第4話 ゆきの秘密

 突然陽気な笑い声が、山荘の談話室に響く。

「氷室クン、ごめんね。まさか真に受けるとは思わなくて」

 笑いころげる声につられて、武彦はおそるおそる目を開けた。


「え? あの、ゆきさん……?」

 目の前にいるのは、いつもの表情をしたゆきだ。

「つい雪女のふりをしたけど、わたしは人間よ」

 クスクスと笑いながら話すゆきに、武彦は言葉を失う。


「雪女なんていない、なんてクールな態度をとるから、つい演技に身が入っちゃったわ。さっきのは全部台本の台詞じゃないの。気がつかなかった?」

 たしかに映画の中に今と同じシーンがあった。台詞はすべて頭に入っているのに、ゆきの演技が真に迫り過ぎて気がつかなかった。


「話を聞いて思い出したの。まさかあのときの子供が氷室クンだったなんて。巡り合わせってあるのね」

「え? 待ってください。あの人はゆきさんだったんですか。てことはあの記憶は夢ではなかったんだ。でも……」


 武彦はゆきを見た。

 どう見てもあの日の女性と同じ年格好だ。とても二十年の時間が過ぎているとは思えない。

 本当に雪女じゃないのか? 不思議な気がしてその疑問を口にすると、

「昔は、実年齢よりも大人っぽかったのよ。今は逆で、いつまでも若いままでしょ。女優だったらそうなるように努力するのは当たり前じゃないの」

 と、少しほほを染めながら返事した。


「では、犬は? スヌーピーはどうなったんですか」

「忘れた? 氷室クンはわたしに『代わりに飼ってください』って言ったのよ。あの子も調子が悪そうだったから、私の寝室に移して一晩様子を見ていたの」


 ゆきはスマートフォンを取り出し、待受画面を見せた。懐かしい友達が、ゆきに抱かれて写っている。


 不意に熱いものが込み上げてきた。武彦はそれをかろうじて押さえ込む。

 子供ではないのだから、泣いている姿を見られるわけにはいかない。


「そうだったんですね。助けてくれた人を雪女だって思い込んだ上に、夢扱いして、本当にすみませんでした」

 武彦は照れ隠しに軽く頭を下げ、続ける。

「でもどうして『誰にも話すな』なんて言ったんですか? おかげで妖怪にいつも見張られているって怖かったんですよ」


 ゆきは申し訳なさそうに目を伏せて、懐かしさを交えながら口を開いた。

「あのときはね、TVドラマが評判で顔が売れてきたころだったの。どこに行っても追いかけられて、落ち着いて役作りもできなかったわ。それで事務所に頼んでひとりになれるよう、山荘を用意してもらったの。

 それなのにファンが押し掛けてきたら困るじゃない」

 と手の甲を口元に当てて微笑んだ。


 長年の疑問が解け、武彦の体が軽くなる。

 大人が考えれば納得できる理由だ。でも子供というものは、自分の思い込みで行間を意外な形でうめてしまう。

 幼かった自分に真相を伝え、怯えることないんだと慰めてやりたかった。


「さっき氷室クンの顔に浮かんだ恐怖。あれは本物よ。これで少しは、死に直面したときの気持ちが理解できたでしょ。

 あの感覚を心に刻みつけておきなさい。自然な演技ができるわ」

 恐怖心と、死を前にして考えたことを覚えておく。それを芝居のときに思い出して表現する。


 これが感覚の再現か。体験がリアルであればあるほど、再現も説得力が出てくる。

 やっと役を理解できた。理屈ではなく、心で。

 武彦は演じる人物と一体になれた。


「ルックスがいいから役者ができるんだ、この人気はバンドファンがついているからだ、なんて陰口を叩く人たちを見返しなさい。

 あなたにはセンスがある。それを今回の作品で、観客に見せなさい。いいわね」

 ゆきにはそう言われたが、武彦はすでに役者の仕事をやめる決心をしていた。


 死に直面したあの瞬間、自分の本心を知った。

 どちらを選ぶかと問われれば、迷わず音楽を選ぶ。死に臨んだときに浮かんだのは、演劇ではなく音楽を続けることだ。

 役者の仕事に未練はない。


 演技の奥深さを教えてくれたゆきには、申し訳ないという気持ちが湧いている。

 それもしかたがない。自分の進むべき道は、自分が決めることだ。

 だが――。


 初めて出演した映画は観客動員数も伸びて、大成功のうちに終わった。それだけでなく武彦は新人賞を受賞した。

 音楽に専念したいという気持ちとは裏腹に、演技力を評価された武彦のもとにドラマや映画のオファーが殺到する。


 ベーシストと役者の仕事で、武彦は多忙な日々が続く。


(音楽に専念するのは、しばらくお預けだな)

 受賞トロフィーがおかれた棚を見て、ベース片手に武彦は苦笑した。

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ゆきおんな 須賀マサキ @ryokuma00

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