いたのはクォーツだった。

 周囲から強い視線が集まるのも気にせず、彼はわたしを見おろして確認するように言う。


「生意気にも魔臓が詰まってるんだろう、こいつ。四つの中に藍の聖樹の加護を受けたものがあったなら、なんらかの影響を受けて色が変わるってこともありえるんじゃないか」

「ハハ、『なんらかの影響』! 無理して頭の良さそうなこと言って、また留年しそうで焦ってんのか? 大丈夫だって。どうせ実技で点数とれんだから、天才魔法使いくんは」


 クォーツがなにか言うより先に、わたしはその男子生徒を睨みつけていた。


 きつくきつく、授業中だから怒鳴りつけてやれない鬱憤もこめて、目から火が出るんじゃないかというほど睨みつけた。


 彼はすぐに「さえぎってすみません先生」とわたしから視線を逃す。


「『なんらかの影響』という言い方のどこがそんなにおもしろいのか、先生詳しく知りたいわね。私たちアカデミーは何百年も魔法の研究をしているのに、いまだ女神さまから与えられた魔法式を通してでしかその仕組みを理解できないのよ。あなたが得意げに使うだろう初級魔法だって、本当の意味では『なんらかの影響』でしかないことをご存知?」


 お腹の底にうずまいていたことをすべて言い放ったあとで、先生はわたしにウインク。


「それからフテルクくん、正解よ! これは私の地元の藍の森で見つかった蝶玉ココなの!」


 トマ先生はわたしの頭上にもウインクをした。


 むしょうにうれしくって、背後のクォーツをひじで突くと背中をつつき返される。


「こちらだと完全に養殖だから真っ白なものばかりだけれど、あっちだとまま見つかるものなのよ。かわいいわよねえ、蝶玉ココ。見た目はこんな小燃費だけれど、中身は工場さながらよ。猛烈な勢いでパピヨンを生成して、朝と夜とにかばっと吐き出すの。ものすごい魔力を秘めてるんだから敬意を持って触れてね。そのあとでスケッチをはじめましょう」


 この授業に人が少ないのって、スケッチタイムが原因の一つにあるのかもしれない。トマ先生は基本的にはお菓子みたいにふわふわで優しいひとだけれど、スケッチの描き方にはとんでもなく厳しいから。


 でもこればかりは才能というか、努力じゃどうしようもないところだと思う。


 提出してはつき返されをくりかえしたわたしは、時間ぎりぎりの七回目でようやく合格をもらえた。


「クォーツって絵がうまいのね」

「あんたが絶望的すぎるんだ。絶望的というか前衛的だな。そういう画家になれそうだ」


 授業のあと、並んで廊下に出ながらわたしたちは同時に肩をすくめる。


「そういえば変なのに絡まれていたわね」

「ああ、兄弟がもともと俺と同学年だったんじゃないか。懐かしい呼び方をされたな」

「天才魔法使いってやつ?」


 まじめな顔してうなずくものだから、たまらずふきだしてしまう。


「落ちたものね」

「べつに俺は変わってない。授業だって最初に一度出たきりだ」

「初回ってほとんど自己紹介でおわるはずじゃない。どうして」

「なにか魔法を使えと言うから、吹雪を起こしたんだ」


 雪化粧された庭園が脳裏をかすめた。


 それからふとお昼休みのクォーツの言葉を思い出して、はっとして目を吊り上げる。


「……あなたを怪物と言った人がいたのね、信じられない。過去に戻ってぶんなぐってやりたい!」

「あんたって感情移入が激しいよな」


 クォーツは悲しむでも怒るでもなく、ちょっと愉快そうにわたしを見やったかと思うと、すぐ正面を向きながら言った。


「今度の休日、空いてるか」

「休日? その日って」

「ああ、収穫祭。デートしないか」

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