リーシャとゼロと――【仲間】


 小さな、だけど微かな温かみが通り過ぎて、俺はやがて目を開けた。


「ん……あ、ぁ……」


 目を開けると一面真っ白な天井がお出迎えしてくれた。

 俺は頭を動かそうとしたが、筋肉が硬直しているのか、動かせない。

 ぴくり、ぴくりと両手の指がようやく動いて、俺は徐々に事態を把握していった。


「生きて……いる、のか……?」


 枯れた喉で掠れた声を絞り上げる。

 状態は最悪で、完治とはとてもいえない様な状態だが――それでも、生きている。


「あっ――嘘でしょ……先生、せんせい!」


 その時、がらりと引き戸が開いて、恐らく花瓶の花を交換しにきた治癒術師がその花瓶ごと落として、慌てて廊下に飛び出る。


「少し、寒いな……」


 開いた窓から冬の真っただ中を思わせる程の風が吹き込んで、俺は少し眉を潜めた。


 ==


 それから高名であろう高齢の治癒術師が俺の前に座って、手を翳した。

 緑色の光が辺りを照らす。

 魔力の同調を基本とした治癒魔術の健診。

 俺は自身の体に異質な魔力が流れ込む気持ち悪さにイヤな顔を浮かべる。


「拒まないで下さいよ。貴方ほどの魔術師に拒まれたらとんでもない事になってしまいます」


 そんなことするもんか――言葉が出ないので、首を横に振って意思表示する。

 それに気づいた先ほどの女性が、ゆっくりと体を起こして、俺に一杯のコップをあてがう。


「……しかし、いつ見ても素晴らしいですな。ここまでの術式は私も初めてお目にかかる」


 やや興奮気味の術師に、俺は水を飲み干して何とか言う。


「お、い……それで俺の体はどうなんだ?」


「はあ……いえ、大した回復力ですよ。私どもも死力は尽くしましたが、ですが意識が目覚めるかどうかは正直、貴方次第だったんです」


 するとその術師は俺の隣に置いてあったネックレスを指さす。

 赤いネックレスは窓の外に映る陽光で煌びやかに輝いて見えた。


「そのネックレスにあるのは魔石です――位置情報を伝える魔石ですね。その効力で瓦礫に埋もれた貴方をいち早く救出できた」


「なに……?」


 俺は詳細を訊こうとして、体の位置を変えた。

 こう、ずっと寝ていたからか背中と尻が痛かったんだ。

 だから少し姿勢を変えようとして、両手でベットを付いて体を浮かせた。


「うわっ……!?」


 あまりにも普通過ぎて気づくのが遅れてしまった。


「右手が……俺の右手が、動いている!?」


 動く……あの時【神之斬撃オリステラ・ノヴァ】を発動させた代償として動けなくなった俺の右手が。


 指一本一本動かす――神経が戻っている。

 恐らく、俺の右手の代償は神経の断絶によるものだろうとは思っていたが、その時の俺は魔術なんて使えなかったし、そもそも俺の治癒魔術は失われた神経を接合するなんて大技出来ない。


「……まさか再び右手が使えるとは思わなかった」


「神経接合は私の得意分野ですからな。通常の治癒魔術と比べ少々難しいですが……断絶ぐらいならば治して見せます」


 そんなこと、普通の治癒術師が出来る訳が無い。

 僕でさえ出来ない芸当をさも当然とこなすその余裕に、設備の充実度。

 まさかここは――。


「『魔術王国アルカディア』――なのか」


 俺のその問いにコクリと頷かれる。

 確かにここならば、相当なレベルの治療が受けられるだろう。

 世界で魔術を一番研究しているのはこの国だ。

 俺も知らない治癒魔術があって当然と言えるだろう。


「今日は十二月の二十日。貴方が近隣の病院からここへと搬送れてから五日、担当はこの私リオルアが致しました」


 リオルア—―その名前は僕でも知っているくらい高名な魔術師だ。

 最近治癒系統にも手を伸ばしていると聞いた事はあるが、まさかここまでのレベルになっているとは……。


「【雷帝の魔術師】のレイ様ですよね? 貴方の入国を私は心待ちにしておりました。貴方の魔術不全――貴方の様な才能あふれる魔術師がここで終わるのは世界規模の損失だ。微力ながら、私どもも治療に尽くさせていただきます」


