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「先日は本当にありがとうございました。ささやかなものですけど、こちら」
美しく包装された箱が、部室のテーブルの上へと差し出された。伴瀬さんが深々と頭を下げながら、
「ぜひおふたりで。倉嶌先輩と志島さんには、どうお礼を言っていいのか」
この態度に私はすっかり恐縮してしまい、「いや、そんなに改まらなくても。この人はほら、いつも通り好奇心で行動しただけだし」
「仮にそうだったとしても、お世話になったことに変わりはないから。よかったら開けてみて。柚と相談して選んだんだ」
中身は色とりどりのクッキーだった。その見栄えの麗しさに、うわあ、と思わず声をあげてしまう。私は慌てて、
「お茶、淹れるね。伴瀬さんはごめん、紙コップでいい? 紅茶? 珈琲?」
「私は珈琲。ミルクと砂糖入りで」訊いてもいないのに、琉夏さんが勝手に答える。「いつもと同じくらいの甘さでよろしく」
「たまには自分で動いてくださいよ。部長のほうがポットに近いんだから」
「悪いんだけど、私にはやるべきことがあって」
溜息が出た。「減らず口ばっかり。今すぐやらないと駄目なことなんですか?」
「できれば。せっかく伴瀬さんが来てくれたからね。このあいだの推理の続き――いや落穂拾いかな」
棚からカップを取り出しかけていた私は、はたと動作を停止した。「まだなにか言い残してたことが?」
「うん。まあ伴瀬さん、座ってよ。そもそもの発端はあなただったんだからさ」
促されるままに伴瀬さんがパイプ椅子へと腰掛け、すっと背筋を伸ばす。「ええ」
「いちばん最初の話に戻ってみよう。生物の授業中にあなたが泣いたのは、アレルギー体質のせいだったってところ。でも考えてみると不思議だよね。生真面目で厳格なあなたが、うっかり薬を飲み忘れることなんかあるかな? 放課後ならともかく授業中に泣き出しちゃうなんて事態、そうそう起きると思えないんだよね」
「飲んだのに効きが悪かった可能性は?」
この伴瀬さんの反論に、琉夏さんはすぐさまかぶりを振ってみせ、
「だったらこれまでに一度くらい、そういうことが起きてるほうが自然じゃない? 八か月も同じ教室で過ごしてきた皐月でさえ、あなたの体質をまったく知らなかった。それに伴瀬さんの場合、症状はくしゃみ鼻水なんだよね? 涙が一筋だけ出て終わり、にはならないと思うけど」
「ではなぜだったんでしょう、生物室で私が泣いたのは」
琉夏さんは微笑し、「まあそれは追々。ところでこないだお邪魔したとき、指摘しなかったことがあったんだ。風太郎のおうち、あれ硝子張りだったよね。というか水槽だった。ハムスターを飼育するならふつう網のケージか、透明なプラスチックの容器でしょう。つまり風太郎のためだけに用意されたものじゃなく、前に使ってたのを転用したと考えるのが自然。ということは伴瀬家では以前、別のペットを飼ってたんじゃない? 同じく夏祭りで手に入れたんだとしたら――たとえば金魚」
伴瀬さんは唇を引き結んだままだったが、その表情は幽かに変化していた。少なくとも私の目にはそう映った。すなわち伴瀬家に、金魚はいたのだ。
「続けてください」
「風太郎を紹介するとき、伴瀬さんは名前の次に年齢を言ったね。一歳と半年で、ハムスターとしてはだいぶお爺ちゃん。別におかしな紹介とまでは思わなかったけど、ちょっと気にはなった。まるで常日頃から意識しつづけてるみたいだってね」
「なるほど。それが?」
「風太郎がジャンガリアンハムスターかどうか訊いたとき、あなたはキャンベルだってすぐ答えてくれたよね。ジャンガリアンとキャンベルって外見がよく似てて、見分けるのが難しいんだけどね。ペットショップではっきりそうと銘打って売られてたならまだしも、お祭りで手に入れた個体でしょう? 知識がないと分からないんじゃないかなあ」
