連の星の君

君の惑星で

 ガガガガガ!!!


 白い立面体の部屋が、激しく振動している。まるで部屋をサイコロみたいにして、外から振られたかのようだ。それは部屋の家具や壁が全部砕けてしまうのではないかと思うほど、強い衝撃だった。


 ポセは身を守るために毛布に包まって、ただ揺れが収まるのを待った。


 しばらくすると静寂がふわりと落とされた。どうやら部屋ごとひっくり返ってしまったようだ。床のヒビからキラキラと瞬く星が見えたので、ポセは外へ出てみることにした。

 歪んでしまったドアの隙間を押し開けて、這い出るように体をひねる。


 ポトリ、と落ちた先は、銀色の砂漠だった。


 とても美しかった。一面が銀色に輝いている。ポセが海王星の大気を染み込ませたような青いショートトレンチコートをはたくと、砂が星屑のように零れ落ちた。

 地平線から上の真っ黒な空には、光り輝く恒星と、煙のような星空が佇んでいる。その合間には淡く光る銀河も見える。それはカラフルなアイスクリームのように夜空を垂れていた。


「大丈夫ですか?」


 ポセは声のした方角へ顔をひねる。

 りんごのような赤いボーラーハットを被った少年が、首を傾げていた。少し長い癖っ毛の奥から、優しい眼差しをこちらに向けている。


「すごく大きな音がしたから来てみたら、まさかお客さんとは。僕はチセと言います。この惑星の持ち主です」

「僕はポセと言います。すみません。あなたの惑星を荒らしてしまいました……」

「いいんですよ。ここには砂しかありませんから。砂がクッションになってくれてよかった」


 と、チセは言いかけたが、顎に手を当てて少し考えた。


「……いや、全然良くないな。ポセさんの彗星、ほとんど壊れちゃいましたもんね……」


 ポセは後ろの立面体を振り返る。が、それはもはやただの白い板と言った方が正しい。外壁は砂まみれになって破れ、中の家具は散乱している。部屋の中に戻れるかどうかも怪しかった。


「いえ、大丈夫です。また直せばいいんですから。急いで修復するので、それまでこの星にいてもいいですか?」


 チセは大きく頷いた。金星の砂色のバンドカラーシャツが、キラキラと光った。


「ぜひゆっくりしてください。ちょうど話し相手が欲しかったんだ」


「ありがとう」


 ポセがお辞儀をすると、血がポタポタと砂漠に垂れた。頭を触ってみると、べっとりと血がついていた。チセは心配そうに言った。


「とりあえずその怪我を何とかしましょうか」



◇◇◇


 ポセはチセに連れられて、彼の惑星を案内してもらった。

 しばらく歩くと銀色の砂漠は消え、マチが見えた。マチには工場のように機械仕掛けの歯車がミシミシと動いているところもあるし、針金のような木々に囲まれた、静かな森もあった。その合間を縫うように、マチの至る所に花が咲いている。そのどれもが美しくて、ポセは楽しい気持ちになっていた。


「チセさんの惑星は本当に綺麗ですね。素敵な音がする」


 ポセは花たちが、風に揺れた時に鳴らすガラスハープのような音色に耳を澄ませた。その奥の方で、工場が懐中時計のような心地良い鼓動を響かせている。反対の方角では、木々が何かを囁きながらほどけたり、また絡まったりを繰り返している。


「音ですか。僕はずっとここにいるから、あまり分からないな。ポセさんは耳がいいんですね」


 チセは分からないとは言うものの、これだけ美しい音色を維持しているのだから、きっと他の五感でこの美しさを感じているのだろうと、ポセは思った。しかし同時に、少し不安になったのも事実だった。チセにこの音が全く聞こえていないのなら、それはあまり良くないことのように思えた。そんなポセには全く気が付いていないといった様子で、チセの耳にぶら下がったパペットのピアスが、カシャリと揺れた。


