くっちゃべりーず

蝉土竜

第1話 学校

 人は挑戦する生き物だ。

 一度や二度の失敗など気にせず、成功に辿り着くまでなんどでも挑戦していればいつかは結果に結びつき、当初の願いを達成することができる。

 そのはずである。


「……なんじゃこりゃ」


 夕暮れ時の放課後、誰もいない教室で自分の机に座り込み、ブックカバーをかけた文庫本を広げる男子学生が一人。誰のことかって。無論、ぼくだ。


「なんじゃあこりゃああぁぁ!」


 誰もいないことをいいことに柄にもない声量で某刑事の真似事をしながら立ち上がる。その姿を見るものは誰もいないし、なんなら虚しさが倍増するだけで対処療法にすらなっていない。

 やはり柄にもないことはするべきではない。

 本が好きでもないのに人の気が引きたくて読書好きのふりをしていたが、読書をしているということはつまり私は今本を読んでいます、じっくり本の世界に没頭したいので話かけるんじゃねえよ邪魔をするな、ということである。

 入学早々に友達作りに出遅れた分を取り返そうとしてここ一週間ほど事務的な会話以外は一切口を開かず、フィクションの世界に想いを馳せていたのは全くの無駄だった。

 窓の外では丸坊主だらけの集団もとい野球部の連中が気風の良い掛け声を上げている、ああ青春だ。吹奏楽部のトランペットかよくわからんも重い音が鉛みたいに耳元から流れ込む、ああ青春だ。夕暮れの茜色が無機質な教室内を照らしてなんともノスタルジック、ああ青春だ。


「……しょうもな、帰ろ」

 

 机の脇にかけていた鞄を手に取ると、扉に向かって歩き出す。

 現実とは非情である。

 これがライトノベルとかだったら魔物とか化物とか出てきたり、マジうぶ100%なヒロインが突如現れて異世界転生とかさせてくれるんだ。

 しかしながらそんな奇妙珍妙な存在はリアルな世界には存在せず、上手に人間関係を構築した者のみがクラスカーストというピラミッドを上っていくのだろう。

 そう、ぼくじゃない誰かのように。


「たのもー」


 引き出に手をかけようとした瞬間、扉が独りでに開いた。

 扉の外には小さな小さなJKがいた。

 もとい、クラスメイトだった。


「……音、威さん?」


 目の前の小さなクラスメイトを紹介しよう。

 彼女の名は音威梨子。入学して三か月ほどで不登校をかましたつっぱりクレイジーガールである。とはいっても、その容姿はクレイジーとはほど遠い。身長170センチのぼくよりも頭一つとちょっとは小さいので背丈は150センチより低い。伸ばした髪はびろんびろんに伸びていて、口までありそうな前髪を無理に分けているせいか片目が完全に隠れてしまっている。鬼太郎かお前は。

 目鼻立ちはわりと整っているように見えるけど、これまでの実績のせいで全てが台無しになっている気がしてならない。

 ようするに、ぼくと同類の──


 ぼっちだ。


「ヒラオ、今暇?」


 ヒラオとはぼくのことだろうが音威から呼び捨てにされる謂れも関係性もない。なんなら会話したのは初めてだ。


「暇っていわれたら暇だけど、今丁度帰ろうとしてたとこ」


「そうか、じゃあラッキー」


 なにがラッキーなのか。もしやぼくが帰るタイミングに合わせて待ち伏せしていたのか。


「ヒラオ、とりあえずそこの席につけ」


 すぐ近くの席を指差す音威はぼくの腕を引っ張りながら軽く誘導してくる。


「ちょ、ちょっと待て! 突然どういうことだよ!」


「話をしよ、ヒラオ」


「はなし? 話ってなんについてさ」


 温厚なぼくは音威の謎の誘導に腹を立てず、言われるまま席に座る。なんて同級生思いのいい男なんだ。


「学校について」


 端的に、短く、すっぱりと。

 ぼくの席の向かいに座った音威はそう言った。


「……なんで今からそんな話をしなくちゃならないんだ。もう夕方だよ、それぐらい明日でもいいだろ。な、なんならっ、メルアド教えてやってもいいけど」


「いやそれはいらん」


「断るのかよ……じゃあどういう意図で? 理由によっては付き合ってやんないぞ」


「りこは練習するべきだと思ってる」


「練習?」


「そう、練習。みんなと喋るのへたくそで、伝えたいこと全然伝わらない。このままじゃ陽キャ学生生活が水の泡」


「なるほどねー。確かに会話の練習をするのはいいかもな。慣れたらクラスのみんなと話をするときでも緊張しないで自然でいられるかもだし」


「そう、だからヒラオや」


「うんうん。そういうときには仲が悪くなっても問題のない陰キャとするべきだよね、リカバリーきくし……ってぼくかよ!」


 音威の小動物みたいな体がびくっと跳ねる。

 リアクションに反して目つきは鋭い。抗戦体勢に入ろうとしてやがる、このチビ。


「なんややるんか、やったるでー」


「やめなさいみっともない。ていうか迫力ないし謎の関西弁やめれ」


「ふう、しょうがない。優しいりこに感謝しな」


「……どの口がいう」


「まあ気を取り直そう。ヒラオは高校に入って楽しい?」


 どうやら強制的に会話は決行されるようだった。

 陰キャには言論の自由すらないとは。


「正直言って、楽しくないよ。中学の頃からの友達とも離れ離れになって一から人間関係築かなきゃならないし、人見知りだから声かけずらいし、かといって話かけてもらえるような個性みたいなのもないしさ」


