第280話 シンプルな菓子

 ユーハイムの工房の裏に彼の家がある。

 僕はマジックポーチから、氷魔法で冷やしたおしぼりを出した。


「はい、ミント」

「ありがとうございます。冷たくて気持ちいいです」


 ミントが手を冷やしながら言う。


「セージ、私のは?」

「あるよ。はい」


 ラナ姉さんは冷たいおしぼりを受け取ると、一瞬ユーハイムの方を見ると、腕と顔を拭いた。

 本当は脇とか服の内側とかを拭きたかったが、僅かにあった羞恥心が勝ったのだろう。


「ユーハイムも使って」

「これは気持ちいいな。ハントの坊主が言っていた通りだ」

「ハント、なんて言ってたの? 凄腕の魔法の使い手とか?」

「『セージは一家に一台欲しい』だとよ」


 ユーハイムがおしぼりで顔を拭きながら言った。

 ハントの奴は俺のことを白物家電の一種か何かだと思っているのか?

 昭和の三種の神器になるつもりはないぞ。

 

「私もその気持ちわかるわ。王都にいるとき、セージの魔法があれば解決なのにってことが多くて。召喚魔法で呼ぶことできないかしら?」


 とんでもないことを言い出した。

 せっかくラナ姉さんが王都に行って、僕をこき使うのはエイラ母さんだけになったというのに、召喚魔法で呼び出されてまで使いっぱしりさせられてたまるか。

 呼ばれても絶対に契約したくない。

 殺されてでも逃げ切ってみせる。

 ユーハイムがハーブ茶の準備を始めた。

 ミントが手伝いを申し出たが、


「客人は座ってな。火を扱う場所は男の領域だ」


 とこんな感じでユーハイムは譲らない。

 ちなみに、これは客人を気遣ってのことではなく、彼の故郷の風習らしい。

 日本で昔言われていた「男子厨房に入らず」の逆パターンだ。


「おい、セージ。茶菓子用意してやるから茶葉を分けてくれ。どうせ持ってきてるんだろ?」

「いいよ」


 この町だと紅茶はまだまだ高級品のため、一般的にその辺に生えているハーブからハーブティーを作るのが一般的だ。ちなみに、セージやミントといった僕たちの名前の由来にもなっているらしい香草もハーブティーとして使われている。

 ただ、ユーハイムは紅茶の方がいいと判断したんだろう。


「はい、紅茶」


 僕が渡すと、ラナ姉さんが訝し気に尋ねる。


「……マジックポーチは持ってないわよね? なんで茶葉だけ持ち歩いてるのよ」

「ラナ姉さんのことだから鍛冶屋に行く可能性も考えたんだよ」


 もちろん嘘だ。

 修行空間に一度出向き、紅茶を持って帰ってきていた。

 修行空間の畑では茶畑もあり、そこで作った茶葉から、オリジナルの紅茶茶葉を作っている。これがかなりいい品質だ。

 ゼロも当然だが、アウラもハイエルフたちも植物を育てるプロだからね。

 たぶん、王家に献上してもいい質の紅茶だと思う。


「いい茶葉だ」


 一瞬、ユーハイムが笑ったような気がした。

 そして、ユーハイムは手際よく紅茶を温める。

 火の温度管理はさすがの鍛冶職人、超一流であり、そのため茶を入れるときの温度も最適温度を常に叩き出している。

 『スローディッシュ領主町紅茶淹れ選手権』で必ず上位に入賞するであろう実力だ。そんな大会は未だかつて開催されたことがないけれど。

 ユーハイムが淹れるお茶には、必ず砂糖もミルクもついてこない。

 甘いものは自分が作る菓子さえあれば十分だろ! と言わんばかりの対応だ。

 そして、ユーハイムが持ってきた物を見る。

 長方形の形状に、表面には金色に焼き上がった香ばしいクラフトが広がっている。


「これはなんですか?」


 ミントが尋ねると、ユーハイムはその菓子の名前を告げた。


「フィナンシェだ」

「フィナンシェ?」

「アーモンドを使った菓子だ。セージから作り方を教わった菓子だ」


 フィナンシェの作り方は僕も知らなかった。

 アーモンドを使った菓子だというのはわかっていたけれど、それ以外の知識はなかった。まぁ、フィナンシェって作ろうと思ったら専用の型が必要だから敷居が高いんだよね。結局、作ろうとしたらパウンドケーキとかになってしまう。