 マチをしばらく歩くと、チセの家に着いた。


「どうぞ入ってください」


 チセは暖炉の前の椅子にポセを座らせて、怪我の手当てをした。随分と慣れた手つきだった。


「どうぞ、温かい珈琲です」

「ありがとうございます」


 ポセは申し訳ない気持ちだった。自分の彗星でチセに迷惑をかけてしまったのに、いきなり家に上がり込んで、怪我の手当てまでしてもらい、さらには珈琲までもらっている。

 しかし何とも言えない心地良さが、そんな気持ちを包み込んでいた。これまでたくさんの惑星を回ってきたポセだったけれど、こんなに安心できる星に来たのは初めてだった。


「あの、ミルクと砂糖ってありますか?」


 気付けばそんなことまで聞いてしまっていた。


「ああ、ごめんなさい。ちょうど今、切らしているんですよ。ブラックは苦手でしたか?」

「すみません。せっかくのご厚意なのに……」


 するとチセは「そうだ!」と何かを思いついたようにキッチンに向かい、小皿を持ってきた。


「チョコレートはお好きですか?珈琲は一緒に食べるもので口当たりや余韻が変わるので、飲みやすくなるかもしれません」


 ポセは宝石のようなチョコレートを片手に、珈琲を飲んでみた。


「おいしいです!とってもまろやかですね」

「それはよかった。どうぞたくさん食べてくださいね」


 二人は暖炉の火を楽しみながら、たくさん話をした。自分の星のこと、生活のこと、好きなもの、趣味、最近の出来事。ポセとチセは今日出会ったばかりなのに、まるで昔から友達だったかのように話が合った。時には相手が自分自身ではないかと思うほどに共感した。時間や自分の感覚が消えていくほどに楽しかった。ふわふわ揺れるあかりと、珈琲の深い香りが二人を包んでいた。


「ポセさんは彗星に乗って来たんですよね?旅をしているんですか?」

「うーん。まあ、そういうことになるんですが……その……」


 チセの問いかけに、ポセは言い淀んだ。どこまで話すべきだろうか。いくら話しやすいとは言え、初対面の相手に気を遣わせてしまうかもしれないと思ったのだ。


 するとチセは、ポセの手に自分の手のひらを重ねた。


「無理に話さなくても良いですよ」


 重なった手のひらに、暖炉や珈琲とはまた違ったあたたかさが広がる。そのぬくもりにポセの不安は溶けていった。


「僕も昔は自分の惑星に住んでいたんです。でも何だか窮屈に感じてしまって。周りの人たちはみんな優しくて良い人たちだったんですが、どうにも落ち着きませんでした。ある日、ふとそんな生活が嫌になって、自分で星を壊してしまったんです」


 チセは何も言わず、相変わらず優しい眼差しでポセを見つめていた。


「星が小さくなって、引力からすり抜けて、彗星になった部屋と一緒に色んな惑星を回りました。とても楽しかったです。自分の星にいる時には感じたことのない楽しさと興奮でした。でも、いつもどこか不安で。自分にはみんなのように帰れる星が無いと思うと、心が冷たく、氷のようになってしまいます。色んな惑星を巡って、色んな人とお話をして、それで心が溶けても、気付けばまたすぐに冷たくなってしまう。僕が自分でやったことなので、仕方ないんですけどね」


 ポセはそう言って寂しそうに笑った。チセはポセの手のひらが、少し冷たくなったのを感じた。


◇◇◇


 その夜、ポセはチセから毛布を借りて、同じ部屋の一室で寝かせてもらった。ずっと二人で話していたけれど、チセは布団に入ると存外すぐに寝てしまった。久しぶりの来客に疲れたのだろう。ポセは彼の寝息を聞きながら目を閉じた。が、


 ドンドンドン!!


 という音で目が覚めた。まだ起きるには早い時間のようだったが、ドアを叩く音が聞こえる。


 チセは布団から飛び起きて、ドアの方へ向かった。


 ポセは毛布の中で『何事だろう?』と思い、耳を澄ませてみた。何やら女性の啜り泣く声が聞こえる。何を言っているのかはわからないのだが、何かを訴えながら、苦しそうに呼吸しているようだった。

 ポセが部屋のドアの隙間からチラリと覗いて見ると、チセがその人を抱きしめて、背中をさすっているのが見えた。ポセはその瞬間に目を逸らして、毛布の中で膝を抱えた。過冷却されたように、心が冷たくなっていくのを感じていた。寒い。体が芯から冷えていく。ポセはぶるぶると震えながら、チセが戻ってくるのを待った。


◇◇◇


 朝、ポセはチセが焼いてくれたトーストと、スクランブルエッグを食べた。


「ポセ、昨日の夜、うるさくなかった?」

「ぐっすりだったから、大丈夫だよ」


 二人はすっかり打ち解けていた。しかし、ポセは嘘を吐いた。知らないふりをした。


「何かあったの?」

「彼女が苦しそうにしていたから、背中をさすってあげていたんだ」

「彼女さんは病気なの?」

「まあ、そんな所だよ」


 チセは少し悲しそうに笑った。昨日の女性は彼女だったのか。ポセはなんだかお邪魔してしまって申し訳ない気持ちになった。


 その日はポセの彗星を修復するために、二人で資材を集めた。チセは仕事があるというのに、ポセの作業を手伝ってくれた。二人で色んなところを回ったものだから、チセの仕事場の人や、友達とも仲良くなった。チセはみんなに慕われていて、頼りにされているようだった。みんながチセの話をあまりにたくさんするものだから、チセはずっと恥ずかしそうにしていた。


