新米小説家の災難

三咲みき

新米小説家の災難

 目の前の相手は、俺の取り出したナイフを見て後ずさりした。刃先をそいつに向けて、一歩ずつ近づいていく。


 俺が一歩動くごとに相手は一歩下がる。しかし、奴の行く先は壁で、もう逃げ場がない。


「や、やめ………」


 奴が言い終える前に、距離を一気に詰め、腹を刺した。奴は「うっ」と一瞬うめき声を上げ、背中を丸めてその場にうずくまった。


 俺はそいつの胸ぐらを掴んで、奴の命が途絶えるまで、何度も刺し続けた。


 奴が完全に動かなくなると、ようやく奴を押さえていた手を離した。


 もう動かなくなったそいつを見て、思わず笑みがこぼれた。



***



「で、寺島は結局、小説家と科学者、どっちになりたいわけ?」

 間宮は呆れながらそう言った。


 今日の授業は午後からで俺と間宮は、授業前に食堂でご飯を食べていた。昼食をとりながら、昨日完成したばかりの小説を間宮に読んでもらっていた。それで読み終わった間宮の最初の感想が冒頭の台詞である。


「小説は趣味で書いてるんだよ。将来の夢はもちろん科学者さ」

「『もちろん』じゃねぇよ。もうこれ何作目?お前の小説、いちいち面白いから腹立つんだよな。もう応募しちゃえば?」


 俺は趣味で小説を書いている。書き始めたのは高校生のときだ。もともとミステリーが大好きで、当時からいろんな作家のミステリーを読んでいた。いろいろ読むうちに、自分でも書いてみたいと思うようになった。


 でも、いきなりミステリーを書くのは難しい。だからまずは俺らの年代に近い青春小説を書いてみた。それが案外上手くいって、それならと今度はファンタジー、SFに挑戦し、今回やっとミステリーを書いた。

 ミステリーといっても今回書いたのは短編だから、俺もまだまだだ。


「いや~、それにしてもさあ。これ、ラストすごいな。まさか主人公が犯人だとは思わねぇよ。俺も結構ミステリー読むけど、これは全く予測できなかったわ」

「だろ?俺たちってミステリー読むとき、自然と主人公は容疑者から外しているだろ?そこをついたんだよ」


 今回、俺が書いた小説。主人公は科学者。彼は日々、自分の研究をしているわけだが、彼の先輩の科学者が何者かによって殺される。その犯人は一体誰なのか………。

 この話は主人公の視点、犯人の視点が交互になるように構成されている。だから、読者は犯人目線のところを読んでいるとき、一体こいつは誰なのかと、その一字一句に目を光らせて、犯人を推測する。


 でも、この小説の犯人は主人公。実はこの小説はずっと主人公目線で書かれていたというオチだ。我ながら渾身の出来だと思う。


「お前さ、ホントにすごいな。こういうの、どうやって思いつくわけ?お前の小説、もう随分と読んでるけど、いちいちクオリティー高いんだよ。本格的に小説書きすぎ。ファンタジー書いたときは、片っ端からファンタジー小説読むし、恋愛小説を書いたときは流行の恋愛ドラマと映画見てどういうところに女子がときめくのかを研究してたし。どこにそんな時間があるんだよ。そんなことする暇があったら、レポートの質上げろっての」

「好きでやってるんだよ。小説にはリアリティが必要なの。フィクションだけど、あまりに現実離れしているのは、読者も身近に感じられない。内容が身近に感じられたら、自然とその小説に引き込まれる。それから俺、別にレポート手を抜いてるわけじゃないから。ちゃんとやってるから」

