最終決戦

 場面は切り替わったかのような静けさに包まれていた。

 爆発音も派手な粉塵もなにも無い。

 まるで――最初から何もされていないとでも言いたそうに。


「……っ、貴様それは――」


 青白い魔術陣を目の前にして、ようやくエアリアルは事の詳細を把握したのか、顔を僅かにゆがめる。


「【因果逆天アイロメア・コーズ】は……因果律に干渉して、事象を巻き戻す魔術だ」


 更に詳細になると、この魔術が発動した時点へと時を戻す秘術。

 何故秘術かというと、べつに秘匿する魔術な訳でもないが、今まで誰にも出来ないものだからだ。


 術式を逆転させ――それは例えば、血液を逆流させている様なものだ。

 理論的には可能とされているが、その領域に辿り着くまでには人間の寿命では不可能とされた。


「不可能だ。お前の手負いの魔力量だけでは、決して不可能だったはずだ……」


 勿論この魔術をエアリアルは知らない訳がない。

 だが当の本人は、顔に手を当てて信じられないとばかりに呟く


「貴様……その魔術を達成させるのに――何を犠牲にした!」


 口から血が止めどなく溢れ続ける。

 内蔵が破裂したような痛みが続き、意識が朦朧としてくる。

 一分一秒が惜しい。この身体は直ぐにでも崩れ落ちる。


「さあ……な。まあ、寿命辺りだろう」


 喉を血で染めて、俺は手を上に上げて詠唱を始める。


「――雷鳴轟き 電光瞬く空 震え立つ

 大自然の力我に宿り給え草木震わせ天地揺り動き

 雷神の怒り汝に宣せん雲間から放て 天空を貫き破天へ轟け

 万雷鳴り響き我が意思と共に 勢い解き放て雷神の加護下 千刃舞い踊る」


 俺は、記憶を失う前の俺は狂ったように自室に篭って魔術の勉強ばかりやっていた。


 その中には、自然界や、神の世界——所謂、神域についての文献もあった。


「燃え上がれ炎よ、大地を照らし太陽の輝き火花散らせ、我が手に宿り焔の力を与えよ」


 元は呪術を調べたかったのだが、呪いと自然界は同一のものとして書かれていた。

 それ繋がりで魔王、最終的に神に至るまでになった。


「澄み渡る水よ流れを纏い深淵の秘密、この手に宿せ大海の神秘、汝に顕現せん」


 神の文献には面白いものがあった。

 神の力——所謂、【天上の力】とも言うものだが、その力は凄まじいものだと記述されていた。


「渦巻け旋風 世界を包み込め自然の息吹 創造を駆り立て、疾風に乗りて 空高く舞え

 我に進む道を示せ」


 俺は、とある一つの疑問を頭に過らせた。記憶を失う前の、狂った俺が抱いた妄想。


 それは――自然界へコンタクトを取れば、こういった事象は意図的に起こせるものなのか――? というものだった。


「大地謳えば 土精霊舞い踊る豊かな実り 生命を育み我が手に力 与えし賜物よ堅牢な結界 この身に纏い地の根源 我に宿り給え」


 結果的に、それは不可能だという事が分かった。

 エアリアルの攻撃を見て、あれが自然界に通じるものでは無い事が分かったからだ。


 だけど――エアリアルを見て、気づいた事がある。

 オルトリウムが言っていた通り、【神級魔術】は神域に通ずる魔術であり、通常の魔術とは格が違う。


 ――だけど、己の魔力を使うのは一緒だ。


「何を……!」


 そして今しがた起させた【因果逆天アイロメア・コーズ】——これは単に神級魔術を防ぐために展開した訳ではない。


 喰らっておきたかったのだ。あの絶級なる威力を持つ神級魔術を。


 思考を加速させる。今まで試した事が無い――いや、誰も試した事が無いものをやるのだ、注ぎ込む魔力の調整と、己の体に刻まれた術式を総動員させて、全く新しいものを作る……!!


