あいむ、のっと、ふぁん
木曜日御前
誰も知らない醜いオタクの話
私は、会場の席に着いて、まばゆい光の下を駆け抜ける彼を眺めていた。周りの子たちは皆立ち上がり、自分の推しを探して、手に持ったボードや団扇を掲げ、ハイライト光らせ、ここにいるよとアピールしている。
それとは正反対に、もう既にヨレヨレの傷だらけになった団扇を膝の上に置いて、私に気づく事もない、彼を見ていた。そこに、嘗てあった全てを燃やす炎のような情熱も、底なし沼のような後悔もない。
(ああ、やっと終わったんだ)
光の中、舞い散る白い紙吹雪。
ライブ前とは違って、柔らかく凪いでいく心に私はやっと泣く事が出来た。
これは、貴方が知らない、
とある醜いオタクが命削った
アイドルオーディション番組のお話。
いつか、そう、それは、もう遠い昔にしたいくらいの夏。
「ハハハッ、何この子、面白いじゃん!」
スマートフォンに映る彼の姿に、私は思わず大笑いをした。顔はドンピシャに好き。とてもクールそうな顔立ちで、まるでモデルのような体型なのに、口を開くとまるで子供のよう。にっこり微笑みながら話す姿は愛らしく、最後は噛み噛みで終わるのも面白い。
その動画は、とあるアイドルオーディション番組の自己紹介動画であり、私も以前から放送を待っていたまさに待望の番組だった。
当時、韓国で絶大な人気を誇るアイドル練習生のオーディション番組、あの中国でも系列番組が放送され、話題になっていた。その番組が、ついに日本へとやってきたのだ。
正直、半信半疑。韓国版よりも面白いのか。
一番最初に上がるのはテーマソングの動画。
輝くステージで踊るアイドル練習生の動画。
私は、もう、夢中になった。
毎日のように上がるコンテンツを、全部見漁った。
もう生活の全てが、それを中心に回りだしていた。
彼以外の子も、大好きな子たちが沢山できた。この子はダンスが上手い、この子は面白い、この子は歌が上手い、この子はガチ恋製造機。
それでも、やはり、彼が一番好きだった。
毎日上がる動画に彼が居るかどうか、それを楽しみにして生きていた。
居た日はハッピー、居なくても来る日を待ってワクワクしていた。
そんな時に私に舞い込んできたのは、第一次舞台評価の観覧募集だった。第一次評価は唯一全練習生のパフォーマンスが見られる大事な戦い。どんなステージになるのか検討もつかない。
しかし、日程はド平日。ド昼間。しかも、500人限定。
しかし、狂ったオタクは応募した。
受かるか受からないか、ドキドキの一週間。
結果発表日、なかなか届かない合格メールに待つのが疲れて、遅い昼のカレーを食べていた。
スパイシーなカレー、店員の明るい声が響く店内で、私はカレーを食べながら、片手間のスマートフォンを確認していた。
ピコン
「!?」
スプーンを置いて、何度も確認する。
私の運は、そこで使い果たしてしまったのかもしれない。
夏が終わり、残暑はまだある頃。
私はとあるテレビ局にいた。推しの名前を書いた団扇。裏面には私なりのおふざけ『愛してる』を。
観覧席は端の方だけど前から4列目の席、隣にいる子と会話しながら、ワクワクと待っていた。ただ、それと同時に手に持ったリモコンが現実を知らしめる。
リモコン、それは投票するのに必要なもの。
第一次評価、オーディション番組にはこの投票がどうしても付いて回るもの。
この小さなリモコンが、私の一票が、彼らの運命を左右する。
番号だけが書かれたリモコンの重量感は、軽いはずなのに、とてもずしりと重く感じた。
暫くして、撮影が始まり、推しの出番を待つ。
MCからお願いされたのは、歓声はなるべく出さない、拍手のみ。
そして、最後の最後一番聞きたい事が発表された。
第一次評価 ポジション評価
ダンス、ボーカル、ラップで分けられた中で、二つのチームが同じ有名曲で争う。
観覧席にざわめきが広がる。
最初のチームが出てくる。彼はいない。けれど、皆魅力的な子たちばかり。
