魔女の指先で死者は笑う

 皆が寝静まった、深夜。叩きつけるような雨は未だ降りやむ様子はない。

 か細い灯りこそあるけれど、夜の漆黒は城を覆いつくさんばかり。

 暗闇に支配された廊下を足音を潜めながら歩む人影がある。

 人影は迷いのない足取りで進み、曲がり。更に進み、上り、そしてそこへと至る。

 辿り着いた先は、城の端に位置する古ぼけた塔の最上階だった。

 かけられた覆いの上に埃が積もった道具類が乱雑に積み上げられた、忘れ去られた空間。

 夜闇に紛れるようにして、人影はある壁へと歩み寄ろうとして……。


「いらっしゃると思っておりました」

「……!? 家庭教師!? 何でここに!」


 ガラクタの山の影に潜むように立っていたエリカは、訪れた人影――ジョージへと夜と同じ色の眼差し向けて、静かに呟いた。

 エリカがそこに居たことに、いや自分以外の他者がその場にある事に驚愕したジョージは、咄嗟にそれ以上の言葉が出ない様子である。

 無理もない、そもそも此処は立ち入りが禁じられている。それに加えて『事故』があった為に、許可があろうと皆が気味悪がって近寄らない。

 ジョージが目的を持ってきた事は『見て』わかっていた。その目的がこの場所に繋がっていることも。

 退去の期限は明日の朝。ならば今宵行動を起こすだろうと確信していた。

 蒼褪めたまま固まってしまっているジョージを他所に、エリカはジョージが歩み寄ろうとしていた壁のある場所へと手を伸ばす。

 一見しただけでは何もないように見える。積み上げられた石は重く固く少しも緩んでいない。

 けれど、エリカが迷う事なく触れた一つの石は少し引いただけでするりと抜けた。

 細い指を生じた間隙に差し込んで、エリカは草臥れた封筒をつまみだす。


「これを回収しにいらしたのですよね? 死んだメイドと交わした秘密のやり取り」


 言葉を発する事すら出来ず唸り続けるジョージを他所に、さして感慨もない様子で手紙を取り出して、一瞥する。

 滑稽なまでに陳腐な愛の言葉と共に記したのは、侯爵邸の調度を持ち出すようにという命令。

 今は投資が上手くいかず苦しいが、成功したら必ず結婚しよう。もうけして離さない、ずっと一緒だ。

 そんな三文芝居の台詞のような言葉を、彼女は真剣に受け止めて何時か叶う夢として抱き続けていたのだろう。

 けれども、それは儚い幻でしかなかった。

 誰にも気づかれぬようにこの秘密の場所を介してやりとりしていたのだろう。

 そのままにしておいても誰も気づかないだろうが、いつ何時、何があってその場所が暴かれ秘密が露見するか分からない。

 小心なこの男は、僅かな可能性でも消し去りにやってきたのだ。

 

