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第45話 老化への応援コメント
人口ピラミッドを見ると、いわゆる「団塊の世代」が70台後半となっているので、「母数が増えれば事件も増える」という事もあるのだろうと思います。
私の継父は4tトラックのドライバー(引っ越し屋さん)で、私が大学時代に一緒に(私は「アルバイト」として)働いたことがあります。左右とも5cmほどしか余裕のない狭い駐車場に、その当時はバックモニタもない4tワイドのトラックをスムーズに(初めての場所なのに)バックで入れていた継父が、先日我が家に遊びに来た時に、軽自動車でバックの際に塀にぶつけかけました。「年を取る」とはこういう事か、と思ったことを覚えています。
医師という仕事をしていていると、100歳を超えた人が「これは持たないだろう」というような重症の感染症から「奇跡の復活」をすることもあれば、それまで何の異常も指摘されていなかった元気な高校生が、突然の心肺停止で、心肺蘇生の輪がつながった状態でERに運ばれ、懸命に蘇生処置を行なっても助からなかった、という事も経験します。「老化≒人生の終わりに近づくこと」ではありますが、「人生の終わり」も本当は誰にもわかりません。
「輪廻」というのもちょっと違うように思いますが、「命」には「生死」という「オン・オフ」の状態があって、スイッチがオンになったりオフになったりしながら流れていくのではないか、と感じたりもします。ただ、そのように思うのは、私が日本という大乗仏教文化の国に生まれ生きているからかもしれませんが。
第44話 政治の使命とはへの応援コメント
「本当の援助は『魚をあげること』ではなく、『魚の取り方を教えてあげること』」というような言葉を聞いたことがあります。
本来は「最低限度の生活の保障」をするための制度である「生活保護」も、またそこに付け込む貧困ビジネスが存在していることにめまいを感じます。
ホームレスの問題しかり、子供の貧困の問題しかり、その一例一例に異なる背景があり、それに対する解決法も異なること、そこにかかわるスタッフの少なさが問題なのだろうと思います。
第42話 自分にあった仕事さがしへの応援コメント
確かに難しい話です。私も、息子からその質問をされると答えに詰まると思います。
私は、子供のころから、自身も、実父も病気がちで病気が身近にあったこと、かかりつけ医の先生がかっこよかったこと、ブラックジャックにはまったことから「医者になりたい」と思い、長じて、その単純な思いにいろいろなものがくっついて、結局「なりたかった医師」に奇跡的になることができましたが、子供たちの人生、それぞれの価値観があるので、私の経験談だけでは確かに回答にならないと思います。
「好きなもの・なりたいもの」を職業にするのが本当にいいことなのかどうか、というのも難しいところですし、「自分の得意なもの」を職業にするのも、それがいいのか悪いのか、難しいところです。
「若いうちは、やりたいと思う、違法でない仕事をやってみて、仕事をしながら路線変更してもいいんじゃない?」なんて答えるかもしれません。
第41話 好きと嫌いへの応援コメント
好き・嫌いというのはある意味表裏をなしていると思いますが、好きにせよ、嫌いにせよ、相手に対して、能動的な態度を取っている、という点では同じなのかもしれません。「嫌い嫌いも好きのうち」というのはそういうことなのかもしれません。
どこかで聞いた話ですが、「好き」の反対語は「無関心」とのことです。対象への能動的な心の働きがない、という次元で考えると、そのことは正しいのかもしれないなぁと思います。
第40話 人を評価することへの応援コメント
私も「人が人を評価できるのか」という疑問には賛成です。
「人間」という存在が多面的であり、さらに評価軸を換えてしまえば「長所」と「短所」が裏返ることもあるため、「全人的な評価」なんて聞くと、蕁麻疹が出そうになります。
本来は一つの評価軸での一面的な評価の結果が、なぜか独り歩きして、その人そのものの評価にすり替わってしまうことが無意識のうちにしばしば行われているのではないか、と思ったりもします。
