第22話 おばあちゃん

「あら、明日って話じゃなかったかしら」


 帰ってきたおばあちゃんは、迎えに出たわたしを見るなりきょとんと目を丸くした。


 その背は大人の男性の平均よりはるかに高くて、わたしも、クォーツまでもが餌をほしがる小鳥みたいに首を持ち上げることになる。ピンクと白の混ざる結び髪、雪の積もったように真っ白なまつ毛、穏やかそうに垂れ下がった眉——わたしとはなにもかもちがうようでいて、瞳は同じハシバミ色だ。


 クォーツはとっさに言葉がでないようだった。あんぐりとしておばあちゃんを凝視したのち、わたしに物言いたげな視線をよこす。


 それもそのはずで、今年でちょうど六十歳になるおばあちゃんだけれど、見た目は四十代ほどである。アカデミー時代の友人から定期的に届く美容薬が若さの秘訣であるらしい。


「今日って送ったはずだけど、よく確認していなかったからまちがえてしまっていたかも」

「いいえ、言われてみれば今日だったような気がしてきたわ。ごめんなさいね、なんだか最近ぼんやりすることが多くって……あらやだ、調べものを散らかしっぱなしにして出かけてしまったのね恥ずかしい。せっかくオードリーがお友達をつれてきてくれたのに」


 もともとおっとりとしたところはあったけれど、締めるところは締めるというか、芯のところはしっかりしたひとだったはずだ。


 なんとなく彼女らしくない。

 漠然とした不安がわきたって、おばあちゃんの手を取る。わたしより大きいにはちがいないけれど、以前よりも小さく感じられた。


「大丈夫? 具合が悪かったりとか」

「ぴんぴんしてるわよぉ。ひざはね、痛めてしまっていたけれど、いまはこの通り」


 揚々と足踏みをしてみせたおばあちゃんは、すぐに「いたた」と声を漏らす。


「おばあちゃん!」

「冗談よ、冗談。もうちゃんと治りました。さあほら、ええと、あなたはオードリーの彼氏くん? オードリーったらやっぱりホプキンスの女の子ねぇ。面食いなんだから」

「か、彼氏というわけではないけれど」


 クォーツとわたしの関係を表すには、どんな言葉が適切だろう。散々考えてはみたけれど、これという名前はつけられなかった。


 ただ、たしかなことがある。


「かけがえのないひとよ」


 満足いただけたかしらとクォーツをうかがえば、彼はにっと笑みを返してくれた。

 ようやく及第点らしい。


「はじめまして、クォルツ・フテルクです」

「クォーツあなたって敬語が使えたのね」


 心底おどろいたのだけれど、爽やかな好青年といったほほえみ(そんな外行きの笑顔を作れることすら予想外だった)のまま視線で圧をかけられたので、そっと口を閉じる。


「オードリーさんにはいつもお世話になってます。今日は魔法生物学の課題のためこちらにお邪魔させていただきました。突然の訪問すみません、これよかったら食べてください」


 クォーツの手に紙袋が現れた。

 王都名物『王様のとんがり帽子』。チョコレート、バニラ、アップルベリー各二つ入り。

 馬車の乗り換えのとき? いつの間に。


「あらあらあらあら」

「待って待って待って、おばあちゃん! わたしも食べたい! わたしも食べる!」

「わたしがもらったのよぉ」

「お茶とお皿を用意するから! ね、いいでしょう、みんなで食べましょうよ。『王様のとんがり帽子』、ずっと気になっていたの」


 思わず甘え声でねだってしまったわたしを、おばあちゃんはくすくすと笑った。


「それじゃあおばあちゃんはアップルベリー味。クォーツくんはバニラとチョコとアップルベリー、どれがいいかしら」


 テーブルの上の本たちを棚へと泳がせながら、おばあちゃんがたずねる。


 クォーツは「では僕もアップルベリーを」と答えてから、ちらとわたしの顔を盗み見て、堪えきれずといったようにふきだした。


「ふ……気が変わりました。やっぱりバニラにします」

「いいのよ……本当にアップルベリーが食べたいのなら、公平にじゃんけんをするから」

「オードリー……お客さんには好きなものを選んでもらいなさい。まったくこの子は」


 結局わたしとおばあちゃんがアップルベリー味、クォーツはバニラ味のとんがり帽子をお皿に乗せてテーブルに向かい合うことになった。


 湯気の立つ花茶でのどを温める。湿った鼻をすんと鳴らして、わたしは話しはじめた。


黒の猟犬ブラックハウンドの暴走があったじゃない。結界が破れていたのはともかく、なにか彼を刺激した原因があるのかもと思って。そのあたりのことを調べてレポートにまとめたいんだけど、ここ数ヶ月の森のようすについて、なんでもいいから話を聞かせてくれると嬉しいわ」

「そうね……司祭様は、森にこれといった異常はないとおっしゃっていたけれど。結界の破れから入った誰かが、あの子に意地悪をしたのかも」

「そのくらいじゃ正気を失ったりはしないわ。あの子は賢い子だもの。司祭様よりおばあちゃんのほうが、森については詳しいでしょう。このところなにかおかしなことがなかったか、聞かせてほしいの。見慣れない足あとがあったとか、木が荒らされていたとか」


 足を悪くしてしまっても、彼女は毎日欠かさず陣を刻んでいた。森の中のわずかな違和感に、彼女ならば気づけるはずだ。


 しかし返事はかんばしくなかった。


「そうねぇ……」


 『王様のとんがり帽子』にうつむいて、小皿に添えられたフォークを持ち上げる。


 そしてはたと、彼女はつぶやいた。


「あらま、わたしったらこんなこじゃれたもの、いつ買ったのかしら」


 のどが詰まったように声が出なかった。

 うっすらと感じていた、けれど信じたくなくて目を背けていたことが突き付けられる。


「僕が買ってきたんですよ。いきなりお邪魔するわけですから、なにか手土産でもなければ失礼かと思って」


 クォーツが取りなして、彼女は「そうだったわ」ときまりが悪そうにうなずいた。


「おばあちゃん……わたしやっぱり森に帰るよ。足もまだ万全じゃないんでしょう? 管理人の必修も、今年で取りおえるし——」

「なに言ってるの! ぜったいだめよ!」


 悲鳴のような声に遮られる。


「オードリー、わたしは大丈夫。大丈夫だから、そんなことを言わないで。あなたはせっかく、国導過程に行けることになったのでしょう。ずっと行きたいと言っていたじゃない。わたしはあなたの、そんなささやかな夢まで奪えない……奪いたくないのよ」

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