消えた容疑者 -見えない扉-

大隅 スミヲ

見えない扉

 その通報が入ったのは、深夜1時を過ぎた頃のことだった。

 通信指令室が受けた110番通報では、ホテルの一室で人が死んでいるというものだった。

 それだけの通報では事件であるかどうかはわからないため、通報のあったホテルに一番近い交番から地域課の警察官が現場へと向かった。

 ベッドに横たわっているのは、全裸の女の死体だった。手と足は縄紐で縛られており、首にも絞められた痕が残っていた。

 警視庁第二機動捜査隊は、これを殺人事件と判断して防犯カメラの映像などから女と一緒にホテルに入った男の行方を追ったが、男を見つけることはできなかった。


「一緒に入ったはずの男が消えた?」

 第二機動捜査隊――通称、二機捜ニキソウ――からの連絡を受けた新宿中央署刑事課の夜勤当番だった富永とみなが巡査部長は、思わず大きな声を出してしまった。

 何事だと言わんばかりに、同じ刑事課の部屋にいた夜勤担当者たちの視線が富永に集まる。

 富永は申し訳ないと、頭を下げて謝る姿勢を見せた。

 それで周りの視線は富永から逸れていったが、ただひとり、じっと富永のことを見つめている人物がいた。高橋たかはし佐智子さちこ。階級は巡査部長であり、富永よりも1つ年下の後輩刑事であった。佐智子は富永とコンビを組んで捜査を行う相棒でもある。

 富永が電話を終えたことを確認した佐智子はすぐに、富永のところへと走っていった。


「なんですか『一緒に入ったはずの男が消えた』っていうのは」

「ああ。俺にもよくわからん。ただ二機捜の竹島たけしまさんがそういうんだよ」

「じゃあ、出動ですね」

 きょうの佐智子は、どこか入れ込み気味のようだ。


「ちょっと、織田係長に話をしてくるから、車を回しておいてくれるか」

「わかりました」

 富永の言葉に佐智子は刑事課の部屋を飛び出していくと、刑事庶務係の部屋から捜査車両の鍵を借りて、駐車場へと向かった。


 現場は東新宿の駅に近い場所にあるラブホテルの一室だった。

 ホテルの前にはパトカーと覆面パトカーが停まっており、制服警官が規制線を張って立っていた。


「ご苦労様です」

 佐智子と富永はホテルの入り口にいた顔見知りの制服警官に挨拶をして、ホテルの中へと入っていく。


 現場となった203号室には、富永と電話で話した二機捜の竹島警部補と数名の刑事たちがいて、佐智子たちが入っていくと、捜査状況などの説明をしてくれた。


 竹島によれば、女の死体を最初に発見したのは、ホテルの従業員だったという。

 時間になっても客が部屋から出てこないことを不審に思い、部屋を訪れたところ、死体を発見したとのことだった。

 部屋の鍵は内側から掛かっており、マスターキーを使って従業員が部屋の中に入ったそうだ。

 部屋の中には、ベッドの上で縛られた女の死体があり、一緒に入ったはずの男の姿はどこにもなかったという。部屋に入るためのドアのカギは掛かっていたし、窓などはすべて開けられないようになっている。

 そこは完全な密室だったというわけだ。


 防犯カメラのチェックは、ホテルの従業員と二機捜の刑事たちで行ったが、男がホテル内のエレベータを使った形跡もなければ、ホテルから出ていく様子の映像も残されてはいなかった。


「どういうことなんでしょうね、これ」

 訳の分からない状態に、さすがの佐智子も首を傾げる。

 どうやったらカギの掛かったままのホテルの部屋から男が脱出できるのか。そこが最初の疑問点だった。


「隠し通路とか無いんですか」

 富永が従業員に聞く。

「聞いたことありませんね」

 従業員も困惑しきった感じで答える。


 佐智子は床に這いつくばったりしながら、部屋のあちこちを見て回ったが、ほとんどの場所は鑑識によって調べられているため、これといった手掛かりが落ちていたりすることはなかった。


「うーん、まるでミステリー小説だな」

 独り言をいいながら佐智子は部屋の中をウロウロと歩く。


 そんな時、どこからか風が入ってくるのを感じた。

 おや?