「評価」が一面的なものに過ぎないこと、その結果は、その人「そのもの」の価値を反映するものではないことを、常に意識しなければならないと気が引き締まる思いがします。
第33話 ひとの温度への応援コメント
世界のどこかの指導者は、「頭が熱暴走」しているわけでもなく、ただただ「誤作動」しているだけなので、冷やしたところで如何ともしがたいのでは、なんて考えたりします。
私個人はそのような「情熱」結構好きで、誰かが情熱を持って踊っていて、「それが理にかなっている」と思えば、一緒になって踊るタイプです。
「踊る阿呆に見る阿呆」と阿波踊りでは言われますが、私は間違いなく「踊る阿呆」です。なので「私」には、「頭を冷やして」よく考えることが必要だと思っています(笑)。
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第32話 親子ってへの応援コメント
現実問題として、「親ガチャ」はあると思っています。
現実社会は不平等の塊です。「再起可能な親ガチャ」もあれば、「再起不可能な親ガチャ」もあるのが現実です。私の場合は「金銭的」には「負けガチャ」でしたが、「親の人格と周りの人」ガチャが良かったので、前述の「再起可能な親ガチャ」だったのだろうと思って、支えてくれた人たちに感謝しています。
別のところで、このことについて文章を書いたことがあるのですが(探したけれど見つかりませんでした)、その文章の締めは、The Peanutsのスヌーピーの言葉でした。
「人は誰でも、自分の手持ちのカードで勝負しなければならない」
第31話 観光への応援コメント
職業柄、というべきか、性分というべきか、なかなか「休み」を取って家族旅行、というのは多くありません。私の実父は早逝しましたが、私が幼稚園くらいまで、父もまだある程度元気だった時の方が、旅行していたように思います。
妻と結婚した時「学会とかで出かけるときがあれば、一緒に行こうね」と言っていましたが、コロナ禍の前は、子供たちが小さくて、妻一人で子供たちを見ることが大変なこと、ほとんどが一泊二日で到着した日の夜は「寝るだけ」だったことから実現せず、コロナ禍になると、学会もオンラインとなり、出かけることが少なくなりました。妻からはその点については「うそつき!」と責められています。
ギリシアの国民性はわかりませんが、イタリアは確かに国家財政は厳しく、失業率も高いものの、各個人については、何となく日本人よりハッピーに暮らしているような印象があります。男性は美し女性を見ると声をかけて美しさを誉め、女性はそれをさらりと受け流す、てな感じで暮らしているようで、通勤電車で仕事に向かう人々の厳しい表情を考えるにつけ、「国が貧しい」、「家計が貧しい」、「心が貧しい」は相関関係はあるものの、別のものだなぁ、と思ったりしました。
第29話 悟りを求めた男への応援コメント
お釈迦様の時代、仏弟子ながら反逆者となった「提婆達多」は、仏の八万法蔵のうち六万法蔵をそらんじ、種々の神通力を操ることができながら、自らの欲に縛られ、仏に反逆し、地獄に落ちてしまいました。
どんな力も、それを操る自分自身の内面力が無ければ意味がない、ということを思い出させてもらいました。ありがとうございます。
第30話 種と人間への応援コメント
このようにある種「強迫的に」変化、進歩を求めるようになったのは最近のように思います。
江戸時代などにさかのぼると、もちろん少しずつ進歩、変化はしていたのでしょうが、毎日が同じことの繰り返し、だったのでは、と思ったりします。
戦乱の世の中は、目まぐるしく変化し、落ち着かないものだと思います。
一応穏やかだった江戸時代などは、多くの人は同じことを繰り返しながら一生を過ごしたのでは、と思ったりもします。
もちろん、個人レベルで見ると子供→大人に成長する段階では「同じことの繰り返し」にはならないと思いますが。
「年年歳歳 花相似たり 歳歳年年 人同じからず」という漢詩を思い出しました。