 そう言って僕の右手を掴むリオルア。

 しわしわの手は歴戦の証なのか、所々傷が見えた。


「……まさか、貴方のような魔術師にそう言って貰えるとは光栄です。ですがその件についてはもう大丈夫です。もう魔術は使えるようになりましたから」


 俺はそう言って上半身を起こした。

 既に断絶していた筋繊維も治療し、歩くのに数か月はかかりそうな足も治癒魔術で無理やり治した。


 その光景を目にした看護婦が驚き、逆にリオルアは嬉しそうに微笑む。


「あー! 本当にゼロくん起きてるー!」


 その時バタバタと足音が響いて扉が開かれて――そこにはピンク髪の少女がいた。

 続けて白銀髪のツインテの少女が扉の先から表れた。

 ドクンと、どこかで心が叫んだ。


「お、お前ら……どうしてここに……」


「どうしても何もないよ! いきなり出て行ったと思ったら瀕死の状態で出てきてさ! 私たちがどれだけ心配したと思ってるの!」


「……心配した」


 た、確かに傍から見ると勝手に出て行って勝手に傷ついて……てめちゃくちゃ迷惑な奴だなそれは。


「す、すまなかったとは思っているよ。ただ時間が時間だったし……お前らを連れて行くわけにもいかないし……」


「ふ~ん、それって私たちのことが大事だから?」


 ふふんと何か企むような顔を浮かべながらリリムがそう訊いた。

 な、なんてウザったい笑みなんだ……あとディジーは似合ってないからな。


 ――だけど、その所作がどこか懐かしく思えて。


「――ゼロさん!!」


 もう一回扉が開かれて、中から金髪の少女が飛び出す。

 随分と急いで来たのだろう、はあはあと息を弾ませる彼女に、俺の心臓がドクンと高鳴って。


 不意に、何かが零れ落ちた。

 ぽろぽろと、その雫はズボンに落ちてやがてシミとなる。

 心が温かみで埋め尽くされる。そこから溢れる様にそれが涙となって零れ落ちる。


 リオルアと看護婦が察したのか、黙って部屋から出て行くが、そんな事を気にしていられない程に、俺は――。


「あ……そ、か……俺、そう、なのか…………」


 嗚咽が混ざって、息が詰まる。

 彼女の、その黄金の髪が揺らめき、黄金色の瞳が俺を映す。

 リリムとディジーの瞳から徐々に涙が浮かび始めて、俺は顔を歪めた。


「……ただいま、みんな」


 涙で一杯なのを隠すように言うと、ディジーとリリムとリーシャが顔を見合わせ、声を揃えて言った。


「「「おかえりなさい!!」」」


 ==


 あれから俺は、国(アルカディアではない大国)から大々的に賞賛される事になった。


 偽名による登録には少し眉を潜められたが、それも『四天王を退けた』という功績の前に圧し潰された。


【金色の夜明け】は前代未聞のSランクに昇格した。

【夜明けの星】も以前Sランクの最上位に位置し、多額の報奨金は国の復興支援に丸ごと投げ入れたのだから実にアイツらしい。


 またそれに伴い【虎狼の集い】も評価され、Aランクにとなった。

 ランザの個人ランクやルーラルは既にSの領域になっている。ドーリも今は必死に上級魔術師になるための試験勉強を頑張っているらしい。


 驚いたのは、ディジーはあれから上級魔術を扱えるようになったことだ。

 それはつまり――シノと同じレベルの魔術師になったという事だ。


「頑張ったら、ご、ご褒美下さいね!」


「……頼んだ」


 そんな生意気な事を言って、サムズアップをしながら彼女たちは国立の魔術大学の方に行ってしまった。ランザやルーラルも遠くの国で危険な依頼を受けているらしい。


【夜明けの星】も今は別の……魔界に近いダンジョンで依頼をこなしているそうだ。


 気づけば自然と、俺達はバラバラとなってしまった。

【金色の夜明け】の活動も停止し、今は完全に動かなくなっている。

 そんな中で俺とリーシャは、お母さんを救える唯一の手段【氷寿華】の捜索に力を入れていた。


