第2話 音

 翌日、朝早くから出社し、挨拶回りや引き継ぎなどを済ませて帰宅できたのは、やっぱり夜遅くなってからだった。

 誰もが知る会社だからといって、職場環境がホワイトとは限らない。残業も休日出勤も、全部付けたら労働基準監督署がすっ飛んでくるような勤務実態が常態化しているのだ。

 スーパーで半額弁当を買って、家でもそもそと一人で食べる。

「ごっそさん」

 一人で食べると、驚くほど早く食べ終わる。

 明日も早い。洗濯から乾燥までを自動でしてくれる洗濯機を買って良かったと思いながら、着ていたものを洗濯機に入れて風呂へ入ると、もう早々に寝ることにした。


 夜中のことだ。

 ガリガリという音がして、俺はうつらうつらしかけていたところから目を覚ました。

「そうや。忘れとった」

 起きだし、耳を澄ませて、音の発生源を探る。

 ガリガリガリ。

 音に方へと静かに近寄っていくと、物入れの前に着いた。

「この中か」

 ちょうど畳一畳半分の大きさで、その内の畳半畳分は背の高い荷物が置けるように段が無く、一畳分は上下二段に分かれていた。そこに、使わない客用の布団や家電などが入れられ、背の高い方には掃除機やモップが置いてある。

 音はどうもこの中からするようだ。

 もちろん荷物を入れる前には動物も動物のフンらしきものも見当たらなかったが、どこかに穴でも空いているのだろうか。

「飛びかかって来んといてや」

 言いながらドアを開けると、音はピタリと止んだ。

 部屋の電気を点けて中を見たが、何かいるようにも見えない。

 しかし上の方や奥の方は部屋の電気が届かず暗いので、スマホの光を当てて見た。

「懐中電灯とか救急箱とか、そう言えばいるなあ」

 ふとそう考え、そのうちに買ってこようと考えながら、奥の方を見た。

「なんもあらへんな」

 では天井はどうかと、光を上へ向ける。

 内部は全部板張りになっていて、漆喰の壁の上にベニヤ板を張り付けているようだ。その壁と天井の交わるところに、紙が貼り付いていた。長いテープのようなもので、片方の端がはがれかけて揺れていた。

「なんや」

 背伸びをしても届かず、面倒だがイスを持ってきてそれをはがした。

「紙?」

 それは紙でできたマスキングテープと呼ばれるもので、手紙の封をしたりする程度の紙のテープだ。「封」などという文字やそれらしい図形が印刷されている。

 その図柄には多少ギョッとさせられたが、均一商店で売っている紙製のテープの強度などたかが知れている。遊びで前の住人が貼ったものだろう。それがはがれかけて、壁をこすって音を立てていたんだろう。

 俺はそう解釈して、そのマスキングテープを丸めてくずかごに放り込んだ。

「はあ、寝よ寝よ」

 もうガリガリという音はせず、安心してまぶたを閉じた。


 しかしである。今度はシュッ、シュッという音が聞こえて俺は目を覚ました。どこから聞こえるのかと視線を動かしながら音の発生源を探る。

 泥棒か。

 と、布団のすぐ横に思えて思わずギョッとした。

 起き上がろうとしたが体が動かず、これが有名な金縛りというやつかと考えながら音の発生源を追う。

 と、それは布団の周囲をぐるりと回っているように思えた。

 唯一動く目の球を思い切り動かして、布団の横を見た。見るんじゃなかったと思ったが後の祭りだ。半透明の白っぽいくるぶしから下くらいの足が、畳を軽くするようにして歩いていたのだった。

 声も出ない。目を離したくても離せない。

 その足は布団の周りを一周するとすうっと消え、俺は体の自由を取り戻した。

 骨の芯から寒気がしてガタガタと震えだし、布団を頭から被って俺は震えた。

「誰やねん。何や今の。幽霊か」

 泥棒も困るが、幽霊も困る。

 とにかく震えている内に、いつの間にか睡魔に襲われて寝てしまっていた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る