最初のチームはポジションはダンス、そして、曲は韓国アイドルの代表曲だった。
それから始まった第一次評価は、本当に胸をときめかせ続けた。日本の有名アイドルの曲、日本のバンドの名曲のバラード。ポジションラップは、オリジナルの曲に練習生自ら歌詞をつけて。
一人一人が自分を見つけてほしいと、その舞台に魂を込めているのがわかる。
しかし、どの戦いも投票は付き纏う。自分に入れてほしいだろう、練習生たちは自分に振られた番号を指で表す。オタクたちは気に入った子の番号を入れて、何人かは入れたよ! って指で数字を返す。
しかし、その正確な結果は観覧席の私達には見えない。
隣の子が、「私の推し、パートが少なかった」と悲しそうに嘆く。そんなことない、と言えないくらいには確かに少なかった。
パートの時間も大事だ。その時間が多ければ多いほど、誰かに見つかる機会が増えるのだから。
どのチームにも、リーダーとセンターがいる。センターは言わばそのグループの主役。そして、リーダーは練習等で皆を支える人達だ。
どちらも多くパートがあるが、センターでもなければリーダーでもない子は、その分映る分量が少なくなる。
自分の推しは大丈夫なのか。
たしかに、パートは少なかった。
ボーカルポジション。殆どツーフレーズしかソロはない。
でも、凄かった。
彼らが歌う曲は、元々女性シンガーのソウルフルな曲。男性が原曲キーで歌う事など、プロでもない限り不可能。
しかし、流れたのは原曲キー。
そうまさに、音響トラブル。中断し、やり直すしかない状況。しかし、彼は、彼らは歌った。高さに屈する子たちもいた。でも、振り絞った彼らの必死な歌声は、私達に届く。
その中で唯一、彼は安定したまま元々練習していたキーの高さで歌った。
その姿は落ち着いていて、自分がやりたい事をこなした姿だ。
そして、終わった後彼は客席に謝って帰っていく。
「すみませんでした!」
私はただその姿を見送った。
そして、対戦チームの曲の後、二回目の彼らの舞台。まるで、覚悟が決まったかのように力強い歌声から始まった。
そして、先程とは違う、更に色気が増した彼のパートに、たとえ少なくても何度も何度も頭で彼の声がリフレインし続ける。
ああ、大好きだ。本当に大好きだ。
ただ、彼は私に気づく事もない。目があった気がしたが、それだけ。でも、ファンというものはそういうものだろう。なによりも、彼は緊張してるのか、ただ客席を眺めてるだけだった。
ああ、私は彼を本気で推そう。そして、できるだけ長く、彼がアイドルでいれるようにしよう。
しかし、そんな決意を揺るがす事が起きた。
その舞台は、彼推しの人達と交流するためのオープンチャット。
私が作った、楽しい場所だったはずのところだ。
アイドルオーディション番組で推しを応援するには、どうしても横の繋がりが必要になってくる。応援広告、Twitterでの宣伝、Twitterトレンドに載せようとしたらオタク同士の連携が必要になる。
といっても、彼はそんなに人気がなかった。第一次評価抜けられたなら、それで御の字だと思っていた。実際に番組が始まると、そこそこの分量で映っていた。Twitterの反応は少しだけだが、前よりは彼を推してる人が増えてきた。
そんな彼推しのオタクたちは皆緩く、「どうにか残ってほしいね」と緩く会話していた。
その願いは以外にも通じた。
順位発表、60位以上が次の評価に進める。
なんと、本当に滑り込むように順位発表で残れた彼。
ほっとした。次はグループ評価、既存の課題曲で歌もダンスもやらなければならない。
彼はダンスが走りがちで上手ではない。正直、突破できるのかと不安に襲われる。
しかし、そんな不安が簡単に吹っ飛ぶ事が起きた。
私が人生で思い出したくない出来事の一つ。
「コンセプト評価」のチーム決め投票。
