第3話


「……なあ」


 放課後。

 部活にも行かずに帰ろうとしている私のことを彼女が呼び止めた。

 正門前。吹く風には確かに秋の気配が感じられる。


「花ってば。どうしたんだよ」

「……なにが?」

「なにが、じゃないだろ」


 夏休みが明けてからのお前、ちょっとおかしいぞ――彼女はそう話す。私の目を見て、はっきりと。大切な存在恋人に支えられているその目は眩しくて、私はそれから目を逸らしてしまう。

 嫌になる。


「部活にも行かないし、ほとんどなにも喋らないし。なあ、何があったんだよ」

「……」


 こうして中途半端な態度をとってしまう自分自身が、嫌になる。

 夏休みのことをなにも気にしていないというなら、彼女のそばでいつも通りに振る舞うべきだ。いつも通りに挨拶をして、いつも通りに話もして、いつも通りに部活に行くべきだ。それが出来ないなら彼女のそばにいるべきじゃない。あからさまに思われてもいいから体調を崩したとでも言って学校を休むべきだ。今までずっと皆勤賞だったのだから、今さら数日休んだところで進級には問題ない。精神的に苦しいのは