 新しい魔術を考えた事はあるが、術式そのものを造りだすのは初めてだ。

 火と水と風と土と、そして雷が周囲で暴風の如く吹き荒れる。

 両手を真ん中に寄せて、その時、虚空から黒い球体の様な物が出現した。


「全属性を均一にぶつけて……だが、自然界の魔術で私を殺す事は――」


 凄まじい威力を誇る魔術だ。その余波に、雷が皮膚を焼き切る。

 切り傷の様なものが増え、血が出る。

 治癒魔術は切ってある。そして……ここからが、正念場だ。


「こんなもんで……終わるかよ」


 その時、黒色の球体の表面に――白い点が出現し始めた。

 それはぐるぐると、円環を模した様に回り始めた。

 それを見たエアリアルが信じられない様に声を絞り出す。


「あれは……【神級魔術】!? どうして人間であるお前が――」


 同じ魔力でやるのだから、そして俺は【神級魔術】をこの目で見て、実際に喰らって――。


 ならば、出来ない道理は無い。


「【王冠Keter】【知恵Chokhmah】【理解Binah】【慈悲Chesed】【峻厳Gevurah】【Tiphereth】【勝利Netzach】【栄光Hod】【基礎Yesod】【王国Malkuth】【知識Da'at】」


 その時、エアリアルが危機を察知し、こちらに突っ込んできた。

 この魔術が如何に危険なのかがようやく理解したのか。

 その反応だけで分かった――この魔術はエアリアルにも効く。


「クッソ……!」


 だが悲しいかな。エアリアルの突撃に対する反撃も防御の手立ても、俺には無い。

 最悪だ――まだ途中段階だが、このまま放つしかないのか……!


 だが未完成の術で何が出来る……!? 

 しかもこの術式は少しの衝撃で簡単に破綻する。

 それほどまでの複雑な術式だ。流石の俺でもアイツとの攻防戦と片手間に出来る様な代物ではない。


「お前の雷魔術――素晴らしいものだが、その魔術はマズい気配がする」


 右手に魔弾を出現させたエアリアルは、その右手を俺に掲げて突っ込み――。


 ――その右手ごと、飛来してきた一本のナイフが突き刺さった。


「んな……っ」


「ようやく……隙を晒したわね」


 後方の方で、白銀髪の少女――シーラがそう口元に笑みを浮かべて、もう片方の手に持ったナイフを投げる。


「こざかしい、黙っていれば殺さずにすんだものを……むっ!?」


 多数の大小の魔力弾が飛び交い、エアリアルの方へと向かう。

 エアリアルは魔弾を中止し、握りしめた拳でそれらを打ち砕いていく。


「師匠の役に立つために……! 師匠、今のうちに!」


「うん! 


 後方でシノが杖を地面に支えながら立ち上がり、魔弾と治癒魔術の両方を使用している。エアリアルとの戦闘で付けられた傷が癒え、枯渇寸前だった魔力が回復している。


 二つの術式を同時併用するとは……シノの成長に僅かに感動する。


「……っ! 魔族を……四天王を舐めるな!」


 エアリアルがその銀髪を乱しながら、右手に剣を持つ。

 魔力で生成された剣だ。姿勢を低くして魔弾を交わしながらこちらに来る。

 しかし、前に出たのは猫耳を生やした小柄な亜人――アスラ。


 アスラは小さなダガーを振るい、単身エアリアルに突撃する。


「……っアスラ、」


「レイさんの……為に! 【夜明けの星】の皆さまの為に……!」


 だが無謀だ。そもそもとしての膂力が違うし、第一、アスラにはその義務がない。

 だがアスラは決死の覚悟で何度も突撃している。次第にエアリアルも本気で殺しに掛かってきているのか、横凪ぎの一撃で容赦なく後方の壁まで叩きつけられた。


「……!」


 ――もう良い! そう言いたいのに、俺は言えなかった。

 それほどまでに、アスラの――覚悟が伝わっていたからだ。


 詠唱を続ける。


「【暗黒 Darkness】【無神論Atheism】【愚鈍Stupidity】【反感Antipathy】【無知の深淵The ignorance abyss】【無感動Apathy】【残酷Cruelty】【醜悪Ugliness】【色欲Lust】【強欲Greed】【不安定 Instability】【物質主義Materialism】」