「『縁』が全て教えてくれました。貴方がした事を……盗みの事も、貴方がメイドを殺したという事も、全て」

「……な、なんの言いがかりを!? 死んだ女は自殺したんだろうが!」

「いいえ。メイドを殺したのは貴方です、ジョージ様」


 エリカの持つ手紙を奪い取ろうと、ジョージはエリカに掴みかかろうとしていた。

 だが、エリカは捕まらない。ひらりひらり、無感情なまでに落ち着いた表情のまま、伸びてくる手を躱し続ける。

 実体のない幻でも追っている感覚に苛立ったジョージは、懐から鈍い輝きを放つ何かを取り出した。


「いいから、それを寄越せ!」


 男の手には拳銃があった。

 しかし、エリカが動じる様子はない。銃口を向けられても、欠片の動揺も怯えもない。

 その落ち着き払った様子に、怯えたジョージは引き金にかけた指を引こうとした。

 その瞬間、血飛沫が舞う。されど銃声は響かない。

 一呼吸後には、変わらぬ様子でジョージを見据えるエリカの前で、ジョージは手から血を流して転げまわっている。

 そして、人影が一つ増えていた。

 人影というには少しばかり語弊があるかもしれない。何故ならその『人影』は向こうが僅かに透けて見えていたから。

 射干玉の黒の髪を一つに結い、転げる男を見据える切れ長の瞳には怜悧な光。

 凍れる美貌に、焔を思わせる勇猛な空気を纏う東洋人の男が抜き放った刀を手にし、エリカを守るように立っていた。

 ジョージに知識があれば、その男が纏うのが東の国にて『武士』とされるものの出で立ちであると気付くだろう。

 けれどそれを知らず、更には恐慌状態のジョージに分かる筈がない。辛うじて異国の装束であると判断できるだけ。


『下衆が。……エリカに武器を向けようなど、身の程を知れ』

「カガリ、それ以上は止めて。殺してしまわないで」


 殺意すら感じさせる険しく鋭い眼差しをジョージに据えたまま、現れた男は告げる。

 それを聞いたエリカは驚いた様子はないまま、呆れた口調で制した。

 美しい朱色の飾り紐が結ばれた刀だけは向こうが透けておらず、実がある。

 その事実も、飾り紐がエリカの手首にあるものと同じものであることも、気付くのは今のジョージには無理な事。

 現れた存在――カガリが明らかに人では無い事、そしてその手にした凶器が自分に向けられている事、それだけがジョージに理解できる全てだった。

 

「幽霊と話して、従えて……。噂は本当だったのか……?」

「そのあたりについては否定しておりません。積極的に肯定しても面倒になるのでしていないだけです」


 辛うじて聞き取れる程度の掠れた震えた呻き声で、ジョージはようやく言葉を絞り出した。

 それに対してエリカは極めて落ち着いた口調で答えを返しながら、肩を竦めて見せる。

 否定したのは『侯爵の愛人』という点と日本から来たという点についてである。

 それ以外の点……不可思議な力を持ち合わせる事については、エリカは否定をしていない。ただ、肯定もしなかっただけである。

 自身でも、自分が『魔女』であるのかどうかを計りかねている。日本人であった母もまた同じ力を有していた。若しかしたら彼の国の血によるものなのかもしれない。

 けれどもそれを肯定する心算もないし、吹聴して回る心算はもっとない。面倒事が舞い込んでくるのは御免蒙りたい。

 暫く双方それ以上口を開かないまま、重い沈黙が三者の間を支配する。

 それを破ったのはジョージだった。気が触れたのではないかと思う程、けたたましい笑い声をあげてエリカの手を指さす。


「そんなものは幾らでもでっちあげられる! 俺を貶めようとしているんだ!」


 まがりなりにも侯爵家の遠縁である男性と、一介の家庭教師。世間的にどちらの言葉が信用されるかは明白だ。

 恐らくこの城の主はエリカを信じてくれるだろうが、世は侯爵のような人間ばかりではない。

 虚勢をはるジョージを見つめてひとつ息をつきながら、エリカは言葉を紡ぐ。


「まあ、それはどうでも宜しいのです」

「は……?」


 言われたジョージは間の抜けた声をあげて、ぽかんと口を開いて絶句した。

 その呆けた面に大笑いしてしまいそうになるのを必死に堪えながら、エリカは慎ましい微笑を浮かべて続ける。


「これは証拠が必要な推理ではございません。そのようなものを語るつもりもなければ、不要」


 するする、とエリカが手にした手紙から何かが伸びていく。それは一本の糸だった。

 ジョージを絡みつき、絡めとる、黒い糸。それはどれほど払っても取る事が出来ない。

 狂乱に近い状態となりながら、ジョージは藻掻いた。藻掻けば藻掻くほど、より強く糸は絡みついていく。

 ふと、ジョージは伸びる糸の先を見た。糸はエリカの手紙、そこから窓際にある『何か』へと向って伸びている。

 そして彼は恐怖に染まった表情で絶叫する。


「故に、被害者に直接証言して頂こうとおもいまして」


 冷静なエリカの声すら、今の彼には届いているかどうか。

 彼は、糸の先に佇む血みどろの女の姿しか見ていない。

 メイド姿の女は、エプロンも何もかもを頭から流した血に染めて、頭部は半ば壊れて脳がのぞき掛けている。

 瞳から流しているのは、紅い涙。

 女は――罪を悔いて自死した筈のメイドは、無念と憎悪に満ちた表情のまま呪いを吐き出した。

 

