第3話 はじめまして
翌朝起きて部屋を見回したが、特に変わったことはなかった。変な臭いも、手形も足形もついていないし、髪の毛が落ちているということもない。
「……夢やったんかな」
見つけたマスキングテープの柄が柄だ。そういう連想から夢を見たのかも知れない。
「まあ、ええか」
何となく、
「行ってきます」
と一声かけて、俺は部屋を出た。
総務で、部屋を探してくれた社員に声をかけた。俺よりも少し年上の山本さんという社員だ。
すでに挨拶は済ませているし、礼も言ってある。
「山本さん、あの部屋って何か出るとかってことは、ないですよね」
山本さんはキョトンとしたように俺を見て、首を傾げた。
「ええっと、ゴキブリとかネズミとか出ましたか?」
「いや、それは大丈夫です」
「空き巣?」
シラを切っているようには見えない。
「実は……」
俺はガリガリという音が聞こえたところから、足の幽霊が布団の周りを歩いていたような気がするというところまでを語った。
山本さんはじっと俺の顔を見て真剣に聞いていたし、周囲の社員も、いつの間にか真剣に聞いていたらしい。
「事故物件とか、何かいわれのある部屋ってことはないですかねぇ」
「いやあ、そんなことは……」
山本さんたち総務部の皆は、どうしようという感じで顔を見合わせ、戸惑ったように言う。
「気のせいとかじゃないですか。不安からそういう夢を見たりしたのかも……ねえ」
「うん、そうそう」
彼らは一様にそう言い、俺も自信がなくなってきた。
「まあ、不動産屋さんはそんなことは言ってなかったし、ちょっと様子を見るとか。代わりの部屋っていうのもそうそう見つからないんで。家賃がもっと高くていいならあるそうですけど」
「いや、給料を考えるとあれが精一杯ですよ」
俺がそう言うと、全員が納得するように頷いた。
「まあ、そうですね。様子を見てみます」
そう言われ、俺は総務部を後にした。
その日もやっぱり残業で遅くなり、半額弁当を家で食べた。
大阪と東京。言葉も違えば、考え方なども変わる。雑談も立派な商談の第一歩なのだが、その第一歩がこれまでのようにいかないで、気を遣う。
大阪弁を面白がる人もいれば、嫌う人もいるのだ。なるべく標準語を喋ろうとしても、どこかイントネーションがおかしくなり、そこに気を遣えば中身に集中できない。
「関東の支社には関東の人間を配属した方がええって」
ぼやいて、風呂が沸くのを待ちながらちゃぶ台に顔を伏せ、いつの間にかそのまま寝てしまった。
どのくらい経った頃か。肩を叩かれたような気がして俺は起きた。
「寝てへん、寝てへんからな」
反射的によだれを啜り、辺りを見回す。
そこで、俺に手を伸ばしている半透明の人物が見えた。
「──!」
足下を見ると、昨日見た白い足と同じに見える。そこからだんだんと視線を上げていく。黒いパーカーとジーンズで足は裸足の、若い男だった。無表情で顔色が悪いのは、幽霊だからだろうか。
お互いに目を合わせて、凍り付いたようになっていた。
「あ……どちらさん?」
幽霊は小首を傾げた、ように見えた。
「えっと……」
言葉を探していると、風呂が沸いたことを知らせる電子ボイスが流れた。
「お風呂が沸きました」
おお、そうか。
「もしかして、風呂がもう沸くって教えてくれはったん?」
幽霊はちょっと視線をさまよわせてから、こっくりと頷いた。
「おおきに。かぜひくもんなあ。ちょっと風呂入ってくるわ」
俺はいそいそと風呂場へ向かった。
洗濯機に着ていたものをぽいぽいと放り込んで、スイッチを入れて風呂に入る。
体を洗って湯船に浸かり、そこで溜め息をついた。
「どうしょう……」
幽霊に会ったのは初めてだ。
様子を見ようと言ったが、これはどうすればいいのか。
「でも、向こうにしたら、自分が住んどったところにほかのやつが勝手に住み着いたみたいなもんか。怒鳴って追い出されてもしゃあないのに、いい人みたいやな」
俺はさっきの幽霊を思い出していた。
とにかく話をしてみようと思い、俺は風呂を出た。
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