『迷子宮女は龍の御子のお気に入り ~龍華国後宮事件帳~』重版記念 書き下ろしSS
【重版記念 書き下ろしSS】迷子宮女と甘い菓子
「すみません、禎宇さん……」
お茶とお菓子を食べられるということで、禎宇の代わりに勢い込んで掌食へお茶葉をもらいに行ったものの、途中で迷った上に掌食の宮女達に絡まれたところを珖璉に助けてもらい、結局そのまま珖璉に連れられて戻ってきた鈴花は、掌食に茶葉を取りに行ってくれたばかりか、お茶の用意までしてくれた禎宇に、深々と頭を下げて詫びた。
禎宇の役に立つどころか、どう考えても迷惑しかかけていない。
身を縮めて頭を下げたまま、顔を上げられないでいると、禎宇の穏やかな声が降ってきた。
「そこまで謝る必要はないよ。もとはと言えば、茶葉を切らしていたわたしが悪いんだからね。それより、お菓子を食べよう。待ちかねていたんだろう?」
「えっ!? ほんとに私もいただいていいんですか!?」
禎宇の言葉に思わずすっとんきょうな声が飛び出す。
「結局、お茶葉も取りに行けなくて、ご迷惑しかかけていないのに……っ!」
「あの程度、別に迷惑というほどのものではない」
禎宇が答えるより早く、飛んできたのは卓についた珖璉の声だ。
「偶然、帰り道に通りかかったにすぎんからな。気にするほどのことではない。それよりも、あれほど菓子が食べられると喜んでいたというのに、いらぬのか?」
「ほしいですっ!」
反射的に即答すると、ふはっと珖璉が吹き出した。
「だろう? なら、遠慮せずに食すといい」
「そうですよ。珖璉様もこうおっしゃっているんです。遠慮はいりません」
穏やかに笑った禎宇が、珖璉の向かいの椅子を鈴花のために引いてくれたばかりか、目の前に茶の器と饅頭がのった皿を置いてくれる。
皿の上にひとつのせられた饅頭を見た瞬間、鈴花は思わず歓声を上げた。
「ふわぁ……っ! なんて綺麗……っ! えっ、これ本当にお菓子なんですか!?」
皿の上に乗っていたのは、めじろをかたどったお菓子だった。
皮によもぎを練り込んでいるのだろうか。両端を細くして鳥の形にした緑色の皮には焼きごてで羽の形が押されているうえ、目のところは白い餅と黒胡麻がちょこんと配されていてとても可愛らしい。
いつまでも眺めていたくなる精巧な作りは、饅頭ではなく置物だと言われても信じられそうだ。
「何を言う? 菓子に決まっているだろう?」
呆れたような声を上げた珖璉が楊枝を手に取り、優雅な手付きで饅頭を二つに割る。中が黒いところを見るに、餡が入っているらしい。
「で、ですが、びっくりするほど細やかで可愛くて……っ!」
愛らしくて食べるのが可哀想になるほどだ。
首を左右に傾けてまじまじと饅頭を観察していると、ふたたび珖璉が吹き出す声が聞こえた。
「初めて食べる餌の匂いをかぐ子犬みたいになっているぞ。変なものなど入っておらぬから、安心して食え」
「す、すみません……っ!」
あまりに不作法だったかと、羞恥に顔が熱くなる。
「ふんふんと匂いをかぐ子犬……っ! た、確かに……っ!」
ぶくくくくっ、と抑えきれない笑い声に振り向くと、鈴花の隣に座った禎宇も顔を背けてこらえきれないように肩を震わせていた。
呆れられ、「こんな不作法者にやっぱり菓子はやれぬ」となったら、悔やんでも悔やみきれない。鈴花はあわてて楊枝を手に取る。
「い、いただきます……っ!」
覚悟を決めるようにぐっと楊枝を握りしめ、見よう見まねで珖璉と同じように饅頭を割り、ひとかけをおっかなびっくり口に運ぶ。
「……っ!? あ、甘いです……っ!」
口に入れた途端、ふわりと広がった甘みに、目を見開いて感嘆の声を上げる。
いったいどれだけの砂糖が入っているのだろう。
「あ、甘い……っ! こんなに甘い食べ物が世の中にあるんですか……っ!?」
故郷でお祭りの時に菓子を食べたことは何度があるか、ここまで甘くなかった気がする。
貴重で高価な砂糖をふんだんに使っているなんて、やっぱり後宮はすごいと、心から感心する。
「すっごくすっごくおいしいです……っ!」
どうしよう。ゆっくりじっくり、叶うことならいつまでも味わっていたいのに、手と口は勝手に動いて、もぐもぐもぐもぐと食べてしまう。
それでもできる限りゆっくり食べたものの、やはりさほど大きくはない饅頭。さほどの時間もかからず、食べ終わってしまう。
「あぁぁぁ……。食べ終わっちゃった……」
空になった皿を見つめ、思わず悲嘆の声を洩らすと、珖璉と禎宇の吹き出す声が重なった。
「ど、どうしたんですか!? 何かまた、不作法を……っ!?」
心配になって珖璉と禎宇を交互に見やると、広い肩を震わせながら禎宇がふるふるとかぶりを振った。