 そうして時が流れて、圧倒言う間に年を越すときになっていた。

 この時ばかりは魔術大学も休みと言うことなので、せっかくならばパーティでもしないかという話になった。


 一応の招待を彼らに送ったところ、二つ返事で了承してくれた。

【夜明けの星】と【虎狼の集い】——会うのは久しぶりになる。


 ==


 そうして年越しパーティは緩やかに始まった。

 白く煌びやかな室内の中、部屋はリーシャの家の屋敷の一室を借りて貰った。

 俺は黒を基調とした礼装で出席した。


「お前さん......また魔術使えるようになったんだな!」


「ハウル......」


 照明によって禿頭が更に磨かれた鏡みたいな感じになっているハウルが、俺に向かって言った。礼装なんて無いと思ったから、服の一着や二着を送ったはずなんだが……いつも通りのウェイター服で出てきやがった。


「そこらにいる給仕と間違えそうになった」


「んま、早々たる面子を前にしちゃそんなモンよ。今夜はダンスもするんだろ? 格式高いパーティだからお前さんが送ってくれたもので良いかなって思ったんだが、転ぶよりは遥かにマシだからな。慣れ親しんだ奴で良い」


「……まあ、別にお貴族様のパーティって訳でもないし(そもそも主催者俺だし)良いんじゃねえの?」


「それに安心してくれ――この服は今日クリーニングに出して来たばっかの奴だ」


「どこが安心できるんだよ!」


 いつもどうりの会話の応酬。


「…………」


 そう、いつもどうり。

 ハウルには沢山迷惑かけた。だけど彼はそれを許してくれた。

 彼には多大な恩がある。


「今日は楽しんでくれ。全て俺の奢りだ」


「おっ、そいつは楽しみだな。提供するのは慣れているが、飲むほうは久しぶりだ」


 久方ぶりに会ったハウルの様子は普通そうで、逆にそれが嬉しかった。

 料理の方に向かうハウルを見送ると、後ろから誰かに肩を組まれた。


「ようよう【雷帝の魔術師】様よ~! お前がいなくなってから大変だったんだぜ~!?」


 俺の肩を組みながらランザが酒臭い息を吐きながら絡んできた。

 右の手には数々の料理が一皿に積み上げられていた。

 これで服装がちゃんとしているのだから……ホントにこいつは……。


「ええい、ダル絡みするな! ウザい!」


 だいぶ酔いが回って来ているのか、足元がふらふらとしている。

 ランザは相も変わらずと言った様子で俺に言った。


「それでよ......お前リーシャとはどうなったんだ?」


「な、なんでそこでアイツの名前が......」


「御託は良いんだよ! それで......?」


 こいつ......本当に酔っているのか?

 ランザのしつこいぐらいの追求に、俺はため息を吐きながら答えた。


「何ともないよ。【氷寿華】の捜索で一杯だった」


「えぇ~ホントかぁ~?」


「なんで嘘つく理由があるんだよ」


 ランザは意外そうな顔をして、やれやれとため息を吐いた。

 なんだコイツ……。


「あのな、リーシャの野郎はお前の事が好きな訳だろ?」


「……まあ、そう、だな……?」


 何が言いたいんだ……?


「ならやることは一つだろ! アァん!?」


「何故そこでキレるんだお前は……」


 ランザは良いかと俺を外のテラスまで連れて行く。

 外はシンと静まり返っていて、遠方には町の光がぽつぽつと見える。

 心地いい風が流れて、アルコールで火照った体が癒される。   


「何やってんだ二人揃って」


「グラム……」


 横から声が掛かって、俺達はその声がした方を振り向く。

 そこには青色のコートを着たグラムが立っていた。

 少し酔っているのか、頬が少し赤い。


「コイツとリーシャの関係について。今ゼロに問い詰めてる所」


「お、面白そうだな。俺も混ぜてくれ」


 こいつら……!


