俺は俺を殺すものと一緒に生きている。


 この作品を要約するのは難しい。

 ただそういう宣伝文句を言うと「冒頭だけ見たけど《よく分かんない》から、じゃあ読まないや」となってしまう。

 それは作者にとっても、読者にとっても、相当に勿体ない話なので、必死に表現してみようと思う。




 タイトルに書いてある通り、この作品は「小説が書けなくなった人」の姿を描いている。
 この作品の目的……作中では「失敗した試み」としているものは、

 小説界隈の流行りや環境だったり、個人の性格やプライドや思想だったり、私生活の都合もろもろに振り回され、
 ズタボロに引き裂かれながら「この作品を書いている最中」の作者の心を見せつけようとした……

 のだと思われる。

 このサイトでも、他の場所でも、創作論は数多く出ている。
 が、そのいずれも肝心なことだけは教えてくれない。いや、教えられない。

 どうやって、本来意図などないはずの細切れの瞬間(シーン)に、意味や目的、方向を見出せるのか。
 当たり前すぎて誰も普段意識しないが、これ自体が相当の離れ業であることは間違いない。
 これはしょせんON・OFFしか制御できないはずの脳細胞が、どうして集合すると脳という複雑怪奇な代物になるのか、という問いに近いかもしれない。

 この問いをはじめとして、男は絶えず自分を殺しに来る刺客達と対話をする。
 
 センスやユーモア、オリジナリティ。
 誰もが入り込めるポピュラーさと、入ったら止められないディープさ。

 小説を書くものだったら誰もが望むもの達が、作家を殺しにかかる。
 諦観も悲観も卑屈もすべてがない交ぜとなって、一つの舞台のうえで踊るのだ。

 キャストも観客も監督も劇場も、すべてが自分自身の、痛烈悲喜劇なのだ。



 これ以上、ダラダラ話したところで魅力を削いでしまうので、最後に一言だけ、作者に申しておきたい。
 
 真剣に、全力で、全身汗ダラダラになって、身悶え続けたあなたの姿は、最高に格好良かった。