第3話

「ったく、もうちょっとマシなネタがねえのかよ」

 短くなった煙草を灰皿でにじり消し、洟を啜りつつ新しい一本に火を点ける。最初の煙を吐き出すと、くらりとした。ずっと同じヤツを吸っているのに、最近きつくなってきた。頭を掻くと、時期でもないのに木の葉のように髪が抜け落ちる。歳、と浮かんで鼻で笑った。

「ふざけんな、まだ四十五だぞ」

 かつての新星もここまでくると、くすむどころではない。もう枯れかけだ。今月俺に任された原稿は僅か一件、地方紙でどうでもいいようなコラムを連載している。

――先生、もうちょっと読者に寄り添った感じで、柔らかい文言でお願いできませんか。

 俺が少しきつい書き方をしただけで、編集部に『人の気持ちを考えられない作家を使うな』『傷ついた』『そうでない私は生きる資格がないってことですか』と意見が押し寄せるらしい。

 かつては毒舌だの何だのが持て囃される時代もあったのに、今は新聞の文言にすら「傷つけられた」と騒ぐ弱者が正義の時代になった。

「面倒くせえ世の中になったよなあ」

 俺に面と向かったら言えなくなるくせに、いっちょまえに俺の文に文句つけやがって。お前らどうせ俺がまた返り咲いたら、手のひら返して褒めそやすんだろう。

 クソが、と吐き捨てながら、再びモニターへ向かう。

 見返すために必要なのは、ネタだ。新鮮なトリックだ。それがあれば俺はまた、あそこへ。

 ニュースサイトの更新ボタンを押すと、気になる見出しが並んだ。今年の芥川賞と、直木賞が決まったらしい。唾を飲み、悴む手でリンクをクリックする。

 『直木賞には青柳K吾さんの』

 そこまで読んだ次には、モニターを投げ飛ばしていた。

 ふざけんな、ちくしょう、ちくしょう。

 荒い息を吐きつつ、震える手で噴き出す汗を拭う。

「あいつは俺を踏み台にしたんだぞ! 俺を利用しやがって!」

 どん、と壁を殴る音にびくりとする。

 しまった、騒ぎすぎた。ここは前のマンションとは違う。隣に住んでるのはガラの悪い外国人だ。関わり合いたくはない。

 肩で大きく息をし、根本がへし折れたモニターを拾いに行く。もうこれ、使えねえな。馬鹿馬鹿しくなって、万年床の布団へ投げる。六畳一間に小さい台所とトイレと風呂。冷暖房なしで、今は電気ストーブで暖を取っている。この安普請が、今の俺の居場所だ。公務員でも会社員でもない、誰も俺の人生の保証なんかしない。印税は入るが、余裕で食っていけるほどじゃない。

 青柳は、俺とのトリック比較検証サイトに興味を持ったどこぞの編集者に声を掛けられたらしい。きれいにサイトやSNSを削除して隠蔽し、素知らぬ顔でデビューした。

 一度だけ、あいつのインタビュー記事を読んだことがある。尊敬する作家に俺の名前を挙げ、「先生の作品が、ふらついていた俺の人生を決めてくれました」だのと語っていた。

 今頃、あいつの周りは祝いラッシュか。ふざけんなよ、青柳。本当ならそこは、俺がいる場所だったんだ。

 あいつの笑顔なんて。

 ……ああ、そうか。台無しにしてやればいい。俺だって、かつての新星だ。まだそれができるくらいの力はあるじゃねえか。

 笑いながら、机に戻る。荒れた机の上には吸い殻を積み上げた灰皿と散った灰、落ちそうなキーボード、そしてライターだ。

 俺は、お前には負けねえ。

 ライターを手に布団へ向かう。横車を擦ると、赤い光が揺れた。

 明日の一面はお前じゃねえ、「俺」だ。

 しゃがみこみ、布団の端にライターをかざす。明るく透けたカバーは、すぐ光に飲まれた。くすんだ煙を立ち上らせながら、じわりと炎が拡がっていく。そうだ、これでいい。


 勝つのは、青柳、お前じゃねえ。

 俺だ。




                            (終)

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朽ちた新星 魚崎 依知子 @uosakiichiko

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