 ランザは右手を前に上げて、少し隠すように指を指した。

 指さす先にいたのは、白を基調としたドレス姿で身を包まれたリーシャだった。

 煌びやかなイメージを持つ彼女だが、意外にもドレスは少し抑えた感じで、だけどそれが逆に似合っている。


 彼女はステンノ家が誘った他の貴族の相手をしており、いつもとは違う姿に新鮮味を覚える。


「どう思う?」


「どう思うって……流石お貴族様の出身だなって――イタッ!」


 ガンッとランザとグラムに殴られた。しかもグーで。

 これが常人の拳であればそこまで痛くはないのだが……何せ凄腕の冒険者二名。

 ジンジンと響く頭を抑えながら俺は「なんだよ」と不満げに言う。


「今の言葉、あいつの前で言ったら次は斬るぞ」


「そうだそうだ」


 グラムの言葉に、ランザが同調する。

 その青い眼差しを受けて、俺は少し視線を外して、ため息を吐いた。


「……ああもう分かったよ、綺麗だ、可愛い! 正直今すぐにでも抱きしめたい!」


「それなら……」


「だって……恥ずかしいじゃねえか」


「「…………チキンめ」」


「誰がだ!!」


 俺がランザとグラムを追いかけまわしていると、コホンと誰かの空咳が聞こえた。

 後ろを見ると、そこには初老の男性が立っていた。


「確か……リーシャの執事さん……何か用ですか?」


「お嬢様からお呼び出しです。三階で待っている……と」


「アイツが……?」


 ==


 何だろうか……ランザとグラムから見送られながら、俺は少し荒れた髪型を直してから三階の階段を上る。もうすっかり時間が経過していて、夕方から始まったパーティもいつの間にか夜になっていた。


