応援コメント

第45話 老化」への応援コメント


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    人口ピラミッドを見ると、いわゆる「団塊の世代」が70台後半となっているので、「母数が増えれば事件も増える」という事もあるのだろうと思います。

    私の継父は4tトラックのドライバー(引っ越し屋さん)で、私が大学時代に一緒に(私は「アルバイト」として)働いたことがあります。左右とも5cmほどしか余裕のない狭い駐車場に、その当時はバックモニタもない4tワイドのトラックをスムーズに(初めての場所なのに)バックで入れていた継父が、先日我が家に遊びに来た時に、軽自動車でバックの際に塀にぶつけかけました。「年を取る」とはこういう事か、と思ったことを覚えています。

    医師という仕事をしていていると、100歳を超えた人が「これは持たないだろう」というような重症の感染症から「奇跡の復活」をすることもあれば、それまで何の異常も指摘されていなかった元気な高校生が、突然の心肺停止で、心肺蘇生の輪がつながった状態でERに運ばれ、懸命に蘇生処置を行なっても助からなかった、という事も経験します。「老化≒人生の終わりに近づくこと」ではありますが、「人生の終わり」も本当は誰にもわかりません。

    「輪廻」というのもちょっと違うように思いますが、「命」には「生死」という「オン・オフ」の状態があって、スイッチがオンになったりオフになったりしながら流れていくのではないか、と感じたりもします。ただ、そのように思うのは、私が日本という大乗仏教文化の国に生まれ生きているからかもしれませんが。