「ホントかよ。だいたいさ、これ何日で完成させたわけ?昨日、俺がお前の家行ったとき、まだ完成してなかったよな?」

「昨日間宮が帰ったの、9時過ぎだっけ?そこから全部書き上げた。昨日のうちに書き上げたかったんだよな」


 俺の返答に、間宮は心底感心するような顔をした。


「すごいな。まあ、俺はお前の小説好きだからこれからも読みたいけど、ほどほどにな?理工学部は忙しいんだから」

「わかってるって」


 そろそろ3限が始まる時間だ。俺たちは席を立って、食堂を出た。


 食堂を出て少し歩いたところに、理工学部の建物がある。その建物を入ったところのすぐ左手には掲示板がある。なぜかその掲示板の前に人だかりができていた。

 その中をかき分けて、掲示物を見てみると、『3限 藤井クラス 基礎有機化学 休講』と書かれていた。


「それ、俺らのクラスじゃん」

 それを見た間宮が言った。

「休講とか珍しいね。先生、なんかあったのかな」

 俺がそう言うと、近くにいた同じ授業をとっている学生が話しかけてきた。

「お前ら知らねーのかよ。藤井先生、今朝、研究室で遺体で発見されたんだぜ」

「は!?」

「どういうことだよ!」


 その学生の話によると、藤井先生は、今朝、研究室を訪れた学生によって発見されたらしい。ナイフで全身メッタ刺しにされていて、凶器は持ち去られていた。


 何かを盗まれた形跡はなく、おそらくは先生自身を狙った犯行だろうと。内部の者の犯行か外部の者の犯行かはまだ調査中らしい。警察によると、犯行時刻は昨日の午後7時頃。


 先生は誰かと約束をしていたのかもしれないが、それぐらいの時刻ならば普通に先生は研究室にいただろうし、誰が彼を殺してもおかしくはない。


「にしても、藤井先生、災難だったな」

 今日の授業は3限だけだったから、何もすることがなくなった俺たちは、再び食堂に戻った。

「とか言っちゃってさ、本当は嬉しいんじゃないの?」

「は?なんで?」

「だって、間宮さ、藤井先生のこと嫌いだったじゃん」

「まあ、確かに嫌いだったよ。だってあいつ、俺のレポート、すっげぇケチつけてくるんだぜ。人が丹精込めて書いたレポートをな。人のこと、偉そうに言えるくらい、あいつは素晴らしい結果を残してんのかよ。あいつのこと嫌ってるのは俺だけじゃないはずだぜ」

「俺はあの先生、好きだったけどなぁ」


 藤井先生は御年70歳の教授だ。普段は温厚で、授業がわかりやすいが、レポートの採点は鬼みたいに厳しい。だけど、指示は明確だから、どこを直せば良いかわかりやすい。


「授業、どうなるんだろうね」

「当分は誰かが交代で授業するか、もしくは授業自体無くなるかもな」



***



 間宮とそのまま話し込んで家に帰ったのは夕方の6時過ぎだった。夕日が差し込んで、部屋がオレンジ色に染まっている。


 藤井先生が何者かに殺された。その事実が、ひどく精神を疲れさせた。


 一息つく前に、風呂に入ってしまおうと、クローゼットを開けた。


「ん?」


 そこに、見慣れない、紙袋があった。


 これは一体何だろう。


 中に何か白いものが入っている。それを掴んで取り出した。


 ゴトッ。


 その白いものを引っ張り出したときに何かが一緒に落ちた。


 落ちたものを見て、俺は思わず声を上げた。

 

 床に落ちているのは血が付いたナイフだった。急いで自分の持っている白いものを広げてみる。それは返り血を浴びた白衣だった。血がべっとりと染みついている。


「なんで………嘘だろ?」


 俺はその場にへたり込んだ。脳裏に、昼間の会話が蘇る。


『藤井先生、今朝、研究室で遺体で発見されたんだぜ』


 まさか、俺が?先生を?


 いやいや待て待て。俺には全く身に覚えがない。覚えはないが………、俺には自分が藤井先生を絶対に殺していないと言う自信はない。なぜか。


 俺は小説を書くときにリアリティを求めるから。


 ミステリーを書くのがなぜ難しいか。それは人を殺したことがないのに、その描写をリアルに表現できないからだ。


 昼間に間宮に見せた短編、あれを書いたとき、下調べのつもりで、他の小説家が書いたミステリーを読んだり、医学書を読んだりした。


 それだけで充分書けると思っていた。


 しかし、それだけでは満足できず、俺の中の知らない俺が、人を殺してしまっていたとしたら?


 俺は小説を書くために藤井先生を殺したのか。俺が先生を殺害していないと断言することはできない。小説を書くためなら、人をも殺す、かもしれない………。


 俺のポリシーからしてそれは自然な発想だ。証拠だってここにある。


 ただ、自身が全く覚えていないだけで、自分の中に眠っている知らない自分が先生を殺したのかもしれない。


 だとすれば、俺がやらなければならないことはもう一つしかない。


 俺は鞄の中からスマホを取りだして、110番した。



***



 時刻は午後11時。


 俺はウィスキーを嗜んでいた。そして思いの外、事が上手く進んでいることに内心ほくそ笑んだ。


「寺島はまさか俺が犯人だと思っていないだろうな」


 昨日、寺島の家に行く前、研究室にいる藤井先生を殺害した。そしてそのときに使用した白衣や凶器は、紙袋にまとめて入れて、それを寺島の家に持って行った。もちろん、家に上がるときはそれをリュックに入れていて、寺島がトイレに立った隙に、彼の家のクローゼットの中に隠した。


 全ては寺島に罪をなすりつけるために。


 この計画を思いついたのは、寺島がミステリーを書くと言い出したことだ。

 俺は前々から藤井を殺したいと思っていた。俺のレポートを何回もコケにしやがって。教授だからって、態度がデカすぎなんだよ。俺はそれが前々から気に入らなかった。


 だから殺すことにした。


 寺島は小説を書くために、その分野について本を読んだりネットで調べたり、実際に足を運んでみたりとかなりの精力を注ぐ。


 それを利用することにした。


 人を殺す描写をよりリアルに書くためには、実際に人を殺してみないとわからない。自分だったらそれをやりかねない。返り血を浴びた白衣と凶器を見れば、寺島はそう思うに違いない。


 リアルな小説を書くために人を殺したんだって。


 あとは寺島が自首してくれれば、万々歳ってわけだ。あいつのことだから、自分が罪を犯したとなれば、居ても立ってもいられないはずだ。


 寺島には申し訳ないが、俺のために犠牲になってもらう。


 ただ一つ、心残りなことは、もう二度とあいつの小説を読めなくなるということだ。


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