第七章 卑弥呼 2

 輸送ヘリコプターの後部のハッチが開くと、そこには真っ赤なジャケットをなびかせた刀根マリがいた。腰に手を当てて仁王立ちになっている。隣には美紗紀そっくりの少女、博たちが言っていたロボットなのだろう。その後ろには黒いスーツ姿の三人の男たち……八咫烏だ。


 マリはヘリコプターが着地するのを待たずに跳び降りると、一直線に増渕くんの目の前までやって来て藪から棒に怒鳴った。


「あんたね! 勝手に沖縄に来てんじゃないわよ!」

「勝手にじゃないですよ。僕たちだって必死だったんですから」

「何よ、口ごたえするのね」


 マリが眉を吊り上げて増渕くんの鼻面まで迫る。

 増渕くんは「いや、そんなつもりは一切無いです」と縮こまった。


「じゃあ、早く状況を説明しなさい」

「えっと、どの辺りから話しましょうか」


 まるで女王様と召使いのような二人をエリザが不思議そうに見詰めている。その横を二人に目もくれずに通り過ぎて、美沙紀そっくりのロボットが大賀くんの傍までやって来た。近くで見ると本当によく出来たロボットだと分かる。隣にいる美沙紀と寸分違わない。


「予定されていない事態が発生したけど、適正に処理したよ」

「よくやったっす。でもこれからが本番っす。任務を最優先してください」

「分かった」

「無事だったんだね。よかった」美紗紀がロボットの頭を撫でた。

「君は、覚悟は出来ているのかい」博が深刻な顔付きになってロボットに訊く。


 ロボットは美紗紀がそうするように困ったような笑顔を作った。


「お父さん。本当に大丈夫だから。あっちでも生きていく自信はあるの。少し早くお嫁に行ったと思えばいいのよ」 


 驚いた。先ほどの美紗紀と同じことを言った。博もあんぐりと口を開けている。これなら時間を……過去を騙せるかも知れない。


「妹が先にお嫁に行く時ってこんな気分なのかな」


 美紗紀がポケットからネックレスを出し、「お揃いよ」とロボットの首に掛けた。先ほど美紗紀が博に渡したイヤリングと同じ、ガラス製のバナナのマスコットが付いている。横に立っている大賀くんに美紗紀が詰め寄る。

 

「だいちゃん。もうミサキⅡなんて呼ぶのはやめて。ちゃんと名前を付けてあげて」

「名前っすか? すぐには思い付かないっすよ」


 美紗紀は真剣な表情で博に向き直った。


「お父さん、私の妹は……産まれて来られなかった私の妹は、名前は決まっていたの?」


 博は少し驚いたように美紗紀を見て、ゆっくりと頷いた。


伊代いよだ。それが妹の名前だよ」


 美紗紀はロボットに、「じゃあ、あなたはこれから伊代ちゃんね」と伝えた。


「……イヨ……」ロボットはそう復唱してイヨになった。


「あっちに行っても伊代は必ず生きていける。大丈夫」


 イヨを優しく抱き寄せた美紗紀が、近付いてくる人影を見て、「あっ、商売敵」と身構えた。


「木之下さんよぉ」


 がらがらの声に名前を呼ばれた。八咫烏のリーダーらしき男だ。


「俺たちをうまく使ったつもりだろうが、あんたは俺たちを誤解している。俺たちが守っているのは〈今〉だ。何が不満なのか分からんでもないが、時代は変わる。今は邪馬台国が何処にあろうとこの国は揺るがない。だがな、その調査のために日米同盟を犠牲にするわけにはいかん。それは守るべき〈今〉だ。爆弾を……」


 がらがらの声が何かを続けようとしたが、マリが割り込んで断ち切った。


「その話はもう終わったそうよ」

「え? じゃあ俺たちは何のために此処に来たんだ」

「この国の〈今〉を守るためでしょ。まだこれから何があるか分からないじゃない」


 マリは八咫烏を冷たくあしらって、美紗紀とイヨを見比べた。


「ええと……、どっちがロボット?」


 大賀くんがイヨを指差して「こっちっす」と教えた。


「イヨです。名前はイヨになりました」美紗紀が言う。

「あらそう。じゃあイヨ、準備は……」


 マリはそこで言葉を止め、イヨの首に掛かっているバナナのマスコットに触れた。


「……って」


 険しい表情を浮かべて、「木之下さん」と振り返ったマリの背後で再び響動めきが上がった。


 観測チーム全員の視線が映像を照射していた光源に集まっている。それは今や光る玉ではなく宙に浮く別世界の空間になっていた。この世界に穴を開けた向う側に、もうひとつ別の世界があるような奇妙な光景だ。

 