コンセプト評価というのは、二次評価後の二回目の順位発表で生き残った人達が挑める、オリジナル課題曲でステージを用意する。
順位発表突破できるか分からない中、突破できると信じて、推しにやってほしい曲を投票する。
しかし、オタクはある意味謙虚であり、ある意味傲慢だ。
推しを残して、デビューさせるためには、このコンセプト評価は外せない。コンセプト評価はアイドルオーディション番組の花なのだ。他のオープンチャットでは、ファンダムで投票を揃えようと話し合いが始まる。
乗り遅れて、票が割れたら、彼は人気のない曲になってしまう。
明らかにRapperソング、難易度の高いボーカルソング、ものすごく可愛い曲、人気メンバーが集まりそうな曲、全く読めない未知の曲。
しかも、曲だけではない、もし、二回目の順位発表で人が抜けた後にも困難がある。コンセプト評価の練習は発表前から実施されている。
曲ごとにメンバー人数は決まっている。もし、余剰人数になったグループは、投票によるメンバーの放出がある。放出されたメンバーは欠員があるチームへと采配される。
まさに、花一匁。負けて悔しいまま、他のチームへ。勝った子たちは嬉しいままそのチームで。
もし、彼が出されたら。
歌はまだしも、放出されてからダンス覚え直すのは厳しい。彼が好きだからこそ、彼の今の力量もわかる。
投票は、一人一票、一回。
票が割れて、合わないところや人気メンバーが集まるところになったら。
ただでさえ残るかもわからない、けど一縷の望みはそこにあるのかもしれない。
オープンチャットを覗く。どうしよう、どうしようと慌てる人たちを見る。この時間の間に、他のグループは話し合いを進めているはずだ。
オープンチャットの管理人が、基本リーダーをしている。
彼のために、私ができることは。
「ここで、コンセプト評価の話し合いをしましょう。音頭は私がやります」
オープンチャットに投げる。大丈夫、オタクと投票先を決めるだけだ。そう思っていた。Twitterでも、オープンチャットの管理人として、大々的に宣伝した。それが間違いだった。
「私は彼にこの一番人気曲をさせたい!」
「でも、彼の人気と実力じゃここは無理。〇〇くんと〇〇くんのところがここに入ろうとしてる」
「新たな可能性にかけて可愛いのもありでは」
「顔見ろ! 可愛いじゃなくて、ゴリゴリラップ聴きたい!」
「管理人さんはどうなの!?」
今まで仲良くしていた人たちが、啀み合う。
「に〇〇くんと、〇〇くんのところは人気曲です! あと……」
「Twitterで投票したら、彼の場合この道な曲が一番人気です!」
「宣伝しないと! 連合とか相互投票とか皆するようです、管理人さんどうします?」
意見交換の最中、大量の情報がオープンチャットに流れ込む。
「〇〇のオープンチャット管理人です、相互投票とかしませんか!」
「〇〇くんはこれに入れてください」
「オープンチャット入れないんですけど、どうすればいいですか?」
Twitterの溢れ返るダイレクトメール。
「やばい、オタク喧嘩してるこっち。内部分裂するかも」
「あそこのオープンチャットの管理人に裏切られた。連合優先だから無理だって! 私のが先に約束してたのに!」
「どうしよ、コンセプト評価委員会から相互投票全解消しろ言われた」
ラインには元々仲良しだった他のオープンチャットの管理人や、幹部の子たちの悲鳴が上がる。
コンセプト評価委員会、連合、相互投票。
まだ、お互い希望の曲に相互投票するのはわかる。しかし、コンセプト評価委員会? 連合? なにそれ。頭を傾げながら、曲の最終投票を見る。
「彼の曲は未知の曲になりました」
未知の曲は、選択してる練習生は少なく、聞いてる感じセクシーコンセプトなのではと睨んだからだ。なによりも、聞いてる箇所からは難しいところはないように感じた。
(彼なら大丈夫)
ここからは、相互投票交渉しなければならない。順位が上位の人気練習生のところは既に埋まっているのか、交渉役からは中堅どころを勧められた。