『良い人ばかりだなあ』


 ポセがふとそう思った時、昔の自分の惑星を思い出した。


『あの星にいた人たちは、今頃どうしているのだろう?』


 懐かしい気持ちと悲しい気持ちを抱えつつ、ポセは作業を進めた。



 彗星の修復は順調に進んだ。1週間後には、ほとんど元の状態に戻っていた。チセや、この星のみんなが手伝ってくれたおかげだった。


「チセ、本当にありがとう。おかげでまた旅に出れそうだよ」

「それは僕の方こそ。ポセと話せて本当に楽しかった。なんだか寂しいなあ」


 二人は銀色の砂漠で、夜空を見ながら話していた。ポセは、ずっとこんな時間が続けばいいと思った。でもここにはいられないことも分かっていた。チセにはチセの生活がある。チセは彼の惑星と、惑星の住人たちを守らなければならない。ポセだってそうだ。いつまでも旅は続けられない。自分の星を見つけるか、或いは元いた星を直さなければならない。そう思った時、ポセは不意に言葉を溢した。


「チセ、君はずっとこの星にいるの?」

「うん、そうだよ。どうして?」

「あのさ、僕、君とやりたいことがあるんだ」

「何?どんなこと?」


ポセは少し沈黙した後にポツリと言った。


「君の惑星を、壊したい」


 チセは目を大きく開いた。心底驚いているようだった。


「壊すって……?」


「そのままの意味だよ。自分の星を壊したように、僕はこの星を壊したい」


 チセは唖然としていた。しかしポセは続けて話す。


「僕は君の惑星が好きだよ。君の星にいるみんなも、君の星の美しさも。でもさ、君は本当は、全部壊して欲しいんじゃない?」


「どうして……?」


「話していたらわかるよ。君はいつも他の惑星の話を聞きたがっていた。どこかに行きたいって、そんな風に思っているように感じた。部屋に他の惑星の写真があっただろう?本だってたくさん。それに、チセは夜、あまり眠れていないよね?」


 チセは俯きがちに頷いた。


「起きてたんだ……ごめんね」


「チセは悪くないよ。もちろん、彼女さんもね」


 ポセがチセの家に泊めてもらっている間、チセの彼女は毎晩彼の元を訪れていた。その度にチセは彼女を慰めて、長い間寄り添っていた。


「君はみんなから頼りにされてる。君はすごく優しいもの。怪我をした人をたくさん手当してあげていたよね。みんながいつも『チセ、チセ』って呼んでいた。それはとても素敵なことだけど、そんな生活を続けていたら、いつか体を壊してしまうよ」


 ポセはずっと心配だった。


「ポセ、ごめん、それは駄目だ。でも、ありがとう。その想いだけで十分だよ。そう、思ってくれただけで」


 チセは笑った。


 ポセはとても悲しくなった。どうして君が笑うときは、いつもそんなに幸せそうなのだろう?



 ポセは感じていた。それはチセのマチ中から聞こえてくる音だった。チセはとても優しくて、明るくて。みんなから頼りにされているし、みんな彼を慕っている。けれど、なぜか、どうしようもないほど寂しさが鳴り響いていた。


 チセは孤独ではないのだ。ただ、ずっと寂しそうなのだ。


 ポセには、チセがそれを紛らわせるように、忙しく動き回っているように見えた。


 チセが笑っているのを見ると、ポセはなんだか心がざわめいた。僕は満たされているんだって、自分に言い聞かせているみたいな笑顔だったから。本当はどこかへ行ってしまいたい。全部から逃げてしまいたい。そんなことを、ずっと願っているのに、できない。チセには大切な人がいる。素敵な星がある。それにそんなことをしたら、僕はひとりぼっちになってしまうって、自分に言い聞かせているみたいだった。この惑星の人を愛していなければ、いつも大切にしていなければ、誰も自分を愛してくれないと言っているようだった。


