第七章 卑弥呼 3

 翌日、沖縄は台風二十五号の接近で大荒れになった。


 増渕たちは嘉手納基地内のホテル〈SHOGUN INN〉に足止めされた。


 その間に日米の関係修復は急速に進んでいった。


 あのスマートフォンの最後の通話記録が役に立ったのか、それとも記録的な暴風雨の影響なのか、暴動は沈静化してデモ隊は解散した。


 米軍が厳戒態勢を解いて、ゲートを固めていた重装備のハンヴィーが基地内に戻って行く様子がニュースで流れている。


 日本側は官房長官が記者会見でデモ隊の基地侵入を謝罪し、治安出動の解除を宣言した。夕方には、暴動の被害を受けた街の復旧作業を自衛隊と米軍が連係して行うと、防衛大臣と横田基地の米軍司令官が揃って発表した。


 日米同盟に関わる大きなニュースが流れる一方で、沖縄の三つの地元新聞だけが嘉手納基地の小さな事故を伝えていた。


〈嘉手納基地の格納庫で漏電事故、死者一人〉


 増渕は新聞を閉じて書斎机に置くとベッドに横になった。


 次の日――台風一過。秋陽と青空が戻ったのは昼過ぎだった。


 博と美紗紀は横田基地行きの輸送機でいち早く東京へ戻っていった。エリザがホテルに迎えに来てくれたのは、それから一時間ほどした頃だった。ロビーで待っていた増渕を見付けると、小さく手を振って駆け寄ってきた。


「木之下さんも行きたいと仰るのでお連れしました。車で待っておられます」


 まだ刀根は部屋から下りてきていない。ソファに座り、大賀が持ってきた地図を広げて場所を確認する。


「此処っす。この川が目印っす」


 大賀の太い指が嘉手納基地の北側の一点を指すのを見てエリザが言った。


「此処は、まだ基地の中ですね」

「弾薬庫地区だ」


 初めて此処に来た時、刀根がそう教えてくれた。


「弾薬庫っすか。まずい所にしちゃいましたかね」

「でも、確かに此処が一番手付かずの場所かも知れませんね」

「入っても大丈夫でしょうか」

「命の恩人、増渕さんのためです。何とかしましょう」

「ありがとうございます」


 エリザの手を取って立ち上がった。エリザも笑顔で立ち上がる。青い瞳に吸い込まれそうになった。


「誰よ。その金髪女」 


 振り向くと、凶悪な顔をした刀根が腰に手を当てて立っていた。


「エリザ・ロバーツです。増渕さんに助けてもらいました」


 増渕と手を繋いだままでエリザは簡単に自己紹介した。

 刀根がその手を一瞥して、「で、何処に行くのよ」と苛ついたように言う。


「まあまあ、早く行きましょう」


 大賀が立ち上がって強引に刀根を外へ連れ出していく。


 エントランスには一台のハンヴィーが横付けされていた。助手席に乗っている木之下がこちらに気付いて深々と頭を下げる。


「お待たせしました」エリザが軽い身のこなしで運転席に乗り込んだ。


 刀根が無言で後部座席に収まる。大賀にその隣を勧めた。巨大な車体なのに四人しか乗れないのだ。どちらか一人が荷台に乗る筈だったのだけど、大賀が「いま刀根さん機嫌悪いっす」と隣に乗るのを怖がったので、二人して荷台に上がった。載せられていた木之下の車椅子と三本のシャベルを隅に寄せて腰を下ろす。


 ハンヴィーは滑走路の北側に出て、以前に来た時と同じように一般道の下を潜り、弾薬庫地区に入った。橋を渡る。下には小さな川が流れていた。前に通った道だ。木々に囲まれた山道に入り、さらに奥へと進んでいく。何処に分かれ道があったのかよく分からなかったけれど、見覚えのない細い道に入った。両側に蘇鉄の群落が広がっている。


 斜面を回り込む大きなカーブの手前でハンヴィーが停まった。


 エリザが降りてきて、「この辺りです」と道路の下に目をやる。そこに腕ほどの幅の小さな川があった。暴風雨のあとだというのに濁りもなく綺麗な水が流れている。


 大賀と二人掛かりで、木之下を乗せた車椅子を沢まで慎重に担いだ。エリザが二本のシャベルを持ち、刀根が残りの一本を引き摺りながら続く。


「こんな所まで連れてきて、宝探しでもするつもり?」

「そうっす。みんなの宝っす」息も切れ切れに大賀が答えた。


 川沿いの平坦な場所を探して車椅子を降ろすと、木之下が斜面の一角を指差して目を見開いた。喉から荒い呼吸が漏れている。


「どうしました?」


 増渕が訊くと、木之下は震える手で人工声帯を喉に当てた。


「ココハ、ワタシトセツコガ、クラシタバショデス」


 木之下が指している東側の斜面に小さな洞穴が口を開けている。


「セツ子ちゃんとあの洞穴に?」


 木之下は目を潤ませて何度も頷いた。洞穴の入口まで車椅子を運び、増渕と大賀はスマートフォンのライトを点けて中を覗き込んだ。大賀の巨体では無理だろうけど、増渕なら腹這いになれば入れそうだった。


