大凶女子、伍代京子の鍋料理
壱単位
大凶女子、伍代京子の鍋料理
「お鍋、もうちょっと待っててね」
台所から京子が顔を覗かせる。
大吉の家、大盛神社は本日朝に崩壊した。詳しくは別話「大凶女子、伍代京子の初詣」を参照願いたい。話せば長くなる。つまり京子が米軍の偵察衛星を彼氏の家に落としたのだ。
だが、これまで同様の事態を数百回経験している神主、つまり大吉の父、大盛破王はまったく動じなかった。こんなこともあろうかと、あらかじめ家財道具は母屋の奥、こじんまりした離れに避難させていた。
離れとはいえ、台所から寝室まで完備した、いわばゲストハウスである。その八畳ほどの居間にこたつを置き、いま三人が足を突っ込んでいる。いまでは珍しい十四インチくらいの小さなテレビと、ちゅんちゅん音を出すやかん、そして灯油ストーブが雰囲気を演出する。
「京子ちゃん、やっぱり手伝うよ」
入り口を背にした、いちおうの下座には、大吉。京子の彼氏である。落ち着かない様子で、台所の様子をうかがっている。
「いいの。今日はわたしのわがままでみんなに迷惑をかけたから、せめてものお詫び。おつまみ、つまんでで」
台所から返事が聞こえる。
「やっぱりいいなあ女の子がいる家は」
「いまどきはハラスメントっていわれるぜ。ほらよ」
大吉の左で、向かいの破王に徳利を傾けているのが京子の父、伍代鏡然だ。鏡然の外観はシンプルに弁慶である。そして破王の外観は、格闘ゲームの敵ボスというところだ。神主なので斎服を着ているが、黒い。そして袖がない。引きちぎられたかんじで布の端がぼさぼさしている。もはや斎服の意味はない。
両者ともこたつに足を突っ込んでいるのか、足首にこたつを乗せているのか判然としない体格である。大の字になれば八畳間の四隅に手足が到達すると思われた。
なお、両家ともはやくに妻あるいは母親をなくしている。いずれも大吉、京子がうまれてすぐだ。その話をすると長くなるし、作者が泣いてしまって進まなくなるので割愛せざるを得ない。
ともかく、四人は年になんどかこうして集まって食事をする機会がある。今日はとくに大吉と京子がお詫びということでバイト代で材料を調達してきて、鍋料理となったのである。
「おっとっと、それくらいで」
「ところで破王よ。京子と大吉くんも春から三年生だな」
「うむ。いかにも」
「式はどちらでやるのだ」
京子お手製のたくあんをつまんでいた大吉がぶふぁと奇妙な音をだした。
「ばぼっぞんじゃらすえすほ」
「大吉くん。食べるかしゃべるかどっちかにしなさい」
「し、式ってなんですか」
「知れたことよ。卒業してからでは間に合うまい」
「えっ、なにが」
「嫁入りにしても婿入りにしても、うちか大盛の神社か、どっちかが後継者不在になるだろう。だから早めに、お世継ぎを、だな」
ぱちこん! と鏡然がウィンクをする。破王も頷く。
これはダメなやつだ、と理解した大吉は立ち上がった。
「台所手伝ってきます」
「おまたせえ。できたよ」
京子がピンク色の鍋つかみであつあつの鍋を掴んで部屋に入ってきた。やむなく座り直す大吉。
「なんのお話してたの」
「む。よつぎのな」
「よつぎ? なんかわからないけど、今日はあんこう鍋だよ。まだあるからいっぱい食べてね」
京子が土鍋のふたを上げる。香気とともに、ふわあっと湯気があがる。まだぐつぐつ言っている鍋を男三人が覗き込む。しっとり味の染みていそうな白菜、季節のきのことふるふるした豆腐、香気高いネギ、梅の形に飾り切りされたにんじん、そして綺麗に揃えられたあんこうの身が京子特製の出汁の中で彼らの箸を待っていた。
「おお……いただいてよろしいか?」
破王がたまらず手を伸ばす。
「どうぞお」
三人が声を揃えて答える。早速、菜箸であんこうをつまみあげた。
そのとき。
大吉は、大地の鼓動と大気の揺らぎを感じた。……来る!