「あ、ゼロさん」


 リーシャはとある部屋の前で待っていた。


「なんだ? あの話ならパーティが終わる頃に言おうかと思っているんだが……」


「いえそれとはまた別で……少し会って欲しい人がいます」


「会って欲しい人?」


「着いてきてください」


 俺の手を掴んで、リーシャはドアをノックする。

 すると中から小さな声で『おいで』と聞こえた。


「まあまあ、ずいぶんと可愛らしい顔じゃない。聞いていた噂とは大分違うわ」


 部屋の中はこじんまりとした雰囲気で、他の部屋よりも少し暖かった。

 部屋には家具らしき家具が何もなく、唯一、大きなベッドがそこにはあった。

 そこにいたのは金色の髪をした女性だった。リーシャに似ている女性だった。

 その女性はベットで横たわっていた。


「こちらゼロさん。私たちのパーティに所属している冒険者で【雷帝の魔術師】の異名を持つ凄い魔術師さんだよ」


「ど、どうも……ゼロです」


 ぺこりと一礼すると、その女性はクスクスと笑って。


「うふふ……お噂はかねがね。私はアイリス・アヴェイスティア・ステンノ。リーシャの母です」


「お母さん……ですか」


 とするとこの人が――【石化病】を患っている、リーシャの母親なのか。

 無意識に【鑑定】を使っていた――そこに表されるのは、危機的な状況に陥っているアイリスさんの容態。


「……まだ顔や上半身は無事なんですけどね」


 俺の様子に気づいたのか、そっとアイリスさんは自分の腰に掛かっているシーツを剥がす。白く美しい素肌から一変、無機質な石が彼女の足を覆っているのが見えた。


「お見苦しいものを見せてごめんなさい。元々魔力器官に問題がある方なのですが、まさかこんな奇病に患ってしまうとは……」


「お母さん……」


 薄っすらと涙を溜めるリーシャに、俺はアイリスさんの足に触れる。


「……すみません、俺でもこの病気は治せそうにないです」


「それでも治癒魔術を掛けて下さるのですね。ありがとう、少し気分が楽になりました」


 今の俺の技術だけでは不可能に近い。

 根本的に治すことは出来ない。石化を送らせるだけで精いっぱいだ。

 もしかしたらぬか喜びをさせてしまったのだろうか。

 自分の力不足が嫌になる……。


「本当に面白い人ですね。貴方は……リーシャから聞いていた話とは違う」


「リーシャから?」


 そう言えば文通をしていたと前にリーシャが言っていたな。

 俺のことなんて言ってたのだろうか……。


「負けず嫌いで高飛車。いっつも人を舐めた様な口ぶりで、自分の目的の為なら他人を騙すことだって厭わない人」


「リーシャー……!!」


「ま、待ってくださいゼロさん。これには訳が――」


 俺がリーシャに詰め寄ると、彼女はおろおろとしながら「お母様!」と少し口を尖らせる。いや、まあ俺も思い当たる事もまあまああるし、そもそも間違った事は言っていないので、尚更居心地が悪いと言うか、普段そんなことを思っていたのか……と思う。猛省。


「あらごめんなさいね? でも――『誰よりも仲間想いで、心に苦しみを抱えて生きていて、悲しい程に優しい人』……貴方と出会った日から、私の下に届く手紙の多くが貴方のことを書いているわ」


「……」


「最近だと『私の最愛の人』って……うふふ、何だか昔のことを思い出しちゃうわ」


「お母様っ!」


 リーシャがそれはもう憤死してしまうんじゃないのかってぐらい赤い顔をしながら、慌てて俺の耳を塞ぎにかかる。なんで俺なのだ……。


「お、お母様」


「あらもうお母様呼び? 嬉しいわねぇ……」


 クソゥこの子にしてこの親ありだ!

