【番外編】クマを贈るということ
冬休みの長期休暇のあとは、アカデミー全体がなんとなく浮き足立つ。とくに四年生。
久しぶりに友達に会えるというのはもちろん、年度が変わったその晩に開かれる国導課程激励パーティーにどんな装いをして行くか、気になる子をパートナーにできるか、せめて会場で踊ってもらえるか——そんなことで頭も心もいっぱいになっている。
べつに、パートナーがいないと参加できないなんてことはないけれど、となりに決まった誰かがいるというだけで身にまとう衣装が何倍にもよく見えるものだ。
どちらかに恋人がいなければ、国導課程に選ばれた男女はパートナーを組むものらしい。厳密にはちょっと異なるけれど、来年度のクレメール魔法アカデミー代表として、わたしとクォーツもパートナーの約束をした。
わざわざ公言してないけれど、周りもそうとわかっているはずだ。それなのに、休暇明けくらいからパートナーの申し込みが絶えない。彼が正式な代表でないから、強引に押せばチャンスがあるかもという下心を全面に表した男の子たちが、おおげさでなく辟易してしまうくらいの勢いで詰めかけてくる。
なかには、そういう押せ押せでないひともいた。グラハムくんとか。純粋にわたしと交流を深めたいんだなとわかるひとは、丁寧にお断りすれば二度三度と誘われることはなかった。
問題なのは国導課程代表のパートナーという、アクセサリーが欲しいひとたち。本当にしつこい。一人で歩いていれば必ずと言っていいほどに絡まれるし、女友達といてもあまり効果はない。クォーツがとなりに立ってくれてようやく、気を抜いて過ごせるのだ。
だからと言って頼りきりでいるのもよくない。
「だからって、いまの時期一人になるのはやっぱり危ないよ。かなしいことだけど、うちには魔女を下に見ている男子も多いんだから」
なにかあってからじゃ遅いよ、と。優しげな声のなかに、ちょっと厳しい色が混ざる。
たしか同じ学年の、ユリウス・ミラーくん。あまり話したことはないけれど、トマ先生の魔法生物学で一緒だったはず。まじめに授業を受けるひとだなぁ、くらいの印象だったけれど、廊下を一人で行くわたしが危なっかしいからと声をかけてくれたのだから、優しいひとだ。
「毎回フテルクくんに声をかけるのがためらわれるなら、僕に頼ってくれてもいいから」
「ありがとう、あなたって本当に優しいのね。これまであまり話す機会がなかったのがもったいないわ」
素直にそう告げれば、ミラーくんは八重歯を見せてはにかんだ。
「僕のほうは、じつは前から話をしたいと思ってたんだ。でもその、フテルクくんがとなりにいると、なかなか声をかけづらくて」
「仏頂面というか、ちょっととっつきにくいように見えるけれど、話してみると意外と冗談を言ったりもするのよ」
「うん。君の前ではよく笑うよね。たぶん僕、ホプキンスさんに話しかけたいのがバレて牽制されてたんだと思う。ウルデリア地方の男子は嫉妬深いって言うし」
思わずぱちぱちと瞬きをする。
「そうなの?」
「有名な話だよ。あ、いや、僕もウルデリア出身だから知ってるだけなのかな……。ウルデリア男は愛情深くて、そのぶん嫉妬心が強い、そんなふうに地元では言われてたよ」
「ふうん、おもしろいわね。クォーツがそんなふうに嫉妬するところなんて想像つかないわ」
いつでも飄々としていて、取り乱したところなどほとんど見たことがない。
けれど愛情深いというのはうなずける。家族のこともとても大事にしているし、友人であるわたしに対してだって、憎まれ口を叩きながらもやっぱり親切だ。恋人ができたらさぞや大切にするのだろうし、ウルデリア男らしく嫉妬もするのかもしれない。
……なんとなく、おもしろくない。
「そうか。君のほうがその認識なら、まだ僕にもつけいる隙はあるってことかな」
妙なことを呟いたミラーくんは、ふと杖を取り出して《秘密のかばん》を開いた。そこからひょいと飛び出してきたものを手のひらに受け止めて、そのままわたしに差し出してくる。
「わっ! かわいい、クマ!」
思わずひろげた両手のひらに、ラッピングされたクマのクッキーがちょこんと乗る。透明な包装のなかで、赤いマフラーを巻いたおちゃめ顔がこちらをのぞき上げた。
「帰省のおみやげ。ウルデリアは、年末年始にクマのモチーフのものがたくさん出店に並ぶんだ。母さんから押し付けられて大量に余ってたやつだけど、よかったらもらって」
「えっ、いいの? ありがとう!」
動物のなかで特別クマが好きというわけではないけれど、キャラクターになったクマのかわいさは万国共通じゃないだろうか。こんなにかわいいもので溢れるなんて、ウルデリアはいいところだ。
「あ、教室に着いたわ。ミラーくんは、つぎの授業は?」
「僕は三限は取ってないんだ。じゃあね」