「笑ってすまない……っ。だが、饅頭を食べ終わっただけなのに、あまりに哀しげに嘆くものだから……っ」
笑いの発作がおさまらないのだろう。苦しげな息の中から禎宇が教えてくれる。言い終えた瞬間、何を思い出したのか、ふたたびぶはっと吹き出した。
「……それほど、美味だったのか?」
不思議そうに問うたのは珖璉だ。
「もちろんですっ!」
と鈴花は首が千切れんばかりにこくこく頷く。
「とっても甘くって、よもぎの風味もしっかりして、餡がしっかり甘くって……っ! こんなに甘くておいしいもの、初めて食べましたっ!」
どうやったらつたない語彙でもこのおいしさを伝えられるだろう。
甘さに感動したことを伝えたくて必死に言い募ると、「そうか」と珖璉が満足そうに頷いた。
「そんなに喜ぶさまを見ると、お前にやった甲斐がある。それほど美味だったのなら、もうひとつ、わたしの分も食べるか?」
珖璉が気負いない様子で、自分の前の皿を長い指先でついと差し出す。
「…………へ?」
告げられた内容が理解できず、呆けた声をこぼす。
混乱する脳内に珖璉の言葉が染み渡り、内容を理解した瞬間。
「えぇぇぇぇ~っ!?」
鈴花は大声をほとばしらせた。
「こ、こここここここ珖璉様の分もだなんてっ!」
「うん? なぜそれほど驚く?」
「だ、だってだって、こんなにおいしいお饅頭を私なんかにくださるだなんて……っ!」
これは夢ではなかろうか。
意地汚いと言われても、鈴花だったらこんなおいしいものを誰かにあっさりあげるなんて、とてもできそうにない。
大好きな姉の菖花だったら譲れるかもしれないが。
慄く鈴花とは対照的に、珖璉が至極あっさりと頷く。
「この程度の菓子など、欲しければいくらでも食べられる。ひとつ食したゆえ、わたしはもう十分だ。お前がいらぬというのなら、無理にとは言わんが――」
「いえっ、いただきたいですっ!」
語尾を食い気味に即答する。
「いらないなんて、天地がひっくり返っても言いませんっ!」
断言すると、銀の光に包まれた珖璉の端麗な面輪に笑みが宿った。
「なら、遠慮はいらぬ。菓子も食べたいと願う者に食べられたほうが嬉しいだろう」
「あ、ありがとうございます……っ!」
珖璉が押し出した皿を、感動とともに受け取る。
「ほわぁ……っ」
あんなにおいしい菓子をもうひとつ食べられるなんて。
「いただきます……っ!」
今度はもう少し落ち着いて……。と思いながら、ゆっくりじっくり味わって食べる。
やっぱり、天にも昇るほどおいしい。もう食べられないと哀しんでいたところに譲ってもらえたので、喜びもひとしおだ。
「ん〜っ! やっぱりおいしいです……っ!」
顔がにまにまと緩むのを止められない。おいしすぎて頬がつるりと落ちてしまうんじゃないかと心配になる。
食べ終わり、ほぅっと感嘆の息をついて余韻を味わう。
「本当にありがとうございますっ! 私、珖璉様にお仕えできて、とっても幸せですっ!」
卓に額がつきそうなほど深々と頭を下げて礼を述べると、向かいで優雅な所作で茶を喫していた珖璉から、呆れ混じりの声が降ってきた。
「菓子ひとつでそこまで感激するとは、安上がりな娘だな」
言葉とは裏腹に、珖璉の声はどこか優しい。
「安上がりって……。このお菓子は安物じゃないと思いますっ! 絶対ぜったい高級品ですっ!」
大真面目に言い返すと、隣の禎宇がぶはっと吹き出した。
珖璉も小さく口元を緩ませる。
「そうか。まあ、お前が恩義を感じたと言うのなら、明日からさらに忠勤に励んでくれればよい」
「はいっ! しっかり頑張りますっ!」
こくこくっ、と勢いよく頷くと珖璉の笑みが深くなった。
「ああ、期待している。だが、ひとまず今日はゆっくり休め。せっかく禎宇が茶も淹れてくれたのだ。そちらもゆっくり味わうといい」
「はい、ありがとうございます!」
礼を言い、茶器を手に取る。淡い緑色の茶はすっきりとした香りをかぐだけでこちらも高級なのだとわかる。そもそも、貧乏人はお茶を買うことすらなかなかできない。
たっぷり食べられる豪華なご飯といい、おいしいお菓子といい……。
「私、姉さんを見つけるためにも、明日からも頑張りますっ!」
菖花を見つけてもらうために宮女殺しの犯人を捜すのはもちろんのこと、こんなによくしてくれる珖璉に少しでも恩返しをしたいと、鈴花は気合を込めて宣言した。
おわり
迷子宮女は龍の御子のお気に入り ~龍華国後宮事件帳~【書籍版】 綾束 乙/メディアワークス文庫 @mwbunko
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