「此処にある可能性は? あるなら僕が行く」


 大賀は洞穴の入口の不自然に削り取られたような傷を指でなぞり寸刻見詰めると、自分の手を当てて引っ掻くような仕草をした。石灰岩は思った以上に脆くて、ぼろぼろと削れていく。


「この入口は手で削って作られているみたいっす。これが目印かも知れません」


 それを聞くや否や、増渕は汚れるのもお構いなしに腹這いになって洞穴に入った。


 ライトで照らされた空間は六畳間くらいの広さがある。大きな亀裂の前に白い瓶子と香炉が転がっていた。亀裂の中をライトで照らす。奥にもうひとつ空間があるようだけど、身体が入るほどの幅はなかった。子どもでなければ抜けられそうにない。


「邪魔よ。退いて!」


 すぐ後ろで泥だらけの刀根がシャベルを上段に構えていた。増渕が離れるのを待たずに、刀根はそれを振り下ろして亀裂に突っ込むと、がりがりと削り始めた。亀裂の幅があっという間に広がっていく。見惚れていると刀根が怒鳴った。


「あんた、いつまで私にやらせるつもり? 代わりなさいよ」

 

 刀根が手荒く渡してきたシャベルを、力一杯に亀裂に差し込む。石灰岩の大きな塊が外れて落ちた。何度か繰り返しているうちに何とか中に入れそうな幅になった。


「どんなお宝か知らないけど、とっとと取って来なさい」


 問答無用で刀根に隙間へ押し込まれる。


 亀裂の先にはさらに広い空間があった。二十畳はあるだろう。その一番奥にイヨがいた。足を投げ出すようにして壁に凭れ掛かっている。服や顔は失われていて、機械が剥き出しになっていた。


「いました」

 

 増渕が声を掛けると刀根が入って来た。暗闇に浮かび上がったイヨの前に立つ。


「卑弥呼の跡を継いだあと、歴史書から壱与の記述がなくなったのも納得だわ。たったひとりでこんな所にいたなんて」


 いつになく畏まったような口調だった。


「卑弥呼の一族にバナナのネックレスを受け継がせたのは、僕たちにヒントを残してくれたんですかね。それも大賀くんがプログラムしてたのかな」

「あのネックレスはタイムスリップ直前に美紗紀ちゃんが渡したのでしょ。プログラムを組む時間なんてあったの?」

「ないです。じゃあ、イヨが自分で考えて……否、イヨは美紗紀ちゃんの言動を真似してるだけだから、美紗紀ちゃんがやったということなのかな」


 刀根が屈んで、イヨに優しく微笑みかける。


「美紗紀ちゃんが歴史を作ったのよ。イヨは美紗紀ちゃんからネックレスを貰ったように、自分が姿を消す前に一族の後継者にあげたんだわ。それが一族の決まりごとになった」


「歴史に少しロマンを感じるようになりました」 


 刀根は笑顔になりかけたれど、すぐに「ふん」と鼻であしらって「で、このイヨがお宝なの?」と、いつもの口調に戻った。


「そうです。すぐに意味が分かりますよ」


 二人でイヨを運ぶ。二人でと言っても刀根は頭部を支えているだけで、殆どは増渕が抱えている。身体の大きさは美紗紀と同じなのに、重さは恐らく大賀と同じくらいはある。


 汗だくになって入口まで戻ると、エリザも洞穴に入って来てくれて、三人掛かりでイヨを外に押し出した。大賀が洞穴前にイヨを寝かせ、隣に跪いて「よくやった」と何度も頭を撫でている。


 増渕たちにとっては二日ぶり、イヨにとっては千八百年の時を超えての再会だ。


 メタリックの骨格は、錆が覆い尽くしていて輝きが失われていた。指先は腐食が進み、形状崩壊して何本か無くなっている。


 大賀がイヨの上半身を起こして、背中のカバーを外した。ぼろぼろになった基盤や配線を掻き分けて、身体の中央部から辞書ほどの大きさの箱を取り出す。周囲の痛み具合とは対照的に、綺麗な状態の陶器で出来た箱だった。


