天球の夜明け
亜瑠真白
第1話
「大人一枚、お願いします」
私が声をかけると、チケット売り場の奥から30代くらいの男の人が顔をだす。館長の安達さんだ。
「お仕事お疲れ様。今日もゆっくりしていってね」
そう言って入場券を手渡した。
「それでは今日の星空を眺めてみましょう」
安達さんの穏やかな声を聞きながら、私は頭上に広がる満点の星空をぼんやりと眺めた。
プラネタリウム、30分300円。行政が運営しているこのプラネタリウムは、目新しいプログラムこそないけど値段が安いため、日中は地域の家族連れでにぎわっているのだという。でも私がここを訪れるのは決まって日曜の夜。「ナイトプラネタリウム」が行われる時だけだ。
「皆さんの真上には秋の四辺形が見えますね」
今回も来ているのは私一人だけ。暗いドームの中で、星のわずかな明かりと安達さんの声が私を包んでいる。まるで空に浮かんでいるみたいな、そんな不思議で心落ち着く時間。
「今日は秋の四辺形を構成する星座に関する話をしましょう」
あたりが明るくなって、私は目を覚ました。
「今日もよく寝てたね」
ニコニコとした表情で安達さんが私の側にやってきた。
「すいません、毎回毎回……」
「いいのいいの。理香ちゃんがちょっとでも元気になるならそれで充分」
「ありがとうございます」
三か月くらい前に不眠で悩んでいたけど、仕事終わりにふらっと訪れたこのナイトプラネタリウムで眠ってから症状が緩和するようになった。それ以来、週一回ここで寝落ちするのが習慣になっていた。
「それにしても、今日は寝るのが早かったね。お仕事大変なの?」
「はい。受験が近づいてきて、生徒も先生も緊張感が増してきたというか……」
塾講師として働き始めて二年目。今年からは受験生の生徒も受け持つことになって、他人の人生を背負っているという責任感に日々押しつぶされそうになっていた。
「そっか。頑張ってるんだね」
この優しさに私は支えられている。前に「毎回私しか来てないのに上映してもらうのは申し訳ない。せめてもっとお金を払わせてほしい」と安達さんに話したときがあった。でも安達さんは、「お金は日中の上映回分で間に合ってるから大丈夫。これは私の趣味みたいなものだから」と言って申し出を断った。ナイトプラネタリウムの時は安達さんが一人で運営している。優しさに甘えてしまっているのは分かっているけど、この時間がないと私は明日からも気を張って生きていけなかった。
翌週、いつものように私はプラネタリウムを訪れた。
「大人一枚、お願いします」
奥から出てきたのは、知らない若い男だった。
「君が『眠れる天球のお姫さま』かぁ。安達さんから話は聞いてますよ」
「なんですかそれ!?」
変な呼び名に思わず声をあげた。
「僕も詳しいことはよく分からないんですが、嬉しそうによく話していましたよ」
お姫さまって……幼少期以外に呼ばれたことのない言葉に思わず顔が熱くなった。
「今日、安達さんはいないんですか?」
「今週からご家族の事情で一か月休職しているんです」
「そうなんですか……」
「それで申し訳ないんですけど、ナイトプラネタリウムはしばらくの間お休みさせていただきます。安達さんじゃないと星座の解説ができないので」
そう言われて仕方なく施設を後にした。
「寒……」
外は肌寒くて身を縮めた。いや、きっとそれだけじゃないな。安達さんに会えなくて心に穴が開いてしまったんだ。
空を見上げると、いくつか明るい星が見える。先週話してた秋の星座、ちゃんと見つけ方を聞いておけばよかった。
視界がぼんやりと歪んで、星の光が滲む。あ、泣くみたい……
「なにか星座は見つけられた?」
その声に驚いて振り返る。そこには安達さんの姿があった。
「秋の四辺形を構成する星座の一つであるアンドロメダ座は分かるかな?」
いつもの穏やかな声でそう言った。
「え……?」
安達さんは夜空を指さす。
「まずは真上を見上げて四辺形を探す。これが秋の四辺形。そしてその北西の星がアンドロメダ座の一部になってるから、それを頂点としてAみたいに並んだ星を探す。それが星座の頭の部分になってるんだよ。見つけられそうかな?」
「どう……して、ここにいるんですか」
「先週、理香さんにお休みするって伝え忘れてしまったから、今日来ているかなと思ったんだ。母親が腰を痛めてしばらく実家の仕事を手伝うことになってね。会えてよかった」
安達さんの声に安心すると、押さえていた感情があふれ出した。
「私……もっと安達さんの話、聞きたいです! 今度はちゃんと起きてますから!」
安達さんは優しく笑った。
「じゃあ、これから食事でもどうかな? 星の話なら朝までだってできるよ」
「はい、喜んで!」
たくさん話を聞こう。夜明けまで星の話を聞いたら、その後はあなたの話を聞かせてくれませんか?
天球の夜明け 亜瑠真白 @arumashiro
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