第27話 青い花

 魔力と魔力。武と武。

 そのぶつかり合いで想いが伝わると教えてくれたのはアンリエッタだ。

 アンデッドの彼女はまともに言葉を話せない。しかし言葉を介さずに想いが濃密に伝わってきた。

 ――情けないですよ。そんな不甲斐ない弟子に育てた覚えありませんよ。

 そう鼻で笑っていた。

 本日一番の衝撃だった。尊敬する師匠に、愛する女性に、そう思われるのは耐えられない。


「誰が、不甲斐ない、だと」


 ――あなたです、あなた。もっとできる子のはずですよ。ほら自信を持って。弟子は弟子らしく、師匠と自分と違いを観察して模倣しなさい。


 違い。

 技量が違う……否。師匠の背中が見えるところまでは来ているはずだ。

 魔力が違う……否。内包している魔力総量も、一度に放てる瞬発魔力も大差ないと感じる。

 なのにこの違い。

 違和感は時間と共に高まる。そうだ。アンリエッタは時間が経つにつれて魔力が強くなっている。絶対におかしい。魔法を使えば減るはずだ。


「そうか」


 理解した。

 アンリエッタは二人の魔法のぶつかり合いによって周囲に散った魔力を集めて使っている。だから戦いが長引くほど強くなっていくのだ。


 簡単な技ではない。自分の魔力の再利用でさえやったことがないのに、他人の魔力まで回収して己のものとして使う。普通なら不可能と鼻で笑い飛ばす技だ。

 だが目の前で師匠が実演してくれている。

 それに応えなければならない。

 感覚を研ぎ澄ませて技を盗む。

 アンリエッタの両足が落ちてきたタイミングに合わせて、集めた魔力で爆発を起こす。


 ――ええ、そうです。よくできましたね。はなまる。


「子供扱いするな……はなまるスタンプをもらって喜んで歳じゃない」


 テオドールは立ち上がる。

 爆発で飛んでいったアンリエッタは、地面に落ちることなく空中で一回転して静止する。

 睨み合い。微笑み合う。

 死体なのに彼女は確かに笑った。


「アンリエッタ流魔法術奥義――魔咒蒐集まじりしゅうしゅう竜光閃りゅうこうせん


 かすれていない鮮明な声。

 今、彼女は最後の力を振り絞って、死体の全てを掌握したのだ。

 最後の技を伝えるために。

 これより奥義の伝授が始まる。

 師匠の技を模倣するため、テオドールは二本の剣を地面に刺し、手放す。


 アンリエッタの背中から、竜の翼が生える。そして口を大きく開く。

 周囲一帯にたちこめる膨大な魔力を集め、喉奥から一条の輝きにして撃ち出した。

 光のドラゴンブレスである。


 テオドールは竜人ではない。ゆえに体内器官で圧縮した魔力を口から放つような芸当は不可能。そのまま真似できないなら、別の部分で補うのみ。咄嗟に腕を突き出し、両手を顎に見立て、竜の口を形作り、そこから閃光を放つ。


 光と光がぶつかり拮抗。魔力が散っていく。それを集めて再利用。魔力の奪い合い。その繰り返し。いつまでも決着がつかないように見えて、わずかにジリジリとテオドールが押し負けていく。

 人間の体で竜人の技を真似ている分、テオドールが不利なのだ。


 こんな勝敗が決まっている戦いが奥義の伝授であるはずがない。

 自分はなにかを間違っている。

 周辺の魔力を集めるところまでは完全に模倣できている。

 だが、この閃光はドラゴンブレスだ。竜人が生まれつき持っている能力だ。技ではない。魔法術ではない。なら模倣の対象に値しない。


 魔力を蒐集するまでが奥義。そこから先は応用。

 型は基本。そこから発展させてこそ一流。

 ならばアンリエッタ流に我流を合わせる。


魔咒蒐集まじりしゅうしゅう、白三日月・乱れ打ち!」


 双剣を手に取り、集めた魔力を乗せて、白い弧をいくつも描く。

 ドラゴンブレスを抉り、掻き消し、届いた。

 ついにテオドールの斬撃は、アンリエッタを捕らえ、その頭を、胴体を、全てを斬り裂く、その瞬間――。

 ――テオドールはなにもない純白の空間にいた。


「ふぅ……ハラハラしましたけど、なんとか間に合いましたね。あなたは戦いの中で成長して、私を超えました。奥義の伝授、完了です。免許皆伝。おめでとうございます。そして、ありがとうございます。はなまるですよ、テオドール」


 目の前にアンリエッタがいた。

 生前の血色のいい肌色で、静かに立っていた。


「テオドール、めっちゃ格好良かった」


 その背中からリネットが現われ、こちらを上目遣いで見つめてくる。


「俺は……師匠を斬ったのか? 終わらせたのか……?」


「はい。私の自我が完全消滅し、アンデッドとして無差別に暴れる前に、あなたは斬ってくれました。この空間は、本気のぶつかり合いで想いが伝わって、意識が繋がった奇跡の世界、って感じですかね。まさか親子三人で語り合えるとは想定してませんでした。なんか……照れくさいですね」


 アンリエッタは頭をかく。


「お母さん。そんなこと言ってる場合? せっかくテオドールに会えたのに。沢山することあるでしょ。私、手で目を塞ぐから大丈夫だよ。そして指の隙間から見守る。安心して」


「それはリネットが見たいだけでしょう。まったく、もう。外の世界を見て回って、好奇心旺盛なのがより激しくなったみたいですね」


「お母さんとお父さんの血を引いてるから」


 リネットは真顔で呟く。

 それを見てアンリエッタも微笑み、テオドールも頬を緩めた。


「ねえテオドール。本当は無限に語り合いたいのですが、これは私が破壊される直前の刹那を引き延ばしただけの世界。間もなく終わって、あなたは生者の世界に帰ります。だから短くまとめますね……愛してます。大好きです。これからも」


