第二話 刀を抜く日

 この日――、江戸の町にまるじゆうだいみようはたじるしひるがえった。

 こくげんひつじこく(※午後二時二十分)ずまばしちやみせにいた沖田総司は、手にしていた団子から顔を上げた。彼が座る所はみぎかべが大きく切り取られ、こうめられている。そこから通りがよく見えた。

 さんきんこうたいにしては、家臣団が武装をしている。まるで、これから戦でもしようかという風体に、道を行き交う誰もが困惑ぎみだ。

 だが、幕府側の人間はこの場にはいない。

 大量の人が動けば事前にさつしていそうなものだが、えてせいかんしているとするならば、すぐに大事にはならないだろう。

 総司はかじりかけた団子を最後まで腹に収め、茶店を出た。

 ここ数日降り続いた雨は止み、そらかいせいである。

「沖田先生、今日はお一人ですか?」

 いちがへ向かって歩き始めたとき、総司の前に一人の商人が立った。

「その〝先生〟はやめてくれません? だいこくさん」

 大黒屋は吾妻橋にたなを構えるふくどんで、総司に声をかけてきたのはあるじへいである。

「なにを言われます。剣術道場の師範代ともあろう方が。大先生(※近藤周介)は、そくさいでしょうか?」

 佐平には息子が二人いる。長男は大黒屋の跡継ぎだが、次男は試衛館の門弟である。きっかけは近藤周介が大黒屋で羽織を新調した際、将棋の話となったのが始まりだと言う。

 共通の娯楽で意気投合し、さらに次男が剣術にまり、道場を捜していると聞いた周介は、ならうちに来るといいと言ったらしい。

 試衛館の門弟は、商家や農民、(※下級武士)がほとんどである。

 仕事の合間に稽古にやってくるため、とうぜん忙しくなれば家業が優先される。おそらく試衛館門弟の中で、剣術に本腰を入れているのは一握りだろう。

「ええ。今度いらしてください。将棋の相手を欲しがってましたから」

 総司は軽く手を振って、佐平と別れた。

 そんな総司の視界に、またも知っている顔が入った。

「――やまなみさん?」

 総司に呼ばれた山南敬介は、総司と視線を合わせるとくちもとほころばせた。

「……このようなところで会うとはぐうだね?」

 山南は門弟ではないが、試衛館の人間である。

 物静かではくしき、文武両道に秀でた彼を総司は嫌いではないが、試衛館のもう一人の師範代・土方歳三は「やつは何を考えているかわからねぇ」とあまり好いてはいないようだ。

「単なる散歩です。こんなに天気がいいのに、何処かの誰かさんは部屋におもりときた。そのうち、かびが生えると思いますよ。あの人」

 総司は出かける際、歳三に声をかけた。

 総司は歳三を部屋から引っ張り出してあわよくば、美味いものにありつけるともくんだのだが、何度も繰り返していると向こうは察知して、「俺は忙しい」と拒んできた。

 歳三が部屋に籠もる理由は一つ。

 趣味である、発句だ。

「彼は、部屋でなにをしているんだい?」

 歳三のことだろうと察知した山南が苦笑しつつ、総司に尋ねる。

 思わず歳三の秘密を言いそうになったが、そんなことをすれば一生口を利いてもらえなさそうな気がした。怒鳴られ、殴られることは耐えられるが沈黙はきつい。

「たぶん、考え事です。下手に声を掛けない方がいいですよ。大声で怒鳴られる上に、絞め殺しにきますから」

「しめ……」

 今度は、ぜんとする山南である。

「ところで、山南さん?」

 総司は江戸にたいきよしてやってきた大名について、山南に聞いた。

 丸に十字の紋と聞いて、山南は即答した。

「ああ、それならしまもんどころですよ」

「島津家って、あの島津家?」

「ええ。薩摩藩です」

 薩摩藩と言えば、こくだかきゆうじゆうまんごくゆうはんである。

 さすが、物知りな山南である。

「――では、私はここで」

 試衛館とは違う道に進もうとした山南に、総司は首を傾げた。

「試衛館に戻らないんですか?」

「久しぶりに、神田お玉ヶ池に顔を出そうかと思いましてね」

 神田お玉ヶ池には、江戸三大道場の一つ『玄武館』がある。

 北辰一刀流の名門で、試衛館と違って門弟は旗本などが多い。

 未だに貧乏所帯の試衛館だが、よく潰れないものだなと感心しつつ、総司は再び試衛館のある市谷に向かって歩き始めた。

 

