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ハヤシダノリカズ

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「アレ、アレ、あのファイルはどこにあるんだ?」イヤフォンから課長のだみ声が聞こえてくる。イヤフォン型通話端末は便利だが、生理的嫌悪感を覚える声を物理的に遠ざける事が出来ないのが難点だ。

「えーっと、アレではちょっと分かりかねますが……。私が作ったり手を加えたファイルは全て共有フォルダに入ってますから、近くにいる者に聞いてもらうのが早いかと。今、私は運転中でしてね」

「だからぁ、近くには佐藤君しかおらんのだ。だからキミに電話しているのだ」課長の傍には課長が苦手としている佐藤君しかいないのか。そうか。それは面白い。仕事は出来るが、愛想もおべんちゃらもゼロという佐藤君は相手が誰だろうとブレない。オレにとっては頼もしく可愛い後輩なのだが、課長にとっては不気味で理解不能な新人類って感じらしい。

「あーっと、スミマセン、課長。電波の谷に入ったかも知れません。電話切れるかも……」と言ってオレは通話を切った。空は快晴、電波は快調。海沿いの道のドライビングは気持ちよく、これほど課長のだみ声が相応しくない場所もないだろう。オレは耳からイヤフォンを外して、ダッシュボードの上に放り投げた。


「良かったんですか?」助手席から声をかけられる。

「あぁ、いいんだ」オレはチラと助手席の方を見て、またすぐに前を向く。安全第一。

「今の電話もそうですけど、お仕事中にこんな……」そう言う彼女は数分前に出会ったヒッチハイカーで、オレは仕事そっちのけで彼女を送り届ける為に隣県へ向けて車を走らせている。

「まー、給料分以上の成果は残しているからね。今日一日業務から離れた行動をしようが何も問題はないさ」オレはそう言って笑う。『大人って、社会ってそんなものだよ。結果を見せるか、努力を見せるか、そのどちらかが出来ていれば問題ない』という説教じみた言葉は喉の奥で飲み込んだ。彼女はおそらく大学生。説教じみた言葉は無粋だ。


「私の地元では、冬には空気がキラキラ光るんですよ」

「あぁ、ダイヤモンドダストって言うんだっけ? ミクさん、北海道出身?」馴れ馴れしいが、『ミクって呼んでください。お喋りがお嫌いでないなら、お喋りを楽しみながら行きましょう』と言ってくれたそれにオレは応じている。もしかしたら、ミクというのは自衛の為の偽名かも知れないし、それならオレも偽名を名乗るべきだったのかも知れないが、『ハイ、もしもし。鈴木です』と課長の電話に出てしまっている。ま、いいか。そんなこと、どうでも。


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 大きなテレビ画面の中では速報として、どこかの工場の爆発事故が取り上げられている。オレはスーツを着てベッドの上に腰を掛け、その報道を見るとは無しに見ている。

「シャワーを浴びたい」と言った彼女の要望に応えるべく、オレ達はラブホテルに入った。奔放なのは生来のものなのか、ヒッチハイクの旅がアバンチュールにいざなうのか、会って間もない彼女の人柄など知る由もないが、『平日昼間のサラリーマンとして、今のオレはそこそこ特殊な部類に入るなぁ』なんて事をぼんやり考える。


 程なくしてバスルームから出て来たミクも元の格好に着替えている。風呂で多少の疲れが取れたのか、艶やかな顔をしている。

「ありがと、鈴木さん。良かったよ」そう言ってミクはいたずらっぽく笑う。「そうか、良かった、のか」つられてオレも笑う。


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 心地いい疲労感と共に車に乗り込む。ミクが行きたがっている目的地までは車であと十分といったところか。塀はあるが屋根はない駐車場から車を駆って、オレ達はラブホを後にする。


 ラブホの駐車場内で時間をかけるものじゃない、みたいな意識はあったと思うが、走り出してから気が付いた。フロントガラスに細かい黒い粉がたくさんついている。とても鬱陶しい。オレはおもむろにウォッシャー液を出してワイパーを動かす操作をした。黒い粉は取れ、視界良好……と思いきや、濡れたガラスが乾くにつれて真っ白に曇った。オレはすぐに車を路肩に停める。


 車を降りて、フロントガラスを触ってみると、ワイパーの同心円で細かい傷がついている。すりガラスのようになっている。

「なんだこれ」思わずオレは言う。

「あ、さっき、テレビで工場が爆発したってやってませんでした?あれ、たぶん、この近くですよ」ミクも車から出て、助手席側のフロントガラスを触っている。

「近くで工場が爆発したからといって、こうなるか?」

「確か、研磨用の人工ダイヤを作ってる工場とか言ってましたし、この黒い粉がそのダイヤモンドだとしたら……」ミクは気の毒そうな顔でオレを見る。


 禍福は糾える縄の如し、か。いい事の後にはこういう事がある、のか。

 会社に報告するめんどくささと、去り際にカッコをつけられない情けなさでオレは空を仰ぐ。


「こちらでは黒いダイヤが降るんですね。北海道では考えられないです」ミクは困ったように眉をひそめながら、愛くるしい笑顔でそう言った。

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