三十七、王室御用達の魔女
二百年前、ファブールという国から魔女は消えた。
そのことを、ファブールに生きるものは誰も知らなかった。どこかからそういう話が風に乗ってたどり着いたことがあってもおかしくないのに、誰もファブールの魔女の存在を知らなかった。この国が魔女と共に栄えたという本当の歴史を誰も知らなかった。
だから真実が公表されたときには、まずかつての王とこれまでの王に批判的な言葉を投げたが、自分たちの祖先もそれに加担していたのではないかと考えが至ると、その声は次第に収まっていった。
そもそも彼らの多くはその日を生きるので精一杯だったからそういう話にばかり構っていられなかったし、自分の身に何か影響が及ぶのでないのならと日常の外に放り投げてしまうのが大半だった。
長々と影響が続き疑念や不安といったものがまだしっかりと燻っているのは、シャルムの中心地くらいだろう。
大通りから一本裏に入ったところにある小さな店の入り口には、小瓶と蓋付きの壺が描かれた看板がかかっている。その下に追加でぶら下げられた紋章は『王室御用達』を表わす印。店の看板も紋章も丁寧に磨かれ、裏通りに差し込む薄い陽光を一通り集めたかのようにキラキラと力強く輝いていた。
「盛況なようで何よりだよ」
リッドは運んできた箱を下ろして自分の腰をさすった。
「いやあ、助かった。棚に並べるそばから売れてしまって困っていたんだ」
店主のマルシャンは荷物を受け取るなりすぐさま開いて中の小瓶を手に取った。
「うん。今日も問題ないね。忙しくっても手抜きなし。さすがは王室御用達の調合屋だ」
嬉しそうな顔をして店頭に並べていく。
ユイルは王室御用達の更新審査を無事合格した。
王との謁見のあと彼女がひろげた証書の一枚が王室御用達の認定証だった。彼女は引き続き王室御用達の調合屋として薬を作り、マルシャンの店に販売を依頼している。
「正体不明じゃなくなったからうちの店には卸してくれなくなるんじゃないかと不安だったんだけど、取引を継続してくれて本当に良かったよ」
「それはユイルの方も同じみたいだよ。魔女の作る薬なんて置けないって断られたらどうしようって、泣きそうな顔で僕に相談してきたくらいだから」
リッドが言うとマルシャンは「とんでもない!」と声を張り上げた。品物を選んでいた客らがびくっと体を縮めたほどの声だった。
「そりゃあ、そう言うお客さんも実際いたけれど、そうは言ったってユイルの薬の質がいいのは、シャルムの住民ならみんな知ってることだしね。離れていったのはほんの一時、ひと握りの人間だよ」
薬の売れ行きに限らず、そういうことはよくあった。
ユイルが魔女であることを受け入れられず、すれ違いざまに悪意をぶつけてくる者もあった。国の平穏を破った魔女に八つ当たりのように攻撃してくる者もあった。
しかしそういうものよりもユイルを擁護する者はずっと多かった。
マルシャンはもちろんのこと、オネットたち市場の人間やサージュや宿の食堂の客たち、そして小さな花冠を編んでくれた女の子とその家族らが中心となり、ユイルに嫌がらせをするような輩を片っ端から説得して回った。
「それでもどうしようもならない人はまだまだいるけれどね。それは仕方のないことさ。誰もが簡単に今回のことを受けとめられるというわけではないからね」
「そんな中、盾になってくれているんだから、マルシャンには頭が上がらないよ」
「よしてくれよ。私だって恩があるんだから。知っての通り、今じゃあよそからのお客さんも加わって、前よりも繁盛してるもの」
ユイルの薬が認められていることが嬉しいのか、それとも自分の懐がいっそう潤ったことが喜ばしいのか、マルシャンは満足そうな顔で言った。
そういう顔を見ているとリッドも気分が良くなった。
「それじゃあ、次の仕事があるから」とリッドは明るい気分のまま慌ただしく店を出る。
大股で通りを歩きながら、分厚い書類に目を遣った。
すれ違う人たちから声がかかる。
「よお、調査員」とだけ言う人もいれば、「御用達さん」と呼ぶ人もあった。
リッドの胸元にぶら下がっていた
三枚の証書の二枚目は、リッドに『王室御用達』の称号を与えるというものだった。なんの王室御用達なのかといえば――
「王室御用達の調査員さん、遅いわよ!」
城門の前で大きく手を振る少女の姿が見える。真っ黒なローブを纏った少女が、わざとらしく名前ではなくそう呼んでにいっと笑った。
「やめてくれよ、ユイル。その呼ばれ方はどうしたって慣れないよ」
「あら。そんなに悪くないと思うけど」
とぼけた顔でユイルが言った。