「陶器は腐食しないっす。このために作りました」


 大賀が箱を開けると懐かしいクリスタルの輝きが現れた。


 増渕が作った新型石英ガラスメモリだった。


「スマホのとは違ってこれは大容量っす。これにイヨが見たもの聞いたもの全てが記録されています。つまり、この中に邪馬台国があるってことっす」

「あんたたち、やるわね」


 刀根が腰に手を当てて仁王立ちになった。額と右頬に泥が付いたままだけど、本人は気にも留めていないようだ。


「私も、ほんのちょっとだけ科学に興味が湧いたわ」


 刀根は大賀から陶器の箱を受け取って、木之下に新型石英ガラスメモリを見せた。


「邪馬台国よ。木之下さん、どうする?」

「キミタチニ、ユダネマシタ。ワタシニハモウ、オモイノコスコトハ、アリマセン」


 大賀がぼそりと耳打ちしてくる。


「これで本当に過去を変えたことになるっすかね。実はこれも、すでに決まっていたことじゃないっすか」

「いや。変えたんだよ。気の持ちようだ」

「センジチュウニ、ジョウカンカラ、キイタコトバヲ、オモイダシマシタ」


 木之下が清々しい顔でそう言った。小川のせせらぎだけが聞こえている。木之下の眼は遠く過去を見詰めているようだった。


「ツネニ、カコハ、ゲンザイガ、イミヅケヲシテキタ」


 真剣な眼差しをこちらに向ける。 


「キミタチノレキシハ、ミライデ、ドンナイミヅケガ、サレテイルデショウカ」

「僕たちは〈今〉を生きているだけですよ。そんなの未来で勝手にやってください」


 木之下は満面の笑みで頷いた。


 腹を揺さぶる爆音が響き渡る。頭上を二機の戦闘機が通り過ぎていった。 

 


               * * *



 もう十月の半ばなのに暑い。理由ははっきりしていた。ボロアパートのこの狭い部屋に五人も詰め込んでいるからだ。


 増渕は短く切り揃えた頭に装着していたLEDライトを消して、分解途中のハードディスクをノートパソコンの上に置いた。メガネに取り付けていた倍率三倍の光学双眼拡大鏡を跳ね上げて振り返ると、ついこの間まで布団を丸めて置いていた居住空間に、ソファと大きなテーブルが持ち込まれていた。


 そこにゼンゾウさんから貰ったタワー型のコンピュータと二十九型のワイドモニターが設置されていて、脇に山積みされた文献と照らし合わせながら、刀根がイヨの記録した膨大な数の画像や映像を調べている。相変わらず綺麗な眉だ。


 刀根の両サイドには美紗紀と大賀が陣取り、モニターを覗き込んで画像のひとつひとつに盛り上がっている。


「あー、また食べ物っす。食べ物の画像が多いっすね」


 大賀が三つ目のメロンパンを頬張りながら笑う。


「しかも果物ばかり。あんた、どんなプログラム組んだのよ」


 刀根の口調は相変わらず荒いけれど、かなり楽しんでいるようだ。ちょっとした表情の違いが解るようになった。


「だって、イヨは私ですもん。邪馬台国の人が何を食べているのか気になります」


 美紗紀は眼をきらきらさせてモニターから視線を外さない。


「さすが女王っす。民の暮らしを見て回ったっすね」


 刀根が山積みの文献から一冊を抜き取り、目的のページを開くと画像と見比べた。


「桃に、柿に、西瓜。アフリカ原産の西瓜が中国に伝わったのは十一世紀だとされているのに、もうこの時代に西瓜を食べていたとは驚きね」


「まさにヘンダワネですね」と、美紗紀が意味ありげな面持ちで言う。


 刀根と大賀が揃って怪訝な顔をして首を傾げる。その様子を満足そうに見て、美紗紀が笑顔で答えた。 


「イランでは西瓜のことをヘンダワネというのです。お父さんが教えてくれました」


「へぇ」刀根と大賀が声を揃えて感心する。


「しかし、このぺエスだと全部見るのに何年掛かるか分からないっすね。イヨの記録では二年近く稼働してますから、動画だけでも二万六千時間以上あるっすよ。それに画像が数千枚。この画像でまだ十二枚目っす」

「いいのよ。此処はそういう研究をする所なんだから」


 そうなのだ。沖縄から帰って来て、刀根は此処を勝手に研究所ということにした。


 二〇二号室の〈秋葉原データ修復サービス〉の看板の上には、いま〈TM不思議研究所〉という刀根の手書きの怪しい看板が取り付けられている。もちろん刀根が無断で付けたのだ。〈TM〉は〈刀根マリ〉の意味かと尋ねたら、〈刀根と増渕〉の略だと答えた。〈孝治とマリ〉でもいいと言う。変なことに巻き込まないで欲しいと抗議すると、「チームだと言ったのはあんたでしょ」と睨まれた。そんなこと……言っただろうか。