 佐智子はその風を感じた場所をもう一度歩いてみる。空気の流れがここだけにある。

 ベッドの脇に置かれていたティッシュペーパーを一枚取ると、指先で摘まみながら、その場所をもう一度歩いてみる。

 ティッシュが風によって揺れる。やはり、ここには空気の流れが存在しているのだ。


「富永さん!」

 ティッシュを持ちながらウロウロとしていた佐智子の奇行を見つめていた富永に佐智子が声を掛ける。

「なにか見つけたのか」

「はい。ここだけ、空気の流れがあります」

「それで?」

「きっと、どこかに、窓か扉があるはずです」

「鑑識がそこら辺は調べたんだろ」

「どこか、見落としている場所があるはずです」

 富永に言われても、佐智子は引かなかった。


 ティッシュを持った佐智子は、ゆっくりと風のある方向へと歩いていく。

 やはりティッシュは揺れている。

 その空気の道がある場所の先。そこは、鏡張りの壁だった。

「あれ?」

 その鏡に近づいた佐智子が驚きの声をあげた。

「この鏡、マジックミラーになっていますよ」

「え、マジか」

 妙なテンションで富永が食いつく。

 ラブホテルにある鏡は、一部マジックミラーになっているものがある。

 そんな都市伝説のような話を一度は聞いたことがあったが、まさか本当にあるとは思いもよらぬことだった。


 しかも、そのマジックミラーとなっている鏡の壁は、横にスライドさせることのできる扉となっていた。それは、まさに見えない扉といってよかった。

 そして、その扉の向こう側には薄暗い廊下が続いていた。


「え、なにこれ……」

 従業員もこの扉の存在は知らなかったようで、驚きの声をあげている。


 マグライトを片手に持ち、もう片方の手には警棒を持った佐智子は、真っ暗な廊下をゆっくりと進んだ。普段はまったく使用されていないようで、マグライトの光の中でホコリが舞っている。


 途中、廊下にシャツとズボンが落ちていた。

 この先に男がいるかもしれない。


「動くなっ!」

 突然、佐智子が声をあげた。

 マグライトの光の先、そこには身体を丸めるようにして、しゃがみこんでいる全裸の男がいた。


 男は殺人の容疑で逮捕され、新宿中央署の取調室ですべてを自供した。

 プレイの一環で縄で縛ることをやっていたのだが、首に巻き付けたロープを引っ張りすぎて彼女を殺してしまったのだ。


 あの見えない扉を発見したのは偶然だったそうだ。

 退室時間を過ぎてしまい、従業員が部屋にやってきたことを知った男は慌てて隠れる場所を探したそうだ。そして、壁にあった鏡にぶつかった時、鏡が少しだけずれて、そこに扉があることを知ったのだった。

 男は慌ててその扉の向こう側に入り込んだ。自分の服を持って、真っ暗な廊下を手探りで進んだが、その廊下は行き止まりだった。服は廊下のどこかで落としてしまった。そのため、従業員がいなくなるまで隠れているつもりだったのだ。

 しかし、従業員はいなくなるどころか警察を呼んでしまった。

 男はあのマジックミラーの向こう側で警察がいなくなるのをずっと待っていたとのことだ。


 この見えない扉が何のために作られたのかは不明だった。

 ラブホテルの経営者には、生活安全課から何かしらの連絡が行く予定となっている。


「なんだったんでしょうね、あの隠し扉」

 そんな話をしていると、刑事課の電話が鳴った。

 佐智子は飛びつくように受話器を取る。

「はい、新宿中央署刑事課、高橋です――――」

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