ひまわり畑で続きをきかせて

 一文字だけカタカナにしたタイトルと同じように登場人物の名前が、
 ヒルルシャント
 クェインツル
 とくれば、言葉に対する独自のセンスがある人なんだと想った。
 それぞれ、ヒート(本名)とクール(あだ名)だ。
 ヒルルシャント、クェンツルと、何度も口にしたくなる。

 10歳で分かれた友人と18歳になってから再会するのは、どんな気持ちがするのだろうか。
 完全な子どもから、ほぼ大人のかたちとなる青年期。この八年の間には、肉体的にも精神的にも劇的といっていいほどの成長が含まれている。
 主人公が逢いたいと望む時、想い浮かぶのは八年前の友人の姿だ。
 正確には、その頃の彼と自分だ。
 声がわりもしていない頃に、石畳を蹴って毎日街の中を走り回って遊んでいたぼくとアイツ。

 引っ越しにより街をあとにした少年は、青年となってふたたび街に戻ってくる。

 離れていた八年のあいだに、中世の頃のままの文化を保っていた小さな街は外との連絡を増やし、少しずつだがゆるやかな変化が生まれている。
 口の中でパチパチと音のする特殊な食べ物は中毒性があると外から来た者に指摘されて、今では一年一度の収穫祭の日だけに限定されていた。
 パチパチ。
 パチパチ。
 彼らはひまわりの種をつないだ首飾りを祭りの火にくべる。パチパチと爆ぜる焔の中に少しずつ、街の文化が消えていく。
 この物語には悪人は出てこない。
 街は外に向かって開かれて変わっていこうとしている。
 ゆっくりでいいんだよ。
 誰も無理強いしてないよ。
 外の世界のほうが文明が進んでいて便利じゃないか。この街もひろく外界に門戸をひらき、古臭いものを捨てて利便性を求めていこう。
 それは望ましい進化であり変化のはずだ。
 よく考えてみたら無駄が多いよね。

 しかしそんな僅かな変化にも、ぴりつく者はいる。
 何故なら街に変化をもたらしたのは、他ならぬ、アイツだからだ。
 つまりこれは俺の自業自得も含むのか?


 やがて、彼の名を火の中に消し去る時がやって来た。彼自身を消す祭りの炎だ。
 その寸前、誰かが彼の名を呼ぶ。
 ぼくでよければ、君をいつまでもその名で呼ぶから。


 全てを捨てずとも、全てを変えずとも、古い名を連れたままでも、新しい風は街を吹き抜ける。
 一緒に街を駈けまわっていた友だちは、昔の彼もいまの彼も知っている。
 世界は広くなくていい。
 街は新しくなくてもいい。
 いつでもそこにあればいい。
 再会した彼らのあいだには、ソーダ水のようにパチパチと、とびきりの友情がはねるだろう。
 変わったようで変わらない。それでいい。
 最初は禁止されたのに、街の人たちは執念でパチパチ蜂を取り戻した。