 だが、やはりゼロが作り方を知っていた。

 そこでゼロからレシピを教わり、作ろうとしたのだが、型の問題があった。

 エルダードワーフに作ってもらおうかとも思ったが、エルダードワーフたちって手先は器用なんだけど、お菓子にはあまり興味がない。興味がなくても一流以上の型ができるだろうけれど、どうせならお菓子作りが好きな人に作ってもらおうということで、ユーハイムに型の作成を依頼した。

 ちなみに、材料の一つのアーモンドだが、普通にこの国でも昔から栽培されているため入手は容易だった。

 

「ナッツの香りがして甘くて美味しいわね」


 ラナ姉さんはもう食べ始めていた。

 僕も食べる。

 うん、やっぱり美味しい。

 味の前に、外側のサクッとした食感と内側のしっとりとした食感のハーモニーでいきなり百点を出したい。

 当然、しっかりとしたバターの風味もラナ姉さんの言った通りアーモンドの香りも絶妙だ。

 ミントも「このようなお菓子、王都でも食べたことがありません。とても美味しいです」と絶賛していた。

 ユーハイムは顔には出さないが、とても嬉しそうに見える。


「ユーハイム、一つ持って帰っていい?」

「どうするんだ?」

「食べてほしい子がいて」


 アウラが喜びそうな味だと思ったから、そう尋ねた。


「ああ、たくさん焼いたから二つくらいなら持って帰ってもいいぞ。あと、領主様とエイラ様の分は別に用意してある」

「ねぇ、ユーハイム。私からもお願いが」

「剣なら鍛えんぞ」

「何よ! まだ何も言ってないでしょ!」


 ラナ姉さん、何も言ってなくても言っていることがワンパターンなんだよ。

 そんな頼み方で引き受けてくれるはずがないじゃないか。


「ユーハイム様、このフィナンシェ、味も大変美味しいですが見た目も素晴らしいですね。シンプルな長方形だからこそ、その焼き加減や素材の引き出し方を含め、全てにおいて誤魔化しがきかないのでしょう。鍛冶師として一流のユーハイム様だからこそできる菓子なのですね」

「ほう、嬢ちゃんは菓子の味がよくわかるようだな。ラナ嬢ちゃんとは偉い違いだ。そうだな、菓子作りと鍛冶は違うもののようで同じなんだよ。素材の持ち味を炎という火力によって最大限に引き出すのだからな」

「王都の菓子職人の中には、複数の職人によって流れ作業のように大量に菓子を作る工房もありますが、やはり一人の職人の拘りが凝縮されてこそですね」

「その通りだ。流れ作業でもうまいもんはできるだろうが、一流の品を作ろうと思えばそうはいかない」

「だからこそ、残念です」

「あん?」


 ユーハイムの顔が強張った。

 絶対の自信がある菓子に難癖をつけられると思ったのだろう。

 だが、ミントはこう続けた。


「それだけの拘りを持つユーハイム様が、その技量を持って剣を鍛えれば、どれほどのものができあがるのか? 鋳造品の剣とも万人向けに造られた既製品とも違う、ラナお義姉さま様が使う剣としてユーハイム様が鍛えたらどれだけの剣ができあがるか見てみたかったのですが」


 そう言われて、ユーハイムは葛藤するかのように頭を掻いた。

 ミントがラナへの助け舟で言っていることはユーハイムにもわかっていた。

 ラナ姉さんが期待するようにユーハイムの答えを待つ。

 そして、彼は言う。


「ダメだな」


 にべもない返事に、ミントもラナ姉さんも肩を落とした。


「いまから始めたら紅茶が冷めてしまう。茶の時間が終わったら、まぁ採寸と要望くらいは聞いてやってもいいぞ」

「本当に!?」

「本当だから、まずは紅茶をゆっくり飲ませろ。騒ぐようだと全部無しだ」


 なんだかんだいって、ユーハイムも女の子には優しいよね。

 僕はそう思いながら、紅茶を飲んだ。

 はぁ、美味しい。

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