(これは、私一人で最終交渉するけど、皆には議決と調査をしてもらいたいなあ)
オープンチャット内で、相互または連合の吟味を行うメンバーを募り、そのメンバーで話し合いながら地力を養っていく。夜0時を回っても頑張っていた。
すると、私のところにとあるダイレクトメールが来た。
「未知の曲連合に入りませんか?」
それは、未知の曲連合の代表だった。
「相互投票約束してる人たちいるのですが」
「それは大丈夫です。未知の曲だけ固定で入れてくれれば十分です」
どうやら連合というのは同じ曲内で、最終的にステージを行う7人分を固定して投票するという事だ。
そして、その話に乗った。
しかし、私は馬鹿だった。友人が不穏な事を言っていたのに、それが思い出せなかった。
深夜3時。いきなり、私は連合長に呼ばれて、初めて見るオープンチャットに参加した。
その名前は、コンセプト評価委員会。
「未知の曲連合はコンセプト評価委員会に参加している連合です。参加したところは、相互投票の約束はすべて取り消してきてください」
深夜3時にとんでもない事を言われた。
「そんな話は聞いてないですし、承知しておりませんが? 後出しはいけませんよね?」
「でも、決まりです」
「なぜですか? 納得がいきません。そもそも、周知できてない自室ですよね」
「決まりなので」
上位の練習生のオープンチャット管理人または幹部たちが、オウム返しのようにそう話す。
私は素直に自分内オープンチャットに話した。
「最悪、連合切るかもしれない。ちょっと、各所確認してからだけど。もうブチギレたから、最悪今からチャット履歴全スクショしたやつ、晒して、大事にしようとおもう」
まず連合長に「どういうことですか?」と相談したところ、連合長も把握していなかったらしい。そして、他のメンバーもだ。
ただ、私が大事にする前に、身内からバレてしまった。私と同じように連合に入った後、投票解除しなければならず、素直に話してしまったオープンチャットの管理人いた。
その会話が晒されてしまったのだ。
5時に寝て、6時に起きて仕事に向かう私は、その一時間内で起きた事件についていけない。
でも、たしかにそのマズイ断り方をしたオープンチャットの管理人は、一番人気曲の連合に参加していた。
「コンセプト評価委員会って、入ったら相互投票の約束解除させるんだってやばいよね」
「何様だよって話だよね」
「うちも、切られたよ。許さない」
なんとか朝ごはんを食べ、仕事に行きお昼ごろスマートフォンを見ると、また一つ状況が変わっていた。
コンセプト評価委員会が瓦解しかけていた。
コンセプト評価委員会の会長は、一位人気の練習生のオープンチャット幹部だったが、
「そんなことは言ってないし、それはよくない」と言い始めたのだ。
たしかに、私も一位二位三位のオープンチャット管理人はやりあってはいなかった。
結局、その夜未知の曲連合も評価委員会から抜けて、単独の連合として、他との相互投票の約束を守る事も出来た。
しかし、真夜中またもや事件が起きる。
「やっぱり彼には一番人気曲をやってほしい」
そう暴れ始めた人がいたのだ。
「決めたものは決めたものです。貴方は自由に入れてもいい。でも、オープンチャットの決定は変えません」
そう言っても、暴れるその人。私もやる事はいっぱいある。宣伝もするし、交渉もある。なのに、なんで同担に悩まされてるんだ。
「これ以上荒らすならブロックします」
彼女の荒らしは止まらない。
私は静かにその子をオープンチャットから叩き出した。
その日夕方、追い出した子がSNSで私を叩いてるのを見た。その叩きに賛同してる人もいる。なんて嫌われたもんだ、でも既に疲れ切っていた私はこんな悪意くらいどうでもよかった。
投票初日、私は四日ぶりにまともに寝た。ここからは宣伝する事しかやる事はない。やっと終わったのだ。