                     ◆◆◆


 歳三がふみづくえの前から腰を上げたとき、とりこくを告げるの鐘が鳴り終わった頃であった。

 いつも騒々しいていないが、この日は静かだ。

 歳三はろうに出て両腕を組むと、そらにらんだ。

 下の世界は攘夷だの、人斬りが横行し始めた。

 なのに昊の色は、どんなに地が荒れようと変わらない。

 真の武士になると故郷・日野を離れて数年、今は江戸のかたすみでその日を精一杯生きるのがやっとだ。

「ふ……、いけねぇなぁ……」

 歳三はちようわらって、前髪をくしゃりと掻き上げる。

 はっきり言って歳三は、周りが静かすぎることに慣れていない。

 子供の頃は兄弟に囲まれ、外では悪ガキれてはいたずらをした。剣術を覚えてからは、木刀を交わす稽古の音が快感だった。

 大人になり、気がつけばもう二十六歳、実家からのふみは早く身を固めろと言ってくるが、歳三は夢を捨てるわけにはいかなかった。

 自室を出て試衛館の稽古場に向かうと、誰もいないその場で木刀を振る男がいた。

「――なんだ。いるのはお前だけか? 斉藤」

 さいとうはじめ――、無口であいそうな男だが、試衛館にいたしよつかく(※居候)の一人だ。

「邪魔なら出て行きますが?」

 斉藤一は構えていた木刀を下ろし、歳三を振り返った。

 斉藤の流派は、がいりゆうだと言う。

 総司が言うには、その腕前はかなりのものらしい。

「かまわねぇよ。それにしても、こうもごっそり人が消えると、妙なもんだぜ」

 賑やかな原田左之助や藤堂平助、永倉新八の食客三人は昼間にふらりと出て行ったままだ。道場主の勇は寄り合いとかで彼も不在、井上源三郎は何処かにいるかも知れないが、おそらく今日も畑だろう。

「私は静かなのは嫌いではありません」

「お前はそうだろうよ、斉藤。俺も静かなのは嫌いじゃねぇ。誰にも邪魔されずに、物事にぼつとうできるからな」

 歳三は、先ほどまでうじうじと考えていた己を心の中でわらった。

「まさか、あなたが残っているのは思ってませんでしたよ」

 歳三が残ったのは、勇が外出したためだ。

 その前に総司に外に誘われたが、また道草を食うに決まっている。

 いい加減、付き合わされる身にもなってほしいものだと、歳三は思う。

 結果、外出しなくて正解だった。

 試衛館の留守を預かる人間が、誰もいなくなるという状況になるところだったのだから。

 歳三は、斉藤の皮肉を笑った。

「それはこっちの台詞だぜ、斉藤。いつもなら目立たぬ所にいるお前が、最近は稽古場にも顔を見せるようになった。原田たちと、酒も呑みに行ってるそうじゃねぇか? あんなに人と関わることを避けていたお前がよ」

