割り切った関係

大隅 スミヲ

割り切った関係

 待ち合わせは、15時だった。

 麻布十番にあるオープンテラスのカフェ。

 近くに着いたらメッセージを送るという約束で、彼と会うことになった。


 彼との出会いは、マッチングアプリだった。

 42歳、独身。外資系コンサルタント企業に勤めているとプロフィールには書いてあった。年齢はわたしよりも20近く上。どちらかといえば、父親に近い年齢。

 写真でみた顔は、ちょっとサルっぽいところがあったけれども、42歳にしては若く見え、全然許容範囲だった。

 割り切った関係、希望。

 プロフィール欄にはそんな言葉が書かれている。

 割り切ったとは、どういうことだろう。体だけの関係を求めているということだろうか。

 気になってしまい、彼にメッセージを送ったことからはじまり、やり取りをしているうちに一度会ってみようということになった。


 パパ活。そんな言葉がある。女性が男性に食事を奢ってもらったり、場合によっては生活費の面倒まで見てもらうこともある関係のことだ。お金持ちのパパが、若い娘とのひと時を楽しむ。男性は妻帯者であったりする場合もあるが、会っている時だけの関係。それ以上はお互いに踏み込まない。それが理想のパパ活らしいが、実際には肉体関係を求められたり、酷い場合には騙されてヤルことだけヤッて逃げられてしまったり、逆美人局のようなパターンで怖いお兄さんが出てきて風俗に沈められてしまうというパターンもあるようだ。

 わたしは、パパ活をするつもりで彼と会うわけではなかった。べつにお金に困っているわけでもない。ただ、彼と実際に会って話をしてみたい。そんな軽いつもりで、彼とアポを取ったのだ。


 カフェの前についたわたしは、メッセージアプリを使って、彼に連絡をいれる。

『いま、つきました』

 すると、すぐに返事が来た。

『こちらもつきました。オープンテラスの一番端の席にいます』

 そのメッセージを確認したわたしは、慌ててテラス席へと目を向ける。

 一番端の席。そこには、ひと目でブランドものとわかる高そうなスーツを着た男が座っていた。顔は写真で見たままの、ちょっとサルっぽい顔。

「すいません、お待たせしちゃいましたか」

「いや、僕もいま来たところですよ」

 彼は席から立ち上がってわたしにいうと、椅子を引いて座らせてくれた。

 店員への対応もスマートで、わたしの飲み物を注文し終えたところで、ようやく落ち着いたように話をはじめた。

「こういう場合は、はじめましてって言ったほうがいいのかな」

 ちょっと照れくさそうに彼はいう。

 彼によれば、マッチングアプリを使って人と会うのは初めてのことだそうだ。

 彼は自分の話をしたかと思えば、わたしにうまく話を振ってくれて、わたしの話をじっと目を見ながら聞いてくれた。

 きっと、いままでも上手な恋愛をしてきたのだろうな。

 それが彼に対するわたしの抱いた感想だった。


 カフェを出たあとは、少し街を散歩して、彼が予約をしたというレストランに入った。

 レストランは高級というほどではなかったが、普段であればちょっと入るのを躊躇ためらうくらいの敷居の高さはある店だった。

 ワインで乾杯し、コース料理を堪能した。

 彼はメッセージのやり取りの中で、さりげなく事前にわたしの好きなもの、食べられないものなどをリサーチしていた。

 そのことに食事の途中で気づき、やっぱり彼は恋愛上級者なのだと理解した。


「そういえば、割り切った関係って、プロフィールのところに書いていたけれど、割り切った関係っていうのは、どういう関係のことを指すの?」

 ワインで少し酔ったせいだったかもしれない。わたしはずっと疑問に思っていたことを彼にぶつけていた。

「うーん、そうだな。面倒くさくない関係かな」

「面倒くさくない関係?」

「そう。面倒臭くない関係」

 彼は笑いながら言った。綺麗にホワイトニングされた白い歯が輝いて見えた。


 食事を終えて店を出る時に気づいたのだが、彼はすでに会計を済ませており、わたしに財布を出させる隙も与えようとはしなかった。

 そして、なにやらスマホを操作した後、カバンから封筒を取り出した。

「きょうは、ありがとう。これ少ないけど、タクシー代」

 そういって、彼はわたしに封筒を渡してくる。

 え、いや受け取れない。そんなつもりじゃ。わたしは色々と言い訳をしようとしたが、彼は「いいから」といってわたしに封筒を受け取らせた。


 目の前にタクシーが停まった。どうやら、先ほどスマホをいじっていたのはアプリを使ってタクシーを呼ぶためだったようだ。

 少し酔っていたわたしは、彼にタクシーに押し込まれるような形となり、後部座席にすっぽりと収まってしまった。

「じゃあ、またね」

 そう言って彼はわたしのことを見送った。


 割り切った関係。その言葉だけがわたしの心に残っていた。

 そして、わたしはまた彼に連絡を取り、会う約束をしていた。


 沼る。そんな言葉がある。

 底なし沼にはまってしまうように、なかなか抜け出せなくなってしまうことをいう。

 わたしは、彼に沼ってしまったのだろうか。

 気がつくと、彼のことばかりを考えている自分がいる。

 はやく彼に会いたい。


 そのあとも彼とは何度かデートをしたが、まだ彼とは体の関係にはなっていない。

 いつも、食事やお酒を飲んだあとで、わたしは帰らされてしまうのだ。


 これが彼のいう「割り切った関係」というやつなのだろうか。


 もし、そうであれば、わたしは彼と「割り切った関係」を終わらせたいと思っている。彼に抱かれたい。いつの日からか、わたしはそう思うようになっていた。


 彼はわたしのことを抱いてくれるだろうか。

 そう思いながら、新しい下着を身に着けてデートに出かける。


 きょうこそは。

 その思いをわたしは胸に秘めて、きょうも彼とのデートに出かけるのだった。

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