人が聞いたら、馬鹿だと思うだろう。
でも、彼のチャンスをここで逃したらと、必死だった。
そして、他のオタクたちも、推しのためと必死で狂っていた。
あとは、願うしかない。
久々に推しの動画を見た、純粋に楽しめる事にとてもうれしかった。
私の願いは、通じた。
推しは未知の曲になった。二回目の順位発表もぎりぎり生き残り、また曲の人員も丁度で放出自体がないグループだった。
メンバーは、一人を除いて連合のグループになった。
私達が選んだ曲を踊る彼。かっこよく歌う彼。人生で初めて、泣いた。よかった、自分よくやった。
これは見つけてもらえる。
もしかしたら、最終順位にも残れるかもしれない。
そして、またもや滑り込むように彼は残った。
ここからは、最終順位発表のファイナル評価まで、私はもう既に燃え尽きかけていた。彼は好きだ。大好きだ。でも。
「楽しくない。もう、なんでこんな辛いの」
人数が少なくなった分、番組での推しの露出が増えた。それを見てるのはまだ楽しい。
今日もダイレクトメールもオープンチャットも通知が溜まる。一方的な罵詈雑言。今後どうするべきかを悩む声。友人たちの悲鳴。他の練習生推しからの相互広告協力。
たくさんの面倒事が降り掛かってきた。無下にはできない。何故なら、私の一挙一動が「彼の推し」の象徴だったから。
余計な事はできない。投げ出す事もできない。
承認欲求を満たせるから良いのでは? そんな幸せはとうに無くなった。そんな気持ちだけなら、こんな怠い事なんてしない。だって、楽しくないのだから。
(彼が、デビュー、できるかもしれない)
毎度毎度現れる一縷の望み。いっそ無ければいいのに、でも私は縋ってしまう。だって、彼が好きだから。
身銭削ってインスタ広告を出した、駅広告もやった、昔の友人にも声をかけた、馴染みの居酒屋の客にも頼んだ。
そして、私の願いは叶った。
彼はデビューした。また滑り込むように。
友人抱き合って喜んだ。受かったんだって、とても嬉しかった。私の時間が報われた気持ちだった。
ああ、これでただのオタクに戻れる。オープンチャットを閉める告知も出した。皆から祝福されて終えられる。彼はもうアイドルになる。真面目な彼だから大丈夫だ。
でも、それは打ち砕かれる。メンバーたちは皆SNSを消した。一人二人は他の練習生との写真に出てたけれど、そういう事もあると思った。勿論、それを叩く人たちもいた。
叩くのは駄目だが、叩かれても仕方ないと思う自分もいる。彼らは今からアイドルになる。軽率な行動は命取りになる。
推しは、流石にしないよな。そう願ってた。
推しの同郷であり友達である練習生のインスタライブ。軽率なインスタライブをする子で、いつもは見る事はなかった。けど、その日のインスタライブは嫌な予感していた。
ご飯屋さんのテラス席、後ろには美しいモニュメント。
最後の5分。
デビュー前の彼がそこにいた。
それから一ヶ月後、私は彼らの最初のファンミーティング初日に参加していた。
その日は仲良かった人たちと共に、フラワースタンドも出した。
この時には既にオープンチャットは閉めていた。それは、とうの昔に決めていた事であった。ネームドが着いたオタクなんて扱いづらいだろうと、幕引きのケジメはつけたかった。
ライブで見る彼は、やはりかっこよかった。いつか作った団扇を持って、彼を見つめる。でも、彼が私に気づく事はない。
(気づかないよね……)
こんなにも多くのファンがいる。会場に一人二人しかいなかった最初の評価でも、気づかなかっただろうし。
それにまだ、私はあの些細で軽率な行動を心の何処かで許せてなかった。
心の狭いファンである。でも、やはり、誠実にアイドルになりたかった練習生たちがあんなに居たのに、あの行動は正直どうなのかと思ってしまったのだ。
これからは気をつけてくれ。でも、私の気持ちは頑張った分だけ、彼への愛が目減りしていた。