 斯くして、増渕の抵抗も空しく、刀根は強引にソファとテーブルを持ち込んで、部屋の一角に自分の空間を作ってしまったのだ。


「ちょっと休憩」と刀根が立ち上がった。


 来客スペースにいたゼンゾウさんが、高級そうな洋菓子の箱を幾つも開けて、手招きしながら「いいよ。いいよ」と連呼している。通信会社と防衛省のお礼だそうだ。


 今回の一件で、ゼンゾウさんは通信会社や防衛庁のメインコンピュータにアクセスして情報を抜き取った。けれど、そのあとにそうした不正アクセスが出来ない修正プログラムを作ったのだという。自分でセキュリティシステムを破り、自分でそれが出来ないように新たに強固な防衛システムを構築して、無償で提供したらしい。本当に何をやっているのか分からない人だ。


「ありがと」


 刀根が金で装飾された黒い包みを二つ取って、一つを美紗紀に渡した。


「いま何時?」


 刀根が出し抜けに訊いてきた。


「もうすぐ三時です。どうしました?」

「あんたは時間の研究はしないの?」


 刀根は菓子包みを開けながら、こちらを見ようともしない。


「専門外ですよ」と作業に戻る。

 丸岡興行の依頼だ。案の定いいように使われている。


「色んなデータが集まったんでしょ。何か分かるんじゃない」

「そんなに簡単ではないですよ。世界のトップクラスの研究者が今回のデータを解析して、推論を立てて、法則を見付けて、それこそ何十年掛かるか分からない研究が続くんです。僕に出来ることなんて……」


 刀根が洋菓子を一口食べた。ブランデーの良い香りが漂った。


「卑弥呼だったのかもね」


「何がです?」外したネジを耐熱絶縁マットに整列させる。


「あんたが言っていた時間を司る物質を観測していたのは、米軍じゃなくて卑弥呼だったのかも知れないと言っているの」


 刀根は作業台に腰掛けて、「鬼道につかしゅうを惑わす」と続けた。


「三国志の東夷伝倭人の条の一節よ。卑弥呼は鬼道を操って人を惑わした。鬼道には諸説あるけど、未来を見通す力だったとする説もあるの」

「〈量子もつれ〉は卑弥呼が起こしたと?」

「そんな難しい言葉は知らない。でも人類は進化の過程で色んなものを失った。時間を見る能力も本来は持っていたのかもね。卑弥呼はまだ失っていなかった。水晶玉を通して時間を観測していたのかもね」


 水晶玉? 水晶……クオーツ……正確に時を刻む共鳴周波数。石英ガラスメモリも水晶と同じ物質〈二酸化珪素〉だ。地球上にありふれた酸素と珪素の化合物。時を越えてスマートフォンと引かれ合ったのはあの水晶玉だったのか。それにしても――。


「素粒子を人間の眼が認識するなんてこと、物理的に不可能です」

「あんたは時間の逆行も物理的に不可能だって言っていたわ」


 刀根がさらさらの黒髪をかき上げる。返す言葉がない。


「それで次の研究テーマなんだけど、徐福伝説は知ってる?」

「次って、僕もですか」

「当たり前でしょ。みんなチームなのよ」


 刀根が部屋にいる全員を見回した。


 美紗紀があどけない笑みをこちらに向ける。


 大賀が四つ目のメロンパンの袋を開けて頷いた。


 ゼンゾウさんは……高級そうな洋菓子を片っ端から丸呑みしている。


「徐福が見付けた不死の妙薬とは何だったのか。面白そうじゃない?」

「不死なんて、そんなの物理的に……」


 そこで次の言葉を止めた。不可能じゃないのかも知れない。そう思い始めていた。


 ノックの音がした。


「お客さんよ」刀根がにんまりと笑みを浮かべる。


 ドアを開けると、そこに坂本雄一がの悪そうな顔をして立っていた。


「よ、よお、久しぶり」


 坂本の手が少し震えている。刀根に強引に呼び出されたのだろう。 


「おお、元気だったか。すこし痩せたみたいだな。とにかく入りなよ」


 増渕は躊躇うことなく坂本を迎え入れた。


 爽やかな秋の風が部屋に吹き込んだ。


「ああ、いい風」と、刀根が言った。


 その横顔は気高く見えて、まるで古代の女王のようだった。


                                   (了)

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亜米利加の邪馬台国 仙藤大猩 @sentoutaisei

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