【KAC20231】なんやかんやで本屋で遭遇する二人

宇部 松清

第1話

 いまから二年前、高校二年の文化祭で、僕は長年の初恋を実らせた。お隣に住む幼馴染みの南城なんじょう矢萩やはぎ――萩ちゃんと両想いになったのだ。恋人同士という関係になって初めて、お互いのその気持ちがいつから始まっていたのかをすり合わせていた時、僕も萩ちゃんも恐らくは小学生くらいなんじゃないかということがわかって驚いた。


「てことは、もっと早くにこうなってたかもしれないってこと?」

「ってことだよなぁ、何やってんだ俺達」

「どうして気付かなかったんだろ」

「俺も。もっと早く勇気出しときゃ良かった」


 そんなことを言って、照れたように頭を掻く。


 僕達に足りなかったのは、本当にあとちょっとの勇気だった。たった一つ、『同性同士』という、高い高い壁を飛び越えるための。たぶん僕達、どっちかが女の子だったら、もっと簡単だったよね。その言葉は飲み込んだ。別に僕は、女の子になりたいわけじゃない。だったら良かったのにと思うことはあったけど、萩ちゃんは、いまの僕のことを好いてくれているのだ。だから、このままで良い。


 市内にある、それぞれ別の大学に進学した僕達は、なんやかんやあって、ルームシェアをすることになった。最初は別々に暮らしてたんだけど、高校時代と比べて会える時間が激減し、僕の寂しさが限界を迎えそうになった時、萩ちゃんの住んでいる学生専用アパートでボヤ騒ぎがあって(もちろん萩ちゃんは関係ないんだけど)、出て行かざるを得なくなったのである。そこで、僕がたまたま割と広めの部屋に住んでいるということで、部屋が見つかるまでの間、一緒に住むことになったのだ。お父さんから、この部屋を使いなさいと強制的にあてがわれた2DK。どう考えても学生の一人暮らしには広すぎると持て余していたところだったので、本当に助かったし、何より、まさか好きな人と一緒に暮らせるなんて夢みたいだ。


 萩ちゃんとしばらく一緒に住んでも良いかとお父さんに相談した時、やけに嬉しそうに「部屋が見つかるまでなんて言わず、ずっと一緒に住めば良いじゃないか。そのための2DKなんだから」なんて言ってたけど、もしかして最初からそのつもりで広い部屋を……? 


 それはさておき、そんな感じで僕らの同棲が始まったのが、一昨日のことだ。


 それで、いま、のっぴきならない問題に直面している。


「困った……」


 大学の帰り道にある、小さな本屋さんである。

 レシピ本コーナーに滞在すること、かれこれ二十分。


「これかな? いや、それともこっち……?」


 初心者用と書かれた薄いやつを手に取ってパラリと眺め、『レンジで簡単!』と書かれたものにも目移りして、そっちも棚から取る。


 僕らが直面している問題。

 それは、ご飯だ。


 僕達は、お互いに料理のスキルが乏しかった。


 一応僕はオムライスくらいは作れるんだけど、逆を言えば、それしか作れない。オムライスが作れるわけだから、ある程度包丁は扱えるし、焦がさないように食材を炒めることは出来る。出来るんだけど、それ以外に活かせないのだ。レシピに合わせた切り方であるとか、味付け、煮込む時間、それから生食出来るか否かといった知識、そういうものがない。もうほんと、オムライス特化型なのである。


「このままだと萩ちゃんのご飯が三食オムライスになっちゃう!」


 三食オムライスは大袈裟だろと思われたかもしれないが、いまのところ、僕は本当にオムライスしか作っていない。

 そりゃあただただ野菜を炒めるだけとか、玉子焼きを作るくらいは出来るけど、だけど、僕が一番上手に出来るのはオムライスなのである。一番美味しく作れる、自信のあるものを食べさせようと思ったら、やっぱりオムライスになってしまうのだ。いくら萩ちゃんがオムライス好きといっても、食べ続けていれば飽きちゃうだろうし、もしかしたら見るのも嫌になっちゃうかもしれない。


 なんとしても、料理のレパートリーを増やさなくちゃ……!


 頑張れ、神田夜宵やよい! 僕は、知識を入れることに関しては得意なはずだ。むしろそれくらいしか取り柄なんかないんだ。とりあえず、この辺の初心者用とか、そういうのを片っ端から買って、全部頭に入れれば――、


「――っと、すみません」


 ギラついた目でざかざかとレシピ本を漁り、とにかく『初心者』とか『簡単』と書かれたものを抜き取りながら棚の端へと移動していると、同じように反対側から向かってきていた人と肩がぶつかってしまった。慌てて数歩下がり、頭を下げる。


 と。


「あれ、萩ちゃん?」

「うお、夜宵じゃん。お前何してんの」

「萩ちゃんこそ。いっぱい本抱えてどうしたの?」

「いや、俺はその。……って夜宵も人のこと言えねぇじゃん。何だよその本の山」

「こ、これは、その、料理の本……だけど」

「えっ、夜宵?」

 

 、という言葉が引っ掛かって、萩ちゃんが抱えているものを覗き込む。一番上に乗っているのは『材料三つで簡単! ふたりご飯!』というレシピ本である。


「萩ちゃん、料理するの……?」

「えっ、あ、いや、その。だって、夜宵だけにはさせらんねぇだろ。俺だってちょっとくらいはさ」


 抱えた本を隠すように抱き締める萩ちゃんの顔は真っ赤だ。いや、ごめん、もうがっつり見たから隠してもいまさらだよ、ほんとごめん。


「あっ、その顔はアレだな、萩ちゃん包丁も持ったことないのに大丈夫? とか考えてるだろ! 違うぞ?! 俺だって調理実習の時には玉ねぎの皮だって剥いたし、きゅうりをあの、スパスパするやつでスパスパしたことあるしな?!」


 萩ちゃん、玉ねぎの皮は別に包丁使わなくても剥けるよね?

 あとそのきゅうりをスパスパするやつってスライサーかな? 単語が出て来なかったんだね? 可愛いね?


「大丈夫、考えてないよ」


 笑いを何とかこらえながらそう返したけど、それでも萩ちゃんはちょっと不満気だ。


「笑ってるじゃん! くっそ! 見てろよ、すんげぇ美味いやつ作るからな!」

「ありがと。期待してる」

「でもまぁ、とりあえず、さすがにちょっと多すぎかもな。絞るか」

「そうだね、とりあえず、二人で一冊ずつにしない?」

「だな」


 それで、僕は『料理のイロハ 初心者でも簡単ごはん』、萩ちゃんは一番上にあった『材料三つで簡単! ふたりご飯!』を買って帰路に就いた。


 その日の夕飯はカレーになった。そうだよ、よく考えたら料理初心者にはカレーという強い味方がいたじゃないか。ベルモントカレー様、万歳。

 

 ちなみに萩ちゃんは「な、出来るだろ俺だって!」と玉ねぎの皮を剥いてくれた。その得意気な顔が可愛い。


 ルーを甘口にするか中辛にするかで軽く揉めたけど、そういうのも楽しい。これからもこうやって少しずつ僕らの生活を作っていくんだと、久しぶりの甘口カレーと、向かいに座る大好きな人の笑顔に、僕は目を細めた。

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