第六破天荒! 真夜中のレディ(位置について!)!!


「いくら剣で脅されようと、トラエスタ樣と殴り合いなど出来ません。……ですのでどうしょう? 景色でも見ながら駆けっこで勝負などは」

「テメェ……ッ!?」

「おやめなさいトラエスタ!? リガルド王子は貴方を想い、わざわざ会いにいらしたのよ!? ……だからお願いよ、トラエスタ! その剣を床に置いてッ!!」

「っせぇぞクソババア!! 殺される前にぶっ殺して……! その後あたしも死んでやる……ッ!」

「……そのように震える手では、案山子だって斬れはしません」

「メテンジャネッゾゴラアアアアアアアアアアッ!?!?!?」

「ト、トラエスタアアアアアアアアアッ!?」



 息荒くリガルドに決闘(タイマン!)を挑み!! そして無様に敗れた夜!!

 ……トラエスタはベッドの奥深く潜り込み、隙間から見える窓の暗闇を、まるで怯える子猫のように見詰めていた。

 ――手も足も出なかった、このあたしが、今までどんな相手にもビビったことのねぇこのあたしが……ッ!

 エモノも持たないガキ相手に剣で斬りかかり、そして無様に取り押さえられた……などという今朝の顛末は、これまで食らったどんな拳骨よりも重く深く胸の中めり込んで、彼女の心に痣を創った。

 ――なんなんだよこの体は!? どう考えても弱すぎンだろ!? こんなんでこの世界を生き残れるワケねぇじゃねぇか……ッ!

 繰り出した渾身の一撃をひらりと躱し、軽々と自分を地面へ押さえつけたリガルドの顔をシーツの中思い出し、トラエスタはブルリと震えた。押し寄せる寒気に呑まれぬよう固く目を瞑れば、そこには漆黒の景色が広がっている。逃げ場など、どこにも無かった。

 前世の記憶を取り戻し早数ヶ月。その間トラエスタが積んだ血の滲むような鍛錬は、今や憎きリガルドの前に呆気なく否定された。何度頭の中でやり直しても勝ち目の見えない、喧嘩とも言えないあのあしらわれように、普段強気に前だけを向くトラエスタの心中はこの時ばかり、深い後悔で満ちていた。

「……帰りだいっ、……元の世界゛にっ」

 気の合う仲間と単車に跨がり、しょうもないことで口論し、そして最後は笑い合う。ヤンチャが過ぎればぶん殴られ、無理矢理クソオヤジに連れ戻される。……もう懐かしきあの日々に、大好きな美王子に殺される心配をせずに済む、日常の中に。

 ――……どうせいつかリガルドに殺されるなら、今ここで、いっそのこと。

 ぼやけた視界の先に広がる、白亜の宮の高き窓。少しばかり開いたその隙間から、びゅうと強い風が吹いた。窓際に置かれた赤い花はその身を散らし、ひらひらと外へ舞い落ちる。

 強風の中哀れに散っていく花弁を最後まで見ていられず、固く目を瞑り閉じた。憔悴と微睡みに揺れる暗闇の中、やがて微かに浮かび上がるのは、かつて見慣れた大きな背中だった。

 自分に武道の心得を授けた前世の父。その筋肉まみれの無骨な背中に、寅子は胸中で問いかける。


「……なぁオヤジ、一体あたしはどうすりゃ良いんだ?」

「……」

「……あんたの娘だった時と同じくらい強くなればって思ってたけどよ、全然ダメなんだよ、こいつの体」

「……」

「……なぁッ!? 頼むからなんか言ってくれよッ!? お前の娘がこんなに困ってンだぞ……!?」

「……! ……!」


 かつての父の巨大な背中は、しかし寅子になんの答えも返さなかった。

 ただどこかへ向かい黙々と拳を突き出し続けるクソオヤジにため息を吐いてから、トラエスタは目を開いた。

 そうして暫くの間、窓辺に広がる恐ろしく高い夜空を眺めていた彼女はやがて起き上がり、地に落ち散った赤い花びらを見下ろし、意を決した。



 トラエスタ一族の住まう豪奢な宮殿は深夜寝静まり、物音を立てる者も居ない。

 その一階、客人用の寝室で横になるリガルド王子は、未だ眠れず暗い窓を眺めていた。

 今朝受けたトラエスタからの一撃は受け身をとっても流しきれなかったようで、今になって痛み始めていた。


『リガルド、テメェ……! テメェはマジそういうヤツだよなぁ……!?』


 ――そうだ、私はそういう男だ。恋慕の情もない相手を優しく抱き締め、その頬に口付けをする。……しかし、それの一体何が悪い? 全ては互いの家の為。ひいては全ての臣民のためだ。

 ――……しかし確かに言われた通り。私は彼女の気持ちなど、今まで一顧だにした事などなかったかも知れない。

 ――……というよりも。私はこれまで誰かの気持ちに、いや自分自身の気持ちにだって、一度でも耳を傾けたことなどあっただろうか?


「……何を考えているんだ、私は」

 暗い部屋の中響いたリガルドのつぶやきは数瞬後、窓の外で起きた喧騒に掻き消された。

「曲者ー!!」

 自国より連れ立ってきた衛兵がそう叫ぶのと同時、騒がしい女の叫び声と、兵達の動揺が漏れ聞こえる。

「……!」

「……しかし、このような夜分に……!」

「ウッセェ! あたしはテメェんとこのボスに話があんだよ!」

「ですが……!」

「ウダウダ言ってっとブッチャースゾゴラァ!?」

 真夜中の侵入者がそれ以上口汚い言葉を吐かずに済むよう、騒がしく揺れる窓枠を、リガルドはそっと開いた。

「……トラエスタ様を部屋へ案内してくれ。ちょうど眠れずに居たところだから」

 夜風を運ぶ窓の隙間。その下で近衛に捕らえられたこの宮殿の主に微笑みかけると、彼女はブスッとそっぽを向いた。腕組して微動だにしないトラエスタは、どうやら部屋へ来る気はないらしい。

「こんな夜更けに男児の部屋を訪ねるとは、随分大胆なことをなさいますね、トラエスタ樣」

「……安心しろクソガキ。テメェの部屋に上がり込む気はねぇよ」

「でしたら一体何をされに?」

「んなもん決まってんだろ! タイマンだ、タイマン!!」

「また『サシでの勝負』というやつですか。……ですが私はトラエスタ様と殴り合う気など、」

「ドツキ合いじゃなかったら良いんだろ? テメェが今朝言った通り、今回はハシリで勝負だ」

「ハシリ……?」

「テメェが言ったんだろがッ!? 今度は景色でも見ながら駆けっこで勝負しろってよぉ!? 吐いた唾飲み込むんじゃね―ゾゴラァ!?」

「……あれは落ち込んでいる貴方を和ませようという私なりの冗談だったのですが」

 どうやら何も伝わっていない。

「ウッセェゾボゲェ!!」

 窓から身を乗り出すリガルドの胸ぐらを、トラエスタは乱暴に掴んだ。

 そして、とても王家の娘とは思えぬ鋭い目付きをゴツンとリガルドの額にぶつけながら、

「これがホントに最後の勝負だ。今夜あたしがテメェに負けたら、二度とテメェに歯向かわねぇ。死ねと言わりゃ死んでやるよ……ッ!」

 夜闇にそう言い放った。

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