『しんじて、いたのに。あいして、いたのに』


 メイドは男に歩み寄る。ずるずると何かが這うような音と共に、赤黒い血の筋を引きながら、メイドは男に手を伸ばす。


『わたしを、じゅうでおどして、うそをかかせて』


 信じて罪に手を染めた見返りは、冷たい銃口。

 悲しい、恨めしい、裏切られたこころで震えながら、メイドは偽りの告白を書かされた。


『わたしをつきおとした……!』


 逃げようとするのを乱暴におさえつけ、物のように引きずり、窓から突き落とした。

 落ち行くメイドが最後に目にしたのは、嘘を記した紙を手にしながら嗤う男の醜悪な表情。

  

「こ、こんな、こんなものは……!」

「勿論、死者の証言では、公に罪に問う事が難しいのは承知しております。でも、人の世の方法での償いは、貴方様には必要ありません」


 床の血は、どんどん質量と面積、男とメイドの足元に広まってり、溜まっていく。 

 ジョージは動けない。石になってしまったかのように、微動だにしない。恐怖に染まった表情で、魚のように口をぱくぱくさせる事しか出来ていない。

 メイドは、ジョージの前に立つ。彼女の瞳は溢れるほどの狂気と狂喜があった。

 彼女は両の腕をジョージへと向ける。空事の愛を呟いて、彼女の心を縛り上げた男へ。

 糸は途切れる事なく二人を繋ぎ、結びつける。もうけして離れる事を許さぬというように。


「貴方は彼を抱き締める事が出来る。連れておいきなさい、貴方の望む場所へ」


 けして離さぬと誓ったというならば、そのように。何処までも一緒に行けばいい、離れずに二人共に在ればいい。

 東洋の血を引く『魔女』は託宣を告げるかのように厳かに言いながら、以後は沈黙を以て二人を見つめ続けた。刀を手にした男もまた、それに倣う。

 声にならぬ悲鳴をあげて、心だけは必死に逃れようと足掻きながらも身動き一つできぬジョージを、メイドは抱き締めた。

 喜びに満ちた叫び声をあげて、メイドは床の血だまりに沈んでいく。メイドの両腕に囚われたジョージもまた、床に飲み込まれて行く。

 姿はどんどん消えて行き、最後に赤黒い溜まりから必死に伸ばされていた手が、とぷんと沈んで。

 エリカは瞳を閉じて、再び開く。

 そこにはもう、血だまりも、メイドの幽霊も、そしてジョージの姿はない。

 静寂と積み上げられた道具類が埃を被っている光景に、エリカとカガリだけが在る。


『珍しいな』

「……何が?」

 

 暫し満ちた沈黙を破り、刀を手にした男が呟いた言葉に、視線だけをそちらに向けるエリカ。

 眼差しを返しながら、カガリは静かに続ける。


『お前がこうして、自ら力を使う事は珍しいなと思っただけだ』


 確かにその通り。普段は積極的にこのような真似はしない。むしろ嫌がり隠そうとしている。

 けれど、今回ばかりは留まり続けた嘆く叫びがあまりに切なく、心をかき乱してきたから。

 はにかむように微笑みながら、秘め恋に生きた彼女があまりに哀しかったから。

 それに。


「……彼女が淹れてくれた紅茶が美味しかったから、それだけ」


 呟いた黒髪の少女が向ける漆黒の先、笑うメイドの幻が過ぎて、消えた。




 ジョージの姿が何処にもない事に最初に気付いたのは、執事だった。

 何処を探しても見つからず、結果として、朝になる前に居たたまれなくなって帰ったのだろうという事になったらしい。


 永劫に離れぬ絆で結ばれて、深い底へと落ちていった『恋人たち』の事など、誰も知る由もない……。

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