同居人

JUN

第1話 引っ越し

 異動が決まり、俺は俄然忙しくなった。

 仕事の引き継ぎもしなくてはいけないし、荷物をまとめなくてはいけないし、異動先の住居の心配もある。

 俺の勤める某大手食品会社の本社は大阪にあり、全国に支社、営業所がある。俺は今まで本社の営業部にいたのだが、急に東京支社に行けと言われたのだ。

 しかも、引っ越し準備のための休みなどはないので、残業をして帰った後、夜中にしなければならない。一人暮らしで荷物が少ないとは言え、大変だ。どうにか土曜日の朝に荷物を出し、その日も仕事をして日曜日の早朝に東京の新居へ行き、昼前に到着する荷物を受け取るというスケジュールだ。

 しかも、東京での住居を決めるのも、向こうへ見に行くことができないので、予算と会社に通いやすい所をと注文を付けて総務部に任せ、最後にビデオ電話で軽く内見をして決めた。仕事の合間にしたので、正直言うと、あまりちゃんと見てはいない。

 それでも何とかひいひいと言いながらも、新居の前に到着した。

 名前は「エンペラーガーデン」。築年数が十年くらいのマンションで、1DKが十八戸の三階建て。駅から徒歩十二分で、近くに終日営業のスーパーがある。家賃が思ったよりも安いのは、エレベーターと駐車場がないかららしい。

 一階に集合ポストがあり、新聞も郵便もここに入れられるそうだ。見ると、206号室のところには、もう「影谷」という名前が書き込まれていた。

 それで間違いがないと安心して、俺は二階に上がった。階段は一番左端にあり、一番右奥が206号室だ。

 鍵を鍵穴に入れて回し、ドアを開ける。

 一瞬暗い気がしたが、気のせいだろう。玄関から奥に短い廊下があり、その左手にはキッチン、右手にはトイレと洗面所と風呂場がある。そして突き当たりには広めの部屋があり、突き当たりのガラス窓からは明るい太陽の光が差し込んでいた。その外には洗濯物を干せるベランダがある。部屋の右側には押し入れが、左端には戸板の物入れがある。

 部屋は明るく、一人暮らしには十分広く、きれいに見えた。

「今日からお世話になります。

 さあ、荷物が着く前に掃除せんとな」

 俺は腕まくりをして、使い捨てのモップで床を拭き、ガラス窓や洗面台を拭いた。そこで荷物が到着し、電気を付けたり家具を置いたりと忙しく引っ越し作業を行った。


 その夜の事だった。

 近所のスーパーで惣菜や寿司を買ってビールを開けた。これまで実家暮らしで、一人暮らしの経験は無い。なので、少しドキドキしてもいる。

「引っ越しも終わったし、新生活に期待して、かんぱーい」

 一人で乾杯をしてご飯を食べた。

 ウキウキとしていたが、一人だと盛り下がるものだと知った。

 それともうひとつ。一人暮らしになると、独り言が多くなるのも知った。

「はあ、美味い。

 テレビでも見よかなあ」

 テレビをつけるととりあえずは自分以外の声が聞こえてくるが、ふと我に返った拍子に一人なのを実感する。

 何をしてももうひとつだが、まあ、すぐに慣れるに違いない。

「一人暮らしかあ。してみたかったんや。休みの日にいつまでも二度寝してても怒られへんし、片付けろとか文句言われへんし、好きなもん食えるし」

 一人暮らしを始めたらと考えていた「野望」を考え、我ながら小さいと思うが、小さいことからコツコツと、ときよし師匠も言ってることだ。よしと頷く。

 風呂に入り、布団を敷いて、寝ることにした。


 疲れていたせいか、すぐにウトウトと眠気がやってくる。

 その耳に、ガリガリ、という何かをひっかくような音が聞こえた。

「ああ、何やぁ」

 半分寝ぼけながら、その音を聞く。

 ガリガリガリ。

「動物でも天井裏におんのか。ネズミとか、アライグマとか、ハトとか」

 ガリガリガリ。

「まあ、また明日やなぁ」

 睡魔に負けて、俺はすぐに寝込んでしまった。




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