「仮に私がハムスターに詳しかったとして、どうだと仰るんでしょう」
「ハムスターにというか、生き物全般に、かな。私が校長の訓示を聞くより蜈蚣の脱皮を観察してるほうがましだって言ったときも、伴瀬さんは厭な顔をしなかった。蜈蚣が好きかどうかまでは分からないけど、生き物を過剰に嫌ってるわけではないらしい。そうするとここで、疑問が再燃してくるんだよ――じゃあどうしてあなたは、生物委員を固辞して美化委員になったのか」
「なぜだと思いますか」
なんでかな、と琉夏さんは静かに応じて、
「金魚の話に戻ろうか。金魚ってかなり個体差が激しいというか、鯉かってほどでかくなってずっと元気でいる奴もいるし、そこまで長生きできない奴もいる。どの程度の期間を一緒に過ごせるかって、なかなか分からないんだよね。もちろんどんな生き物でも不測の事態はあるし、飼い方にもよるんだけど、金魚の場合は特に、予想を立てるのが難しい。実は金魚の寿命がポリプテルスと同様、十年以上あるんだとしてもね」
時間を遡って話そう、と琉夏さんが続ける。彼女は宙に視線を投げながら、
「伴瀬家で飼われていた金魚は、あるとき死んでしまった。心の準備ができていなかった柚ちゃんは、きっとショックを受けて泣いたんだろうね。これはもう二度と動物は飼わないほうがいいだろうってくらい、深く深く悲しんだ。だけどやっぱり淋しさに耐えられなくて、次のペットとして風太郎を迎えることにした。そのとき伴瀬さんは、お姉ちゃんとして約束させたんじゃない? 風太郎とは長くても二年くらいしか一緒にいられないと理解すること。いつか別れのときが来たら、泣かないで見送ること」
琉夏さんが再び伴瀬さんを見据える。
「難しい、本当に難しい約束だね。私なんかじゃとても守れる自信がないや。ヌシの訃報に触れて、伴瀬さんは思い出したんじゃないかな――自分たち姉妹に大切なことを教えてくれた、かつての家族のことを」
ずっと胸を張り、背を反らせて琉夏さんと相対しつづけていた伴瀬さんが、不意にテーブルへと視線を落とした。片方の手で眼鏡を外し、もう片方の手で顔を覆って、
「駄目ですね、私。みんなの前では、妹の前では、偉そうに見栄を張ってても、けっきょくは泣き虫なんです。小さな子供のまんま。とても生物委員になんてなれない。動物を穏やかに見送ってやるのも無理。金魚はクロっていって、黒い出目金でした。不思議な世界から迷い込んできたみたいな顔をしてて、本当に可愛かったです。柚と協力して、精いっぱい面倒を見ました。でも、淋しいものは淋しいじゃないですか」
「そうだね。愛情深かったからこその淋しさだ」
「ええ。風太郎のことも、同じように世話するつもりです。でもロイには――迷い猫には――柚はきちんと愛情を注いでやれなかったんだって思ったら、柚もロイも可哀相で、申し訳ないです。私、なにやってたんだろ」
ねえ伴瀬さん、と琉夏さんが呼びかける。「ロイの毛、白と茶色だったんだよね。生物の猫柳が最近保護した猫の話、知ってるでしょう? 頼んで写真を見せてもらったんだよ。柚ちゃんが話してたロイの特徴とぴったり一致する。保護した時期も、まさにロイがいなくなったタイミングと同じ」
伴瀬さんが伏せていた頭部を上げた。顔の半分で泣き、もう半分で笑っていた。「柳澤先生が――」
「事情は伝えてある。猫柳、いつでも会いに来ていいって。高校生チームで引率しようか、柚ちゃんのこと」
伴瀬さんは妹そっくりの声音で泣きじゃくりながら、「お肉と魚を持たせて?」
「いいね。他の猫たちもきっと喜ぶ。みんな猫柳より柚ちゃんに懐いちゃうかも」
落ちかけた冬の陽光が、部室の床を四角く切り取るように照らし出していた。私はドアノブを勢いよく掴み、座ったままのふたりを振り返って、
「行こう」
小さな生き物 下村アンダーソン @simonmoulin
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