 木之下からは格納庫の真ん中に青空が浮いているように見えていた。青空とこの空間の境目はあやふやで、混ざり合いながらゆっくりと広がっている。


「過去と……邪馬台国と繋がったのでしょうか」


 増渕くんの問い掛けに、エリザはその青い眼を丸くして首を捻るだけだった。


 マリがイヨの肩をぽんと叩く。


「さあ出番よ。いろいろと不測の事態が起こるから適正に処理しなさい」


 広がり続けるもうひとつの世界は、いまやスマートフォンの台座が置かれている巨大な鉄製の円柱を半分ほど飲み込んでいる。


 青空の下に巨大な六本の柱で組まれた舞台が建っているのが見えてきた。


 ぼんやりと重なり合っていた空間が、その舞台を中心にして、しっかりとした実体と成りつつある。


 舞台の上には襟と袖口を紫色に染めた白装束の老女が水晶玉を掲げて立っていた。頭には太陽を模った金色の王冠を被り、首には夥しい数の勾玉が付いた首飾りを掛けている。大きく見開かれた白濁した眼が水晶玉を見詰めていた。


「卑弥呼だわ」マリが呟く。


 近付いてくる空間を避けようと、観測チームの面々が持ち場から離れ始めた。モニターだけが目まぐるしく変わるドットや波形を表示している。別世界の広がりは止まる気配がない。増渕くんがエリザに叫んだ。


「エリザさん! これはタイムスリップ現象なんかじゃありません。現在が過去に浸食されているんです。このままだと過去に塗り替わってしまう。エリザさんの仮説通りに〈量子もつれ〉なら、今すぐ観測をやめて下さい。観測をやめれば量子の状態は固定されなくなる」


 エリザは当惑の表情を浮かべた。クレメンズが大声で不満の声を上げる。


「馬鹿なことを言わないでもらいたい!」


 見たこともない険しい顔をしてエリザに近付いてくる。


「時間の謎が解かれようとしているのですよ。解明できれば、誰もアメリカには逆らえなくなる。我々が主導する素晴らしい世界が実現するのです」


 増渕くんがクレメンズの前に立ちはだかった。


「そんなことを言っている場合ですか。日本もアメリカも無くなりますよ。何もかも千八百年前に逆戻りです」


「八咫烏!」マリが叫んだ。

「あんたたちは〈今〉を守るのが仕事でしょ」


 それまで手持ち無沙汰にしていた、がらがら声の男がマリに訊いた。


「暴れていいのか」

「それは自分で考えなさいよ」

「よっしゃあ」


 がらがら声はと雄叫びを上げて、仲間二人と機器を蹴り倒し始めた。

 クレメンズが護衛の兵士を呼ぶ。小銃を構えた十数人の兵士が駆け込んでくる。


 八咫烏たちは腰から鉤縄を出すと兵士に投げつけて、構えていた小銃を次々と奪い取っていった。忍者さながらの素早い動きで、広がってくる別世界の空間を見事に躱しながら兵士たちとの距離を詰めていく。小銃を失って右往左往する兵士たちは、あっという間に八咫烏たちに縛り上げられていった。


 別世界の空間はすでに格納庫の半分ほどに膨らんでいる。


 卑弥呼が立つ六本柱の巨大な舞台からは石畳の道が延びていて、その先には竪穴式住居や高床式倉庫が並んでいた。石造りの城塞の一部も見えてきた。卑弥呼の城だ。目前に邪馬台国の風景が広がっている。


 車椅子を進めようとしたのだが博に止められた。


「本当に過去へ向かってどうするんですか。あそこには何もない。何かあるとしたら〈今〉にしかないのです。私たちはとっくに気付いていたじゃありませんか」


 博が車椅子を引いて空間から遠ざかる。皆、後ずさりしながら成す術なく広がり続ける邪馬台国を見ていた。


「さあ行って」マリがイヨを優しく促す。 

 美紗紀が「ありがとう」と、イヨを抱き締めた。 


「では、行ってきます」


 美紗紀が手を放すと、イヨは踵を返して邪馬台国の風景に入って行った。ワイヤーチャンバーの前に立って、増渕くんを振り返る。指示を仰いでいるようだ。増渕くんが意志を固めたように頷く。それを確認して、イヨは物凄い力で円柱の外殻を引き剥がした。中には何万本という細いワイヤーがびっしりと張られていた。


 悲鳴が聞こえて振り向く。縛られていた米兵のひとりが空間に飲み込まれていた。 手足の長い八咫烏が駆け寄って、半狂乱になっているその米兵を抱える。


 金属の破断する音が響いた。イヨが円柱の中に張られていたワイヤーの束を引きちぎっている。勢いで巨大な円柱が崩れ始めた。

 

 破片が降り注ぐ中で卑弥呼とイヨが対峙した。


 卑弥呼が水晶玉から視線を外し、気高くしなやかな動きで辺りを見回す。その白濁した眼がイヨを捉えた。


「やあは、たあが」


 卑弥呼は威厳のある低い声で言った。


「わんぬなあや、イヨ」


 イヨは卑弥呼を見据えてそう答えると、ワイヤーチャンバーの破壊を再開した。


「しっかり捕まってろよ!」と、甲高い叫び声が上がる。空間の中で米兵を抱えていた八咫烏が、先端に鉄鉤の付いた銃を取り出して格納庫の天井に向けて撃った。

 鉤爪は屋根を支える支柱に引っかかり、八咫烏と支柱をワイヤーロープが一直線に結んだ。


 怪物の鳴き声のような盛大な軋み音を上げて円柱が完全に崩れ去り、台座とスマートフォンが宙に舞った。イヨが手を伸ばしてスマートフォンを掴む。

 