第27話 エイリアンの後悔への応援コメント
少しだけブラックなことを…。
そのエイリアン、人類にちょこっと意地悪をして、あえて「人類の敵」になってしまえばよかったのでしょう。
そうすれば、エイリアンに対して人類が一致団結。呉越同舟。小さな事は気にせずに、人類がまとまって、戦争はなくなる(お互いに戦争をする暇がなくなる)のでは、なんて思ってしまいました。
昔話の「赤鬼どんと青鬼どん」を思い出してしまいました。
第28話 長所と短所への応援コメント
「長所と短所」って難しいですよね。
おっしゃる通り、不正義に対して短気なら、「それは短所か?」という具合になりますね。
私は特殊な業界にいるので、世間一般の「就職試験」を受けてはいませんが、就職試験の面接対策本を読んだときに「短所も長所と取れるように表現すること」と書かれていたように覚えています。
長所と短所、ラッキーとアンラッキー。多くの場合は光の当て方で正反対に映るのだろうなぁ、と思ったりします。
第4話 何でもオーダーメイドへの応援コメント
なんでもオーダーメイド、ってブルジョアだなぁ、と思います。
私の所有物のほとんどは既製品ですが、私自身がオリジナルだから、まぁいいか、と思って既製品の中で暮らしています。
第9話 雨が好きな娘語録 への応援コメント
私の生まれた日は大雨だったらしく、私にとって何かいいことが起きるときはたいてい雨の日です。
川があふれるほどの雨は困りますが、時にシトシトと降る雨、私も好きです。
第13話 平城京の池への応援コメント
まぁ、ならまちには「猿沢の池」があるので、その程度でよかったのかもしれませんね。
木津川も暴れ川、平城の世の土木力では如何ともし難かったようにおもいます。
第14話 ミステリーと殺人への応援コメント
私も、最後の発言、とても怖いと思いました。
第15話 信長を倒した男への応援コメント
明智光秀は、「信長を討つ」ということについては短慮で思い付きだったのかもしれません。いわば、「窮鼠猫を噛む」だったのでしょう。
「信長を討った」はいいが、その後のヴィジョンはなかったのでしょう。そういう点では秀吉は賢かったのだろうと思います。
第18話 猫だけの星への応援コメント
ネコたちは自由ですよね。
飼い犬は例えば、セントバーナードなら70kg近くの体重がありますが、イエネコはそこまで大きくありません。それには理由があって、イエネコが今のサイズより大きくなると、人間が命の危険にさらされるからだそうです。イヌよりも自由なネコだから、人間のコントロール下にネコの自由さを許容するなら、現在の大きさが限界とのことでした。
ネコを見ていると心なごみますが、言うほどネコは平和主義者ではありません。人間と同様です。
第20話 人のそんげんへの応援コメント
おっしゃる通りだと思います。
ただ人間、誰しもそのように心清い人ばかりではないのが残念なところです。
第22話 ミニのプライドへの応援コメント
我が家、真っ最中です。
でも、私も「通って来た道」なのだろうと思います。
私は父親で、子供たちは男の子ですが、赤ん坊のバブバブしていた時とは違う意味で、今も、「かわいい」と思ってます。
第25話 じんせい観への応援コメント
おっしゃる通りだと思います。
人生には「勝ち負け」なんてないと思います。局所的に見れば、「勝ち負け」はあるかもしれませんが、人生の最期にすこしでも、「あぁ、よかったなぁ」と思えれば、それは価値ある人生だったと思います。
作者からの返信
一気にお読みいただき感謝いたします。また川線・山線さんのお言葉より興味深い世界観を学ばせていただき、大いに感銘いたしました。エッセイはまだまだ続けていきたいと思っておりますのでお読みいただければ幸いです。
第1話 のら猫の独り言への応援コメント
賢い猫一匹お願いします!猫の手もかりたい(笑)なんて(笑)……でもモフモフ猫は居てくれるだけでカウンセリングと同じ効果あるかもしれません。猫好きです(*^^*)
第49話 一流への応援コメント
いいお話だ、と思ったのと同時に、最後の一文、ウケました。お見事!です。