「断るとしつこいので、しぶしぶ付き合っているだけです」

「ならば、総司の立ち合いの誘いにも乗りゃあいいじゃねぇか」

「あなたはその誘いに本気で乗りますか?」

逆に問われて、歳三は言葉に詰まった。

 江戸三大道場と言われる北辰一刀流のげんかんや、しんとうねんりゆうれんぺいかんきようしんめいりゆうがくかんに比べ、試衛館では他流試合の機会は皆無だ。

 天然理心流は今も認知度が低く、試衛館に至ってはいもどうじようあつかいである。

 だが、外にかつを求めなくても、試衛館には他流の者が食客としていた。しかし、彼らは総司の稽古相手となることから避けている。

 同門である歳三ですら、逃げ回っているくらいだ。

 総司が本気になればどうなるか、剣術をきわめたものなら向き合っただけでわかる。

 斉藤は話を続けた。

「世が世です。いざという時に刀を抜けなくなるのは困ります」

 斉藤の剣の腕なら、総司と本気で立ち合ってもはしないと思うが、斉藤もまた、自分と同じことを考えているのだと思うと感心もした。

「お前――、そんな時が来ると思っているのか? 斉藤」

「あなたは、どうなんです? 土方さん」

 またも問い返されて、歳三は半眼になった。

「お前なぁ……、人の問いに答えねぇで、俺に聞くんじゃねぇーよ」

めんどくさげに返して、歳三は稽古場を出ようときびすを返した。

 その歩が、ピタリと止まる。

「ずるい! 私の立ち合いは避けるくせに二人だけで立ち合うなんて!!」

 噂をすれば影がさす――、総司がふくれっつらえてきた。

「馬鹿、そんなんじゃねぇよ。稽古相手が欲しかったら近藤さんに頼めよ。腕を磨きてぇなら、そっちのほうがいいだろうがいいだろうに」

「山南さんは、立ち合ってくれましたよ」

「――奴と手合わせをしたのか……?」

「一度だけですよ。もちろん、近藤先生の許可を得ましたよ」

 総司はそう言って、邸の方へと歩いて行く。

 斉藤ですら避ける総司との真っ向勝負を、山南がした。ある意味驚きであり、歳三には複雑だった。

 彼は斉藤に問い返された「刀を抜くとき」について答えなかったが、この動乱がこのまま鎮まるとは思っていない。以前よりも〝攘夷〟の名を借りた不逞浪士による人斬りや押し込みは増え、諸大名の攘夷派による異人襲撃も増えた。

 まさか将軍家のお膝元である江戸城下で、異国との戦になるとまで思っていないが、火種になりそうなものは転がっている。

 その時、己はどうするのか――。

 はっきりしているのは、歳三の中に「何もしない」という選択肢はない。

 歳三は稽古場から枝折り戸を通って、やしきの中庭で立ち止まった。

 西の空は、すっかり茜色である。

 歳三はかつて、書の師であるほんかくあんから聞いたことがある。



を見てせざるはゆうなきなり」

 このとき、歳三はまだ十代、剣術を義兄あに・佐藤彦五郎の道場で学び始めた頃だった。

 本田覚庵が突然語り出したその言葉の意味など、当時の歳三にわかるはずもなかったが、いつになく厳しい表情の覚庵に、歳三は思わず筆を止めた。

「先生、いきなりどうしたんだ?」

「ここら辺にいる名ばかりの武士にいきどおっているのよ。弱いものいじめしかせん、馬鹿どもにな」

 当時多摩周辺には、悪さをするやからが多くいた。

 因縁をつけては無礼打ちにすると騒ぎ、盗みを働く者までいた。

「義を見てせざるは勇なきなり――、ろんいつせつだ。人としてなすべきことと知りながら、それを実行しないのは勇気がないからという意味だが、あの輩には馬の耳に念仏だろうの」

 覚庵はそう言って、嗤った。

 


 今にして思えば、非道に走る一部の武士は〝いざ〟という時がきたら本気で戦えるか疑問である。ただその時の欲と感情で刀を抜き、その手を血に染める行為は間違っている。本田覚庵はそう言いたかったのだ。

 武士の全てに己の理想像を重ねるつもりは歳三にはないが、現在も非道に走る輩がいることに腹が立った。だが、歳三も一介の浪士なのである。

 彼らが赦せなくても、捕らえるのは奉行所の人間である。ましてや、彼らと斬り合いとなれば乱闘と見なされ最悪、三尺高い木の上(※獄門首をさらす台)である。

 ひたすら待つしかない。自分が目指す、武士としての道が開かれるのを。

「――そんなににらんでいたら、沈むものも沈めないと思いますけど?」

 じやを踏む音がして、歳三は振り返った。

 そこには、邸の中に戻ったはずの総司が、ニコニコと笑いながら立っていた。

「なにわけのわかんねぇことを言ってやがる」

「夕陽ですよ。稽古場を出て何処に行ったのかと思えば、夕陽と睨めっこをしているんでからねぇ」

 おどける総司に、歳三の肩の力が抜ける。

「お前は気楽でいいな。総司」

「難しいことは、考えないようにしているだけです。誰かさんのように、仏頂面になりたくありませんし」

「誰のせいだと思ってやがる!」

 激昂しかけた歳三を、総司はすかさず制す。

「お説教は今度ということで――」

 くるりと背を向けた総司に、歳三は思わず呼び止めた。

「総司」

「――なんです?」

 呼び止めたものの、歳三は言葉を呑み込んだ。

「……いや、なんでもねぇ」

「真面目な顔で黙らないでくださいよっ! 気になるじゃないですかぁ! ねぇ」

 子供のようにまとわり付く総司をあしらいつつ、歳三は邸の中へと戻っていったのだった。

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天高く燃ゆ~江戸市ヶ谷事件帖 斑鳩陽菜 @ikaruga2019

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