 何となく遺伝なんだなぁ……と思ってしまった。

 そう言えばお父さんもこんな人だったような……これで世界有数の貴族なのだから何とも言えない。


 リーシャの方を横目で見ると、彼女は何かを察したのか「お母さん、聞いてほしいことがあるの」と改まって言った。


「アイリスさん。今日俺達が来たのは、貴方にとある報告をするためです」


「報告? ま、まさかもう既に子供が? そ、そんなの早すぎるわ……!」


「いえそうじゃなくて。実は――――」


 俺がその事をアイリスさんに伝えると、彼女は暫しの間黙り込んで、リーシャにおいでと手を招いた。


「わぶっ――」


 リーシャは問答無用で抱きしめられた。ぎゅっと、力強く。


「く、苦しいですお母様」


「ありがとう……リーシャ。貴方は本当に強い子です。私たちの自慢の娘です――本当に、今までありがとう」


 涙を見せながらアイリスさんはただただ、そう呟きながら娘を抱きしめた。

 何年振りなのだろうか、他人である俺が邪推するなんて、それこそ邪悪だと思いながらも、俺はその光景をただただ見ていた。


 ==


「ごめんなさいね。本当にこの歳になると涙ももろくなって仕方がないわ」


 それから少しして、パーティの終了を合図する鐘の音が鳴り響き、リーシャは閉会のスピーチを伝えに先に下に戻って行った。

 後に続こうかと思ったのだが、その前にアイリスさんに引き留められて、俺は近くの椅子に座って彼女を見る。


「いえ……リーシャもきっと嬉しかったはずです」


「……ゼロさん」


「はい」


「貴方は冒険者をやってどのくらいですか?」


 俺はアイリスさんの言葉に記憶を思い出しながら「十年です」と言った。


「若いわねぇ……私が冒険者だってこと、あの子から聞きましたか?」


 コクリと頷く。


「そう……私もね、当時は魔界の進行が今よりずっと過激だったから、お金稼ぎみたいな感じで冒険者になったのよ。元より体を動かす方が性に合っていたしね」


 筋肉が削がれ、皮と骨になった腕を上げながら、懐かしむ様に語る。

 その眼差しには過去への憧憬か、少しばかりの安らぎを感じられた。


「楽しい事も、苦しいこともあったわ。その中で今の旦那さんを見つけて、冒険者を続けることに限界を感じて商業の世界に入ったの」


「そうして段々と商会が大きくなっていって、あの子が産まれて、そんな時ぐらいかしら……私が【石化病】に患ってしまったのは」


 そう言えば、前にリーシャから聞いた事がある。

 リーシャの持つ剣は元々アイリスさんが使っていたものだと。

 その枯れ枝の様に細い腕を見ると、哀愁が感じられる。


「私は……あの子になにもしてあげられなかった」


 苦しく、吐く様にアイリスさんがそう漏らした。

 シーツをぎゅっと握りしめながら、語り続ける。


「あの子はね……元々は虫も殺せないほど優しい子だったの。だけれど私のせいで変わらないといけなかった。あの子にはもっと別の、より良い道があったはずなのに……それを、私のせいで歪めてしまった……」


「アイリスさん……」


 アイリスさんもずっと、後悔していたのかもしれない。

 冒険者なんて危険な所なのは自分が良く知っているだろうに。

 それでも娘を見送った。それが自分のせいだと思いながら、それらを押し隠して。


「あの剣はね……私が見つけた【魔剣】です。効果も能力も知らない……だけど、どんな剣よりも頑丈で、強い武器」


 せめて、彼女を守れる強い剣を。

 その願いが込められていたのか、事実、あの剣は【神乃斬撃オリステラ・ノヴァ】にも耐えた。


「私はなんてひどい母親なのでしょう。我が娘の未来を捻じ曲げて、だけれど言えなかった……自分の命が惜しいばかりに、幼いあの子に重い運命を課してしまった」


「…………」


 俺には何も言えなかった。俺には母親と呼べる人も、父親と呼ぶ人もいない。

 教会のシスターに育てられた。だけど俺はあの人達の事をまだ一度も親と呼んでいない。そもそも親とすら思っていない。


 俺はまだ子供だから、そんな俺が親の気持ちになんてなれない。

 親がいないから、親の気持ちにも子供の思いにも察せない。

 だけど――リーシャあいつの仲間としてなら、一つ言えることがある。


「リーシャと最初に出会ったのは、とあるダンジョンの最深部でした」


 過去を思い出すように、俺はアイリスさんに語った。

 俺の人生と、出会いから今までのことを。

 沢山の思い出があった。嬉しい事も、ちょっとしたすれ違いも、喧嘩したことも、仲直りしたことも。


 全部全部、かけがえのない、俺の大切な思い出だ。


「リーシャは食べ方が綺麗なんです。俺らは基本手づかみかフォークですけど、彼女はキチンと音を立てずに丁寧にフォークやナイフやらを扱えます。こういう場にも出席できるくらいのテーブルマナーは、実はあの子から教わったんです」


「それに字も達筆です。あいつのお陰で、俺も字上手になりました。今回のパーティのお誘い状を書いたのは実は殆ど俺です」


 その後も俺はリーシャの事について語り続けた。

 剣が上手いだとか、買う時の交渉術が上手だとか。

 少しお金使いが荒い時もあるけど、それも仲間の為だったり、安全の為ならとことんお金を惜しまない性格だった。


「それに……リーシャは貴方の事を一度だって悪く言わなかった。寧ろ楽しそうでした。貴方との思い出は今でもリーシャの心の中に残っているんです。楽しい話、笑い話として語るリーシャの顔を、俺は一生忘れないと思いました」


 一通り話終えた俺に、アイリスさんは横に付いている窓ガラスを眺めながら、ぽつりと呟いた。


「……凄いわね。私の知らないことばかり」


「ええ。ですが俺もまだ本当の彼女を見た事がありません。俺が見たのは所詮『仲間』としての一面ですから。――『家族』に見せる顔とはまた違うはずです」


「家族…………」


 窓ガラスに映る景色は、夜空で埋め尽くされ、星が瞬いて見える。

 年越しには最高の景色だ――柄にもなくそんな事を思いながら、ふと、あの日の夜の事を思い出しながら、俺はアイリスさんに告げた。



「俺はリーシャの事が好きです。大好きです。いずれ告白しようかと思います。結婚を前提にお付き合いさせてもらいます。俺は彼女の笑った顔が大好きです。彼女の幸せがたまらなく愛おしいのです。……だけど、その笑った顔を、貴方にも見せてあげたい。時間なんてまだまだあります。遅いなんてことは無いです。今からでも十分間に合います」