 終わるのだ。その実感が、ようやくテオドールに湧き上がってきた。

 泣くつもりなんてなかった。

 最後に泣いたのは前世で母親が死んだとき。あれから涙なんて流していない。もう枯れていると思っていた。たとえアンリエッタを送るその瞬間でも、自分は泣かない人間だと――ああ、自分のことなんて、なんにも分かっていなかった。


「なんですか、テオドール……あなたに泣き顔なんて似合いませんよ……」


「それはこっちの台詞だ……いつもみたいに、のほほんとしてろよアンリエッタ……」


「無茶言わないでください……テオドールのせいでもらい泣きしてるんです……ねえ、リネットもそう思いませんか?」


「うん……泣くの我慢するなんて無理……だけどね、私はとっくに死んでいて、ちょっとだけ一緒に旅できただけも奇跡で……凄く楽しかった。だから最後は笑ってお別れしたい」


 リネットは涙を一杯ためながら、にっこりと笑った。

 テオドールにはそれが、自分よりずっと大人の顔に見えた。


「私よりもリネットのほうがしっかりしてますね……」


「俺も同じことを考えていた……」


 テオドールとアンリエッタは見つめ合って、泣くのを堪えようとして、どうしようもなく涙があふれ、それでも微笑み合った。

 三人で笑って抱きしめ合う。


「さようなら。また会いましょう。けれど、できるだけ長生きしてください。転生したばかりなんですから。ヘルヴィというお弟子さんと仲睦まじくしちゃってもいいですよ。ま、それでも、もうしばらくは私を一番に想っていて欲しいですけどね」


「テオドール……またね」


「待て……まだもう少し……アンリエッタ! リネット! 待ってくれ――」


 テオドールは二人に腕を伸ばして、届かなくて、気がつくと、夕暮れの空を見つめていた。さっきの草原だ。あちこちが竜の爪痕のように抉れている。まだ二人の戦いで生じた魔力が、そこら中にたちこめていた。


 自分一人しかいない。

 こんなに孤独を強烈に感じたのは初めてだった。

 テオドールは膝から力が抜け、前のめりに倒れる。

 ワスレナグサはまだ咲いていない。


        ※


「それじゃ、逝こう、お母さん」


 テオドールが消えたあと、リネットは母親に呼びかけた。

 意思を確かめるまでもない。

 二人はとっくに死んでいる。死体も破壊された。

 これで本当に終わり。

 安らかに眠るだけだ。


「いいえ、逝くのは私だけです。あなたは残りなさい、リネット」


 ところが、母親は意味不明なことを言って拒絶してきた。


「えっと。お母さんがワガママなのは知ってるけど、それは通らないよ」


「いいえ。通します。弟子が転生したんですよ。なら師匠だって転生魔法を成功させなきゃ恥ずかしいでしょう」


「それってつまり……!」


 二人一緒に生まれ変われるということか。そう聞こうとしたが、声にする前に否定された。


「いいえ。私は死んでから時間が経ちすぎました。転生魔法を使うのは無理です。しかしリネット。あなたは生まれてさえいません。生まれてないのに死ぬとか間違ってるでしょ。その間違いを正します」


「正しますって……いくらお母さんでも、そんな力……」


 力はない。

 そう言いかけて、気づいた。

 もともと膨大だった魔力が、目を見張るほど膨れ上がっていると。


「私とテオドールの戦いで生じた魔力。その全てを奥義で集めました。これだけあれば、リネットを生み落とすくらい造作もありません」


「待って……待って! そしたら、お母さんは一人になっちゃう……そんなの駄目! 一緒に……」


「本音を言いなさい、リネット。もっと生きたいでしょう? この世界を見たいんでしょう?」


「そうだけど……そんな言いかた、ズルい。死にたくないけど、お母さんも一緒のほうがいいに決まってる……」


「ごめんなさい。本当、私ってワガママですよね。私はあなたを産むことなく、お腹に宿したままアンデッドになりました。なのに今、産み落とすチャンスが巡ってきました。あなたがなんと言おうと私はリネットを現世に送ります。そして……テオドールをよろしくお願いします。彼は私よりも強くなりました。けれど相変わらず暗い顔をしているので、あなたがそばにいてあげてください。テオドールより長生きしてあげてくださいね」


        ※


 自分を支える気力も失ったテオドールだが、その体が地面に落ちることはなかった。

 誰かが支えてくれていた。

 銀色の髪が目の前で揺れていた。その頭がもぞもぞと動き、アイスブルーの瞳が上目遣いで見つめてくる。


「テオドール……あのね……お母さんがね……」


 彼女は震える声でなにか語ろうとする。

 しかしテオドールはそれを聞かず、力一杯抱きしめた。

 今度こそ腕が届いた。


 理屈なんてどうでもいい。

 リネットがここにいる。

 確かにいるのだ。


「リネット……帰ってきてくれて、ありがとう……!」

「うん……ただいま……お父さん……!」


 また涙が止まらなくなる。けど、いくら流してもいい。これは嬉しくて泣いているのだから。

 泣きながら強く抱きしめ合った。

 それから手を繋いで笑いながら町へと歩いた。


 遠くでヘルヴィが手を振っていた。

 テオドールとリネットは手を上げて応える。


 青い花を足下で見つけた。

 ワスレナグサが一輪だけ咲いていた。

 その花言葉は、私を忘れないで。

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師匠殺しのテオドール ~魔力も剣技も武器も二周目人生に引き継いで最強に至る~ 年中麦茶太郎 @mugityatarou

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