 頭上に光の紋が出現する。

 今俺は、神域に踏み込んでいる。

 分かるのだ。世界が、全てが輝きを放つ。


「――だが、既に射程距離内に入っている! ここで死ね、ゼロ!!」


 だがその時には既に、エアリアルの凶刃は俺の喉元まで直ぐ来ていた。

 黒色の絶剣が、恐らく人を殺すのに多すぎるほどの威力を秘めた魔剣が――。


 だけど、俺は何故かちっとも怖くなかった。

 だってそうだろう? 魔術師である俺には、頼れる仲間がいるんだから。

 もうパーティじゃないけど、仲間ではないと言われたけれど。

 それでも――。



「ぐ、おおおおぉぉぉ……!!」



 グラムバーン・アストレアは、俺のただ一人の親友だ。

 グラムは血を吐きながら、俺の前に立ち、剣を振るってエアリアルの剣を抑え込んでいる。

 

 ――その時、術式が完成した。


 黒色の球体は、渦を巻き始め、様々な属性が混流している。

 それは神さえも喰らうナニカ。

 全てを巻き込み、渦らせた、万物の起源に近しいもの。


「やっちゃってレイ君!」


 グラムの隣で、倒れそうになるグラムを支えているユイがそう言った。

 グラムが横目でチラと俺の方を見る――『やっちまえ』そう言っている様な気がした。


「名付けるなら――【渦】」


 シーラが、シノが、アスラが、ユイが、そしてグラムが繋いで、俺に託したこの刹那。


 俺はその渦をエアリアルの方に向けて――瞬間、暗闇が世界を覆い尽くした。

 空間を削って、嬲って、ぐちゃぐちゃにしたかの様な奇妙な感覚。

 冷たいのか、温かいのか、分からない。


 ただただ、分からない。理解不能。だけどその闇は徐々に晴れてきて――。


 ==


「ごめんな、レイ」


 淡い世界に、見知った金髪がいた。


「謝るなよグラム……謝るのはこっちの方だ」


 僕は自分の髪を僅かに撫でる。

 さらさらと、白くなった髪を。


「ごめん――そしてありがとう。記憶が失う前の僕を支えてくれて、ありがとう」


「…………」


 絶句、なのかグラムはしばらく呆けていて、やがてクツクツと笑った。

 その態度に僕はムッとしながらも、つられて笑ってしまった。

 こんな風に笑い合える日が来るとは思わなかった。久しぶりに見たグラムの笑い顔は、こっちが泣きたくなってしまいそうになるぐらい、晴れ晴れとした表情だった。


 ==


「はあ……はあ……はあ……っく」


【渦】の影響か、それともこの一撃で決壊したのか――ダンジョンが崩壊する。

 そんな中、地響きが鳴りガラガラと瓦解していく室内に、俺とエアリアルは対峙していた。


 今のはなんだったのだろうか――幻覚なのか幻想なのか、けどそれにしてはどこか現実っぽかった。


「奴らは……そうか、転移魔術か」


 俺以外の人気ひとけの無さに、エアリアルはそう呟く。

 奴の体は脇腹付近に大きな穴が開いてあった。

 その穴から粘性を帯びた血液が流れている。


「無駄だ……」


 俺が手を振り上げると共に、エアリアルはそれを制した。

 己の崩れ逝く体を眺めながら、ぽつりぽつりと呟く。


「もう私にお前を討つ手立てはない……今も体の崩壊が止まらずに、このままだと私はすることになるだろう」


「だろう……な」


【渦】は万物の終焉をもたらす。

 その傷は決して癒えない。それは幾ら高度な治癒魔術を有しているエアリアルだろうとだ。


 血に濡れた髪を撫でて、俺は尚真正面を向く。


「どうせ魔界に戻る手段があるんだろ?」


「無論だ。だがこの傷だと完全回復するのに時間が掛かる。……今日の、この件は魔王様に報告しなければな――まさか、矮小なる人間如きが【神域】に踏み込んだと」


「ついでにこれも報告しろ。いつか絶対お前も殺してやるって」


 べえーっと舌を出しながら、俺はそう言ってやる。

 暫しの静寂が流れて、振動音だけが辺りを木霊する。

 さらさらと真っ黒な煤になりつつあるエアリアルが最後、俺に言った。