 そうだ。少なくとも互いが互いを思い合っている以上――時間なんて些細な問題だ。

 少なくとも俺はそう思う。家族がいない俺だからこそ、この二人には以前の様にわだかまりも無く仲良くしてほしい。


「……本当に、歳を取ると涙もろくなって困りますわ」


 その時、窓に映る夜空から一つの流れ星が流れた。

 その流れ星はあまりにも美しく、その時アイリスさんは俺の手を包んだ。

 優しくて、少ししわがある、温もりの手だった。



「ゼロさん……リーシャのことを、よろしくお願いします……」



 ==


「……年を越す前に、俺から一つみんなに頼みたい事がある」


 パーティが終わり、諸々の客が帰って後は冒険者しかいなくなったのを見計らって、俺は壇上に立ち上がって声を上げる。


「この年は色々あった――本当に、ありすぎて、何を語ればいいか分からないほどに多かった」


 本当に、多くの事があった。絶望と祝福の年だった。

 俺は深く息を吸って、リーシャを見る。


「……」


 こくりと頷いたのを見て、俺は言った。


「実は昨日、かねてより捜索していた【氷寿華】が見つかった。――難易度Sを超える迷宮の最深部に生息するらしい。生き延びた冒険者がそう言ったから間違いは無いだろう」


 しかもその迷宮は常に変化するらしい。変化する迷宮は、何といっても【攻略図】が無いのがその難易度を高くしている理由だ。しかも道中に出てくる魔獣は軒並みランクが高いと来た。