さらりとそう告げて、ミラーくんはこれまできた廊下を戻っていった。なんてことだろう、彼はただわたしを心配して、用事もない道をこれまで同行してくれていたのだ。
ʕ•ᴥ•ʔ
「一つ忠告すると、あんたは本気の下心におどろくほど鈍感だ」
「本気の下心?」
「つまりあんたに恋していて、近づきたいと思っているやつらだよ。よく知らないやつにまでそんなふうに甘い態度をとっていたら、ひどい勘違いをさせることになるぞ」
お昼休みになって、クォーツと食堂で肩を並べたところで、そういえば彼とミラーくんは同郷だったと思い出した。ポケットからクマのクッキーを取り出して話をすれば、予想外に真面目な顔をしてそうたしなめられる。
「おみやげくらいで、おおげさよ」
「どうかな。あんたはウルデリア出身じゃないだろ。この時期に男が女にクマのものを渡すのがどういう意味になるのか、知らない」
思わず、手のなかのかわいらしいクマと見つめあう。
「どういう意味になるの?」
「愛の告白」
「えっ!?」
「まあ最近じゃ、義理クマだとか友クマだとか言って、世話になったってだけのやつにも渡すらしいけど」
「なんだ……びっくりさせないでよ。それじゃあやっぱり、ミラーくんはただおみやげとしてくれただけよ。そもそも、今日会ったのだって偶然だったのよ」
クォーツはクマのクッキーを見おろして、ふん、と鼻を鳴らした。
「だろうな。そいつに特別な意味なんかない」
「そうよ。もう、妙なことを言うからなんだか食べづらくなっちゃったじゃない」
ネンネとお茶するときのお菓子にしよう。そう決めて、ポケットにしまいなおした。
それにしても、クォーツが嫉妬だなんてやっぱり想像がつかない。彼と一番仲良しなのはわたしだって思っているけれど、いまだって眉一つ動かさないし、話が終わるやいなやさっさとホットサンドにかじりついている。
べつに妬いてほしいわけじゃない……心のなかでそう呟く声が、自分自身に言い聞かせているみたいで、なんだか居心地が悪い。
大口を開けてクロケットパンにかじりついた。
ʕ•ᴥ•ʔ
その日の真夜中だった。
まぶたの向こうが眩しくて、そっと目を開けると、鼻の頭に
『オードリー
凍える前にさっさと出てこい。
Q.F.』
一気に目が覚めた。
下のネンネを起こさないように慎重にベッドのはしごをおりて、見回り妖精に見つからないようそろりそろりと寮を抜け出す。
急に呼び出すなんて、なにかあったにちがいない。神樹が燃えてしまったことで、もしかしたら彼の体調に問題が出るかもとおそれていたのだ。もしそうだったらどうしよう。
「来い」
玄関を出たところで、すぐに手を引っ張られて寮の裏側まで連れてこられた。
不意に立ち止まられて、背中にぶつかりそうになる。けれど彼がふり返るほうが先で、わたしはクォーツの胸——ではなく、なにやらもふもふとした柔らかな感触に顔を受け止められる。
思わずぎゅっと抱きとめてしまった。うっかりすると地面についてしまいそうなほど大きくて、ずっしり重たくて、肌触りのいい毛がふんだんに頬を包みこむ。そっと身体から離してたしかめると、さえざえとした月明かりが青色のつぶらな瞳を二つ照らしだした。
ふさふさは赤みの強い茶色で、まんまるの耳が左右についている。大きな楕円の鼻。首もとで結ばれた、ハシバミ色のリボン。くったりおろされた手足には肉球の刺繍があった。
「わあ……! テディベア!」
思わず、もう一度抱きしめる。
「どうしたのこれ、クォーツ!」
「街で買ってきた」
「いま行ってきたの? どうして急に」
「そんなことより、もらってくれるのか」
そんなのは当たり前だ。クォーツから渡されたクマを、わたしが受け取らないはずがない。義理でも友でも、なんでも大切にする。
大切にする、けれど。
「もちろんもらうわよ、ありがとう! でもこの子、どんな意味が込められているの?」
あんな話を聞かされたあとでは、どうしたって気になってしまう。義理でこんなに大きなテディベアは渡さないだろう。
「友達にテディベアを贈るもの?」
「俺だったら贈らないな」
平然と首を横にふってみせたあとで、クォーツはやれやれとおおげさに肩をすくめた。
「またこの話で揉めるか? 俺たちは友達なんかじゃない。あんた、おばあさんに俺のことなんて紹介したかもう忘れたのかよ」
——かけがえのないひと。
そうだ、わたしはおばあちゃんにそうクォーツのことを紹介したのだった。
そうしていま、彼も同じように思ってくれていることをこうして表してくれた。
「な。ちゃんと意味がわかって受け取るほうがいいだろ。大事にしがいがあって」
テディベアの頭に顔をうずめる。
またからかわれそうなほど赤くなってしまっているのがわかっているから、今夜は眠るまで、柔らかなテディベアのなかに頬を隠した。
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