「さらばだ【雷帝の魔術師】——貴様との闘いは実に、百年ぶりの渇きを癒すほどに楽しかった」



「……俺もだよ」


 その言葉と共に、エアリアルの肉体は灰塵となって消滅した。

 俺は僅かにため息を吐いた。どっと一気に疲れが出た様な気がする。

 壁に手を当てながら、俺は半壊した扉を出て、壁画が描かれている壁に全体重を預けながら、じりじりと這いずる様に前に行く。


 既に魔力はカラカラで、特に最後の転移魔術はヤバかった。

 エアリアルの最後を確認するために残ったとはいえ、意識のない皆を転移するのは相当疲れた。



「あぁ、本当に疲れたな」



 ガラにも無く独り言を呟く。

 その独り言は壁に吸い込まれて、誰にも届きはしない。



「帰ったら、そうだな……取り合えず酒でも呑みたい。浴びる程、バカみたいに呑んで、思い切り泣きたい」



 ここまで色々なことがあった。それらを一つずつ思い出しながら涙を流すのも良いかもしれない。とにかく、誰かに伝えたい――俺は頑張ったんだぞって。

 頑張った……本当に、ガラにもなく、頑張ったんだ。



「あとは……そうだ。ディジーに魔術教えてあげないとな……シノとは良いライバルになるだろう」



 ディジーは本当に良く成長した。もしかしたらあと数年で俺と同等レベルになるぐらいの素質を秘めている。久々に教える事の楽しさを知った。



「リリムと買い出し行って、そうだな……今度はアイツの好きなものを買うのも良いだろう」



 リリムは甘いものが大好きだ。いつも節約のため買う事は禁じていたが、たまの日ぐらいには良いだろう。俺も、甘いものは好きな方だし。

 彼女は本当に我慢させている。友達思いのいい子だ。甘やかしてもバチは当たらないだろう。



「あとは……」



『――約束、ですからね』


 その時、俺の頭に誰かの声が響いた。

 凛としていて、だけどどこかなよっちい。

 だけど、何度も聞いていたい声だった。何度も、会いたいと思った。

 その声に、何度も助けられた。恐怖に挫けそうになった時も、どんな時も。


「そうだ、俺は……」


 俺は、約束したんだ。

 ディジーに魔術を教えるって、約束した。

 リリムに買い物手伝ってやるって、約束した。


 リーシア……俺は、リーシアに――。


 必ず帰ってくると、言ったんだ、約束したんだ。


 君の為に、君だけの為に、帰ってくると。

 あの雪の舞う温泉街で、約束した。

 今でも憶えてる。忘れるはずが無い。


 俺は―――。



「……ご、あ……」


 ゴッと硬いものが後頭部にぶつかって、俺は糸が切れた人形のように倒れ込む。


 落石が当たったのか――それは頭から流れ出る血が教えてくれた。

 既に血も、大分流れ出ている。

 意識は既に魔力欠乏症で朦朧していて、視界は赤く染まっている。


 その時、衝撃で落ちてしまったのか、あの日リーシャから貰ったペンダントが手元にあった。


 それを手探りで取って、強く――血が出るぐらいに強く握りしめる。


 治癒をしようにも魔力がないから魔術が使えない。

 吐きたくなる様な気持ち悪さに、俺はごろんと仰向けになった。

 黒色の、どこまでも黒色の冷たい天井が、じわじわと広がっていく様な気がした。


「おれは……リーシャに……みんなに……」


 じわりと、涙が溢れてきた。

 声が震えて、悔しさのあまりに嗚咽さえ零れ出る。

 予感していた。覚悟はしていた。こういうことになるだろうとは思っていた。


 それでも……それでも……!!




「みんなに……もう一度――みんなにもう一度、会いたい」




 ついに地面が崩落して、俺は落ち続ける。

 暗黒に呑まれるような感覚に、俺はただ涙を零して。

 びゅうびゅうと風が吸い込んで、ただ最後の意地にと右手に持ったペンダントだけは離さずに。


 ――ぐしゃりという音と共に、俺の意識は潰えた。
























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