「せやな」


「関西弁の下りまだ続いてたのね……とにかく! ただ学校にきて、授業受けて、家帰るの繰り返し。部活に入るのも迷って時期逃したのが祟ってさ、今から入るのも忍びないって感じ」


「うーむ。じゃあヒラオは部活に入りさえすれば友達できるってこと?」


「どうかな、それも怪しいもんさ。基本受け身だから」


「りこは部活に入りたくない。何故ならYouTuber稼業が忙しいから」


「えっ、お前YouTuberだったの!」


「ウソや」


 どや顔だった。

 マジでなんなんだこいつ。


「……もう帰っていいかな」


「どうどうどう、落ち着け。部活に入りたくない本当の理由は勉強。それと習い事が少々」


「習い事か……ぼくも小学校高学年ぐらいまではやってたけどな」


「家に帰ったからすぐ勉強、一年生の段階で覚えるカリキュラムは全て終えたよ。終わったから遊んでいいかなって思ったけど、ダメだって。頭の悪い人たちと一緒にいたら頭が悪くなる、同じ色になるからダメだって。でもピアノのお稽古と英語のお勉強する塾で会った子なら話すのはいいって、パパが言ってた」


「おい、それって……」


 聞いて寒気を覚える。

 それってネグレクトってやつじゃないのか。しかもさらっとえげつないこと言いやがったぞ、こいつ。まだ入学して数か月しか経っていないのに一年生の授業範囲を全て終えるなんて常人のすることじゃない。

 きっと驚きで歪んだ顔をしていたであろうぼくの表情を見て思い当たる節があったのか、音威は首を横に振る。


「勘違いしないで。りこのパパはすごい。ヒラオが何時何分何秒地球が何回回って転生を繰り返しても勝てないくらいすごいの。だからパパの言うことは正しくて、その期待にも応えてあげたくって……ようはりこの意思でやってることっつーわけよ」


 音威は嘘はついていないだろう。

 なにせ自然にすらすらと話せているし表情にだって微塵も焦りはない。だからこそ、驚きが隠せなかった。


「じゃあ、音威も学校は楽しくないのか」


「うん、ぜんぜん楽しくない」


 どうしてかは、しかしわからない。

 だけど何故か突然、天啓の如きひらめきがあった。雷のような衝撃が脳みそをぐらりと揺らした。音威の発言を否定してやりたいという、謎の欲求に襲われた。


「……でもさ」


「でも?」


「さっきは学校が楽しくないとはいったけど、それはぼくたちが楽しいところを見つけられてないだけで、気がついてないだけで、本当はものすごく楽しいところだったとしたらどうだ」


「ありえない。パパはいつだって正しかった、りこがみんなに馴染めないのもきっと色が違うからにゃの。あっ、やべ噛んだ」


「肝心なとこで噛むな」


「失敬。ようは住んでる世界が違うってこと。スーパーりこと並ぶにはスーパーになるしかねえのよ」


「じゃあなんでぼくが帰るのを引き止めたんだ。コミュ障の陰キャなら仲互いしても構わないのなら、もっとぞんざいな絡み方してもいいのにさ。お前、仲良くなりたいっていうか友達がほしいようにしか見えないぞ」


「それは……」


 真っすぐ音威の目を見つめる。

 音威は軽く俯くと返事に詰まった。本心とは違うわけではなく、本心の中にもかすかな希望があるからこそ、こんな時間にぼくみたいな陰キャの隙を狙うような形で話しかけてきたのだろう。

 ぼくはこれをチャンスだと思った。


「よし、じゃあこうしよう。学校は楽しい、それをぼくが音威に教えるよ」


「は? 何言ってんだヒラオ、頭おかしいじゃね」


「辛辣! いやでもな、お互い友達のない身だろ? なら少しでも他人の意見とかを取り入れるために会話して……そう練習だ! ぼくと話を重ねて練習がてらに楽しさを探す。これなら一石二鳥だろ」


 えーって顔するな。

 せっかくなけなしの勇気振るったんだから脈ありな反応してくれよ。


「ヒラオと同じ色になったらりこ、もうお嫁にいげない!」


「安い泣き真似するな」


「泣きたくもなるよ。学校楽しくないって言ってるヒラオが人に教えるとか無理じゃん」


「無理じゃない、任せろ」


 一体自分の身体のどこから湧き上がってくる自信なのか全く存じ上げないが、ここで引いてはいけない気がした。ここで引いてしまったら音威だけじゃなくて、ぼくの大事なところにある綺麗な部分がどうしようもなく傷ついて薄れて、二度と輝いてくれないような気がした。


「むりだね」


「無理じゃない」


「むりだね」


「無理じゃない」


「むりダネフシ」


「誰がフシギダネの真似しろつったよ。無駄に似てるのが余計腹たつ」


「へへっ、あざまる水産」


 基本あまり表情の変わらない音威が初めて笑った。

 微かに微笑む程度だけど、それだけでなんだかぼくはとても嬉しくなった。

 だからってなにも変わりはしないけど。


 教室から見える夕日はいつのまにか沈んでいた。

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