白馬と頭痛

尾八原ジュージ

白馬と頭痛

 それは白馬に乗ってやってきた、という。そして部屋の中をぐちゃぐちゃに踏み荒らした後、窓から飛び出していったのだという。

「何が来たって?」

「だからオレの元カノがさぁ」

 来た、という。

 無駄にかっこいい移動手段以前に、そもそも今カノに元カノのことを相談するところからしてどうかと思う。でも私の彼氏は無職の暇人で、顔はいいけど一日中壁としゃべっているようなちょっとアレな頭の持ち主なので、今更デリカシーの有無みたいなことを問うても仕方がない。

 それにしても酷い。たぶん自分で散らかしたのであろう部屋の中でめそめそ泣きながら「元カノの馬に頭蹴られた」などと抜かす男には、いくら何でも我慢の限界でいいはずだ。私はどうしてこんな男を養っていたんだっけ? 顔か。

「いいから片付けてよ。部屋滅茶苦茶じゃん」

「だって頭が痛くてさぁ」

「バカ。こんなとこで馬に蹴られるわけないでしょ」

「ほんとだって。ほら」

 と、彼氏が自分の額を指さす。

 私の口から思わず「げっ」という声が漏れた。前髪を払いのけた彼の額に、直径二センチくらいの歪な穴が開いている。

「それ、ほんとに空いてんの?」

「ほんとほんと。指入れてみ」

 彼氏は額を差し出す。

 割れた頭蓋骨の向こうに灰色の白子みたいなものが見える。うわぁと思いながら、私はついつい指を差し出してしまう。だって本当に穴が空いているのか気になるし。彼氏の脳みそなんか今後触ることないだろうし。貴重な機会だし、今。

 私の指先が穴の中に入る。

 すこん、と思いがけず乾いてスカスカした手ごたえがあった。

 気がつくと私はボロボロになった壁の前に座っていて、壁に空いた直径二センチくらいの歪な穴に右手の人差し指を差し込んでいた。どうやら壁と話していたらしい、と私は悟る。そもそも彼氏なんかもういないのだ。あいつが額を割られたのは本当にあったことだけど、それは馬に蹴られたんじゃなくて、ヒモのくせに元カノと浮気して私がハンマーで殴ったからで、死体はとっくに海に捨てたんだっけ。どうして忘れていたのか。

 頭がガンガンする。

「ああぁ頭いってぇなあぁぁ」

 こめかみを抑えて蹲る私の前で、白馬に乗った彼氏が、割れた頭蓋の隙間から崩れた脳みそをはね散らかしながら部屋の中を駆け回っている。

 急に怖気が足の裏から湧き上がってきて、私は部屋から飛び出した。靴も履かずに走って、走って、走るうちに蹄の音は遠ざかり、踏切の警報音が近づいてきた。

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