そして、愛情のとどめを刺される。
とある事件があった。何かは書けない。でも、私は呆れるしかない。
『もうこれからは、しないでくれよ』
私はただ静かにそう呟いた。
アイツはどうせ擁護するのだろう、と他のファンたちが私を鍵垢で笑っていたのを知っている。
そういうのを、密告するやつもいるんだこの世には。
ただ、擁護する気はさらさらない。擁護したところで、事実は変わらない。ならば、素直な気持ちを書くしかない。
でも、歳の若い彼のファンの子が私にリプライをしてきた。
「触れないでください、消してください。貴方、ファンなら擁護すべきでしょ!!」
その時、思ってしまったのだ。
そうなのかもしれない。
こんな事すら許せず、擁護もできない私はファン辞めてやるよ、と。
私はファンを辞めた。ファンクラブも辞めた。
そこから2年、私は彼を見ると体調不良になるくらいになっていた。自分の心の狭く醜い姿をいつも実感してしまうから。
それに、彼が何かニュースになる度に私は思ってしまう。
あの時、私が頑張らなければ、アイドルになって、こんな窮屈で辛い事にならなかったかもしれないと。
ああ、本当に私は、醜くて、気持ち悪くて、馬鹿なやつだ。と、独りよがりな後悔をしていた。
でも、久々に開催されたとある大きなフェス。
そこに彼はいた。一応とばかりに、あの団扇を引っ張り出してきた。何度も捨てるか迷ったそれ。経年劣化か見ればわかるくらいにボロボロになっていた。
会場内では、それでもあまり浮いていなかった。
周りは皆、きれいな写真付き団扇を持って、きらきらと彼らの光るペンライトを持っているが、他のアイドル推したちもいるからだ。
私も、最近できたまだデビューしてない推しがいたため、新しいボードも作ってきていた。
真新しくシンプルなボードと、既に傷だらけの団扇。
フェスのオープニングアクト、本編が始まる前に出てきたデビューしてない推し。
初めて生で見るパフォーマンスは心が踊った。ああやっぱ、推しは大好き。天才。顔も良い、ダンスも良い、ラップも上手。彼は私のボードに気づくと、ハニカミながら手を降ってくれ、ハートもくれた。初々しい姿はとても可愛かった。
幸せだった。幸せだったからこそ、このあと久々に彼を見るのが、尚更怖かった。
でも、時間は残酷だ。暗くなった会場内、彼らの紹介VTRが流れた。
一気に彼らの登場に周りは沸き立つ。私はそんな中ワンテンポ遅れて、団扇を持って恐る恐る立ち上がる。
久々に見た彼は、やはりかっこよかった。でも、綺麗な団扇やボードの中。傷だらけで、ボロボロの、まるで呪物のような団扇を持ち続ける事が私にはできなかった。
(ああ、でも、彼はアイドルになった)
ファンたちに手を振る彼は、あの客席を眺めていた彼から大きく成長していた。彼のファンも沢山いる。メンバーたちとも楽しそう。
(そっか、そうかぁ)
出番が終わり去っていく彼の姿を見送りながら、私は静かに席に座った。
そして、フェスの最後。オープニングアクト以外の出演者がステージ上に現れて、皆にファンサービスをしていく。
舞い散る紙吹雪。彼も満遍なく手を降っている。私も振られた。団扇を上げる事もせず、座り込んで見ている私にもだ。その姿はまさにアイドルそのもの。
でも、私には気づいていないだろう。
だって、私はもう、貴方のファンじゃない。
(ああ、やっと終わったんだ)
自分の後悔が消えていく。長い間苦しめた思い出も、今なら笑って話せるだろう。
自然と涙が流れるが、悲しくはない。むしろ、彼がアイドルになった事を素直に喜べた。
紙吹雪の中、彼は去っていく。私もまた、静かに席を立ち、退場口へと足を向ける。疲れてるはずの身体は、来る前よりも軽く感じた。
あいむ、のっと、ふぁん 木曜日御前 @narehatedeath888
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