「正直に俺達では中層部がいいところだ。最悪死ぬかもしれない――」


 だからこそ――俺は頭を下げて言った。



「お願いだみんな――俺達と一緒に冒険してくれ」



「わ、私からもお願いします……! 元より私の問題です」


「お願いします……」


「お願い……」


 リーシャとリリムとディジーが、その場で頭を下げた。

 周りからの音が完全に消えて、俺はただ必死に頼みこむ。

 正直、こんかいばかりは断られてもしょうがないと思っていた。

 時間、お金――何より命が掛かっている。しかもその理由が大義名分でも何でもなく、ただ一人の命を救いたいがためだ。


 そのうちの一人が、ため息を吐いて食器を置く音が聞こえた。


「――んで、俺らはどうすればいいんだ?」


 顔を上げるとそこにはグラムがいつもどおりの顔をしながら、俺の肩に手を置いて言った。


「グラム……」


「んま、いつも俺の我儘ばっかだったからな。少しぐらいは恩返しさせてくれ」


「えーグラム、それなら私たちの恩はいつ返してくれるの?」


「そ、それは……えと、ブランド品で宜しいでしょうか?」


「ま~それなら良いや! そう言う事で私ら【夜明けの星】は参加するよ。ゼロくん」


「し、師匠たちの為なら!」


「いつも私たちお世話になったからね……それに、仲間の頼み事は断らないよ」


「ああ――俺達は【仲間】を見捨てねえ」


 バンッ! と背中を叩いたグラムは、いつもみたいな屈託ない笑顔を俺に向けた。

 まだ……俺のことを【仲間】として見てくれているのか。

 あれだけのことを……裏切りも同然の俺のことをまだ……。


「……って、なに俺達が行かない感じになってんだ、コラ」


 リーシャの目の前にランザ達が来て、リーシャ達に頭を上げる様に言う。


「勿論俺達も行くぜ……お前ら【黄金の夜明け】には借りがあるからな」


「う、うん……僕も行くよ」


「みんなでなら……大丈夫です」


「それに……友達ダチの頼みを断るやつがいるかよ」


 ランザが俺にそう笑いながら言って「これで全員揃ったな」と言った。


「お、お前ら……」


 俺は涙を堪えながら、ただ深く頭を下げる。

 本当に色々なことがあった。

 仲間――その意味が少しだけ分かったような気がする。


 俺はみんなに向かって言った。


「ありがとう……! 絶対、誰一人欠ける事なく踏破しよう」



 ==



 そうして数週間後、迷宮の入り口の前に俺らは集まっていた。

 それぞれが万全の準備をしてきて【ステンノ商会】もバックに付いている。

 俺は小さな短剣を装備して、動きやすい軽装で挑むつもりだ。

 今回は魔術師が四人もいる。前衛もばっちりだ。


「ゼロさん……」


「なんだ?」


 早朝だからか、少しばかり寒い。

 冒険者ギルドに連絡を送りながら、俺は最後の確認作業をしている時に、リーシャが俺を呼んだ。


「ありがとうございます。――まさか、こんなにも早く夢が叶うなんて……」


 リーシャの歓喜の言葉に、俺は苦笑しながら言う。


「まだ見つかってすら無いだろ……その台詞はその時にだ」


「あ、そうですよね……すみません。でも、嬉しいんです」


 リーシャは溢れる笑顔を振りまきながら、俺の裾を引っ張って指を指す。

 そこにはみんなが各々の支度を終えて、酒場で軽い食事をしている姿だった。

 その光景を見てリーシャは感動しているらしい。

 俺は、まさか酒なんて頼んでいないだろうな……とすら思わないのだが。


「私はここに辿り着くときには、一人だと思っていました」


「え……?」


「私は一人でこのダンジョンを受けると思っていました。リリムちゃんやディジーちゃんも、頼れる仲間ですが、ですがやっぱり死ぬ事を考えると、私一人で向かっていたと思います」


 そうなのか――確かに、リーシャはどこか自分一人でやる傾向があった。

 もしも俺がいなかったら、その可能性は確かにあっただろう。


「ですがゼロさんに会えて、皆さま方と知り合って、私は変わりました――人を頼っても良いのだと、私は――。それが仲間なんだと私は思います」


 相手を想い、その為なら例えその人が傷ついてでも行動する。

 その人の居場所を作ってあげる、あるいはなってあげる。

 その人の為ならば我が身を犠牲に出来る。


 そして……絶対に後悔しない間柄――それが仲間だとリーシャは言った。


【仲間】の定義は何だろうか、そんなこと、例え賢者であっても分からないだろう。

 だけどそれが良い事なのは明らかだ。


 誰かが誰かの為に行動する――それを【仲間】だと定義するつもりはないが。


「あぁ……確かにな」


 確かに、俺もこいつらとなら何があろうと絶対、後悔はしないな。


「だけどなリーシャ。俺はここに後悔しに来たわけじゃない――俺達はここに夢を果たしに来たんだ」


「ゼロさん……」


「言っただろ? 俺がずっとお前の傍にいるって――だから大丈夫だ」


 そうだ。俺達はここに死に来たわけじゃない。

 無事【氷寿華】を見つけて、アイリスさんを助けて、リーシャの夢を叶えさせる。

 希望を掴みに挑むんだ。


「おーい! そろそろ行くぞお前ら!」


「早くしてよー!」


 グラム達が迷宮の入り口付近で俺達を呼びかける。

 気づいたら結構話していたな……。

 俺は手荷物を持って、リーシャの手を掴む。



「行こう、リーシャ!」


「はい……!」


 俺はリーシャの手を引っ張って走り続ける。


 こうやって、俺達はこれからも幾度となく冒険するのだろう。

 時に泣くかもしれない、時に苦しむかもしれない。

 あの時みたいに死にそうになるかもしれない。


 だけど、俺は幸せだ。


 この先、何があっても絶対に後悔しない――そう思える奴らに出会えたんだから。



【終】


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【雷帝の魔術師】の成り上がり~魔術が扱えないからと追放された【雷帝の魔術師】は底辺冒険者パーティに拾われる~ 天野創夜 @amanogami

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