 卑弥呼の手から水晶玉が滑り落ちてイヨの足元で割れた。

 

 その途端、素粒子の検出結果を映し出していたモニターが次々とエラー表示に変わって、邪馬台国の空間は卑弥呼やイヨもろとも……消えた。


 八咫烏と兵士は既でのところで空間から脱出して、天井にぶら下がっている。


 博が美紗紀を抱き締めて、ほっとしたようにしゃがみ込んだ。


 呆然となったクレメンズが、散らばっているワイヤーチャンバーの残骸までふらふらと歩み寄って膝から崩れ落ちる。


 エリザがエラー表示のモニターの前に立って寂しそうに言った。


「結局、時間の謎は謎のままになってしまいました。目の前で起こったことなのに、何が何だかさっぱり分かりません」


 増渕くんが「もしかしたら……」と、エリザの横に並ぶ。


「もしかしたら、この世界の全ての量子が時間を司っているのかも知れませんね。たまたま此処には過去へ向かおうとする量子があった。それを観測してしまったんです。そして、たまたま対になる量子が卑弥呼の時代にあった」


 エリザが、困惑した……それでいて楽しそうな表情に変わる。


「科学的な裏付けは出来ません」

「まだ早かったというだけでしょう。訳の分からないものにも必ず法則はあるものです。今回の観測記録は必ず科学の進歩に役立ちますよ」

「そうでしょうか。人類に制御が出来るものではない気がします」

「人類は制御できていますよ」

「なぜ分かるのですか」

「だって、これまで未来から攻めてきたって話は聞いたことがありません」


 エリザは「そうですね」と、声を出して笑った。


 床に落ちている機器の破片を拾い上げて増渕くんが頭を下げる。


「こんなに滅茶苦茶にしてしまって、ごめんなさい」

「いいのですよ。止めていなければ、アメリカ軍はもっと大切なものを失っていたかも知れないのですから」


 まだ放心状態のクレメンズをちらりと見て、エリザは続けた。


「まあ、クレメンズ准将は責任を問われると思いますが、全て極秘に処理されますよ。あなたたちやあの黒いスーツの人たちは此処に居なかったことになるでしょう」


 天井に吊り下がっていた八咫烏と兵士が下りてきて握手をしている。


 エリザが真剣な顔になって増渕くんの眼を見据えた。


「あなたたちはアメリカ軍の監視下に置かれると思います。私たちは怖いですよ」


 増渕くんがぎょっとして言葉を失うのを見て、エリザは「冗談です」と笑った。


 観測チームが髭の男の指示で片付けを始める中、マリの声が響く。


「何処に置いたのよ!」


 マリが八咫烏のひとりと残骸の中で何かを探している。


「早く見付けなさいよ!」マリが八咫烏の肩を後ろから小突いた。


 その八咫烏が「あった」と、倒れている機器の隙間からトートバッグを引っ張り出した。マリがそれを手荒に奪い取って、木之下の前にやって来た。 

 トートバッグからスクラップブックを出すと、ぺらぺらと捲って写真を貼り付けたページを見せる。ナポレオンフィッシュを獲ってきた時のセツ子の写真だった。


「よく見て」

 

 マリからとスクラップブックを渡される。セツ子の笑顔に息が詰まった。


「セツ子ちゃんの首元よ」


 不思議な形の勾玉の首飾りだ。セツ子の形見として今も胸ポケットに入っている。


 マリはトートバッグからクリアファイルに入れたもう一枚の写真を出した。先ほどの卑弥呼とよく似た格好をした白塗りの少女の写真だった。


「スマホにあった画像データを印刷したの。卑弥呼の跡を継いだ壱与だと思う」


「イヨ?」博と美紗紀が揃って声を上げた。


 マリが「首元を見て」と写真を突き出す。

 

 セツ子の形見と同じ不思議な形の勾玉を首から掛けていた。


 博と美紗紀も写真を覗き込む。


「これは……」博がポケットに突っ込んでいた美紗紀のイヤリングを出した。


 お揃いのバナナのマスコットだ。


「イヨは邪馬台国に行って女王を継いだのね。そのあと、この首飾りは女王の後継者たちに代々受け継がれていった」


 マリはセツ子の写真を指差した。


「セツ子ちゃんは邪馬台国女王の末裔なのよ」


 胸ポケットからセツ子の形見を取り出して、包んでいたハンカチを開いた。博がそこに美紗紀のイヤリングを並べる。


 セツ子の形見は随分と色褪せているが、同じガラス製のバナナのマスコットだ……ずっと勾玉だとばかり思っていた。


「木之下さん、あなたは邪馬台国の最後を見届けていたんだわ」


 マリのその言葉で七十年以上堪えていた涙が溢れた。

 目の前にあるイヤリングとセツ子の形見がぼやけて見えなくなった――。

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