 そして、それを全部わかっていて、だけども幸せそうに、誰より綺麗に笑う、そんなチセを見るのが、ポセは辛かった。


「ごめんね、断られるって分かってたんだ。しかもチセに『うん』と言われても、僕はきっと君の星を壊せない。ごめんね。分かっていたのに、ごめんね」


 ポセはそんな言葉を紡ぐ間に、泣いてしまっていた。チセは出会った日のように手を重ねて、彼が彼女にしていたように、背中をさすってくれた。


「ごめんね、ごめんね」


 ポセはそれしか言えなかった。結局チセの優しさに、寄りかかってしまった。自分を包ませてしまった。あたたかくて、柔らかくて、ポセはふと、自分の惑星を思い出した。そして思った。


 ああ、逃げたいな。


 それは他でもない、ポセ自身の願いだった。だから重ねてしまった。ポセはずっと辛かったのだ。自分の惑星に住む、みんなが優しくしてくれたから。みんながいつも親切にしてくれるから。自分の心だけじゃなくて、自分自身が全部溶けてしまいそうで怖かった。ずっと怯えていた。そんな温かさや柔らかさを、自分には受け取る資格がないと思って、自分で惑星を壊してしまった。粉々になった星が泣いていた。ひび割れたその声を背に、ずっとひとりで彷徨っていた。


「寒い……寒いよ……」


 ポセは気がつくとガクガク震えていた。チセの元にやってきた彼女のように、息が荒くなっていた。


「寒い…体が凍ってしまいそう……」


 ポセは上手く呼吸ができていないようだった。チセは驚いて、ポセの背中をさする。


「僕の星のみんなは……もう、死んでしまったかな……みんな僕のこと、嫌いだろうな……僕、もう、ここで、凍ってしまったほうが、いいのかな……」


 ポセは空っぽな目をしていた。チセは自分が傷付けてしまったのかと動揺していたけれど、その言葉から何かを感じ取ったように、ポセを必死に慰めた。


「大丈夫だよ、ポセ。僕が隣にいるからね」

「チセ……ごめんね、こんなことさせて、ごめんね。こんな僕で、ごめんね……」

「いいんだよ、大丈夫だよ」


 ポセの目からは大粒の涙が流れていた。けれどそれは、頬を伝い切る前に凍ってしまう。ポセが冷たくなっていく。チセは赤く霜焼けた手のひらで、ひたすらポセの背中をさすった。が、追いつかない。どんどんポセが冷たくなって、言葉が聞き取りにくくなっていった。


 チセは、どうしていいかわらなくて、ポセをぎゅっと抱きしめた。


 ポセは、チセのぬくもりに包まれた。


 ああ、こんなに温かかったんだ。ポセはとろけるようなぬくもりを感じた。どこか懐かしい、陽だまりのようだった。ただ、その中にやさしく包み込まれていった。通りでみんなが頼るわけだ。こんなにあたたかいんだもの。こんなに心地良いんだもの。


 ポセはなんだかとても安心して、呼吸が落ち着いてきた。そしてそんな温度の中で、自分もチセを抱きしめたいと思った。


 ポセは溶け始めた体で、チセをぎゅっと抱き返した。チセは目を閉じた。冷たいポセの体の中に咲いた、自分自身のぬくもりを感じた。そのぬくもりで、ポセの心が溶けていく音が聞こえる。春の小川のようなせせらぎが聞こえる。ああ、彼の音は、こんなに心地よかったんだ。チセはポセの音に包み込まれていた。まるで母親が絵本を読み聞かせてくれているような、そんなやさしい音だった。他にもたくさんの音が聞こえている。ポセが色んな惑星で見てきた景色、たくさんの風景、人の声、やさしさ、ぬくもり……全部がチセにも響いていた。


 二人は長い間、ただお互いを抱きしめ合っていた。


◇◇◇


「じゃあ僕、行くよ」

「うん、またね」


 ついにポセが出発する日になった。ポセが青色の中折れハットを被ると、二人はまた抱き合って、お互いの背中をポンポンと叩いた。


「ポセ、僕はずっとここにいるから、いつでも戻ってきていいからね。いつでも、何度でも君を温めるからね」

「ありがとう。チセ、僕も星を回ったら、また君に伝えにくるからね。たくさん話に来るからね」


 二人で握手をした後、彗星へ乗り込むと、それは回旋しながら空へ飛び立った。


 チセの星が小さくなっていく。銀色の砂漠が、キラキラと瞬いていた。


 彗星は順調に軌道に乗った。遠ざかっていくチセの星を見ながら、ポセは珈琲を飲んでいた。なんだか故郷ができたみたいだと思った。少しの間離れることになるけれど、寂しくはなかった。心の中に、チセのぬくもりが咲いていたから。またチセの星に行くまで、大切に、大切にしようと思った。

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連の星の君 @hitomimur

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