「『王室御用達の調査員』なんて、これ以上胡散臭いものはないじゃないか」
息を整え言い返す。
「だいたい、何を調査するんだか。王室御用達なんて肩書きがついたところで、ようは何でも屋ってことだろ。ラパスは僕があちこち旅をして回るのが気に入らないからこんなものをつくって押しつけたんだ」
「それじゃあ私はあなたのお友だちに感謝しなくちゃいけないわね」
「雑用を頼める相手ができたって?」
「一緒に仕事をする仲間ができたということよ」
「仲間、ねえ」
リッドは門の奥にそびえる王城を見上げてため息をこぼした。
ファブールに魔女がいたと認められてから、ユイルは魔女としてたびたび王城に出向くようになった。二百年よりもっと前、国と魔女は協力してこの地と民を守っていた。状況が大きく変った今の世でまったく同じようにとはいかないが、その関係を取り戻そうと、国からの仕事を引き受けているのだ。
調合屋としての仕事から、魔法を使っての仕事まで。その多くにユイルは補助としてリッドを指名した。
だから『仲間』などと言うのだろうが、実際のところはお付きの者というか――やはり雑用係というのがいちばんしっくりきた。
「まあ、なんでもいいんだけどね」
リッドはもう一度、ふうっと大きく息を吐いた。肩書きが何であれ、実態がどうであれ、ユイルの傍らにいられればそれでいいのだと考えていた。
この国がユイルに向けるものが善意だけではないと知ってしまった以上、彼女をひとりにはできなくなってしまった。それに自分の友が関わっているとなればなおさらのこと。彼の行動原理が故郷を取り戻すことであり、リッドを故郷に戻すことなのだから、もう他人事ではないのだ。彼の行動を見張りながら、いつか「一緒に食事をしたいんだと」打ち明けられたらと、その方法を見つけられればとリッドは考えていた。
知らぬ間に手のひらに力が入っていた。
握ってしまっていたこぶしをほどいて、意識して口もとを緩めた。
「ヘンな顔をして、どうしたの」
そんなところをユイルに見つかって、リッドは慌てて取り繕った。余計な心配はさせたくなかったのだが。
「ねえ、リッド」
ユイルは『これから真面目なことを言うぞ』という顔つきになった。
「私だって馬鹿じゃないわ。あの日、あなたがすべてを教えてくれたわけじゃないってわかってる。心配してくれているのも、わかってる。でも私は、私を信じてくれる人のために、私が生まれ育ったこの国のために『ファブールの魔女』としてできることをやろうと思うの。それをあなたは、愚かだと思う?」
ユイルは背筋をしっかり伸ばし答えを待っていた。その姿に応えるようにリッドも姿勢を正してこう返した。
「やりたいようにやる君をもう少し見守っていてもいいかななんて思う僕を、君は愚かだと笑うかい?」
リッドが言い終える前に、ユイルは首を左右に振った。一度では足りなかったようで、もう一度往復させて、そしてリッドと真正面に向き合った。
「そんな風に言ってくれると思っていたわ。でも、『もう少し』なの?」
「先のことはわからないからね」
「……そうね。先のことは、わからないものね」
そう言って、ユイルは自分の胸もとで輝く二つの
「本当にこんな日が来るなんて……」
言いかけたユイルの隣でリッドは笑う。
「君はそう信じていたでしょ」
リッドの言葉にユイルは「そうね」と屈託なく笑った。
ユイルが深く息を吸い込んだ。胸が膨らむその動きにつられて
直後に生まれた無音の余韻をさらうように、シャルムの街に聖堂の鐘の音が響き渡った。高く晴れ渡った空に、どこまでもどこまでも広がっていくような力強い音だった。
音の行方をたどり、リッドとユイルは振り返り街の方を見遣った。ふわっと魔女の森の匂いが薫ったような気がした。
いい風が吹いている。
自然と頬の辺りがやわらかくなったと感じたが、そういうものはあっという間に去って行った。代わりにサァっといやな汗が流れる。
「ああ、まずい。遅れたらまた仕事を増やされる。ユイル、走るよ」
「待って、リッド。前にお城の中を走ったときにどれだけ叱られたか覚えていないの?」
「でも叱られるだけで仕事は増えなかった」
「それはそうだけど、私は叱られるのはあまり好きじゃ――」
「そんなことを言っている時間すら勿体ないよ。ほら、行くよ!」
まだ何か言いたげなユイルに、ぐいと右手を突き出した。彼女がその手をしっかりと掴んだのを確認して、リッドは勢いよく駆け出した。
王室御用達の魔女【改稿版】 葛生 雪人 @kuzuyuki
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