「おっとと」
菜箸からこぼれるあんこう。破王のとなりのストーブのほうへ転がる。だが、破王は見抜いている。
「ふっ、そこでストーブの芯に直撃して出火からの大火災だろう。甘いわ。京子ちゃんと何年つきあってると思ってるんだ」
誰に言っているのかわからないセリフを言いながら、高速で転がる具材に迅速に箸を伸ばす。が、空を切った。たまたま侵入していた野良猫があんこうを咥えて走ったからである。
「かつての日曜夜七時に聴こえた歌詞め!」
おさかなくわえたどらねこはそのまま疾駆。だが破王が瞬時に間合いを詰める。壁際に追い込まれた猫。口元のあんこうに狙いを定めて箸を出す。空気の微弱な振動を察知して迅速に回避した野良猫。破王の箸は、壁のコンセントに刺さった。
激しい閃光に包まれる破王。口からかすかに煙を吐き、どぅ、と大地に伏す。
「無念……鏡然! 大吉! あとは……た、の、む……」
お鍋をひとくちも食べないまま、破王は十五分間は帰らないひととなった。
「父さん!」
「大吉くん! 破王の意思を無駄にするな!」
大吉は唇を噛み締め、頷く。叫ぶ。
「おじさん! 援護します!」
「おうよっ!」
鏡然は瞬時に袖捲りをして菜箸を持つ。京子がタイミングをはかり蓋を持ち上げる。仮にこぼしても今度は大吉が注視している。彼の大吉力も寄与したか、鏡然のお椀に具材が収まった。機を逃さず口に運ぶ鏡然。
「う、うま……い……」
どうと倒れ伏す。驚愕する大吉と京子。
「……たまたま……ふぐの肝が混入していた……だと……?」
「お父さん!」
「……ゆけ……人の世のゆくさきを照らすのは、君たちだ……」
鏡然に走り寄ろうとする京子。その腕を掴み、振り返った京子に静かに首を振って見せる大吉。もういちど鏡然を見て、涙を溜めながら頷く京子。
「託されたのね。わたしたち」
「……負けるわけには、いかない!」
大吉は跳躍した。鍋の上で右腕を支点に半回転。こたつの反対側へ降り立つ。その勢いで蓋を持ち上げる。ほとばしる湯気。京子が菜箸を投擲する。まっすぐ大吉の右手に収まったそれは、あんこうに向かって亜音速で突き出された。
そのとき。たまたま隣家で研究開発をしていた悪の科学者がたまたま開発に成功した生命復元剤がたまたま発生した事故により流出した。気化したそれは、わずかな隙間をとおって鍋に向かった。
どくん。生命をとりもどすあんこう。切り身がうごめく。細胞が結合する。鼓動が再開する。魔回復により瞬時にして大吉の背丈を超えるサイズに成長した元あんこう。天井を突き破る。京子に覆い被さるように守る大吉。
ふたつの脚部まで獲得した元あんこう。ついに外へ出た。成長を続けながら近隣を蹂躙する。いまやビルに匹敵する大きさとなった元あんこう。大吉が見る。たまたまはるか銀河から派遣された銀色の巨人が両手を組み合わせて射出した何らかのエネルギー体により切断される元あんこう。
生命を逸失したそれは急激に元のサイズに戻る。切り身となり落下する。元の位置にいまだ設置されていた鍋に戻る。
静寂を取り戻した離れの部屋。ただし、屋根はない。
「……さあ、いただこうか」
大吉は差し込む陽光を受け、少し照れたように、京子に笑いかける。
「……もう一回、火、通さなきゃね」
京子は少しためらって、だが、静かな優しい微笑を返した。
空はどこまでも蒼く、高く、澄み切っていた。
大凶女子、伍代京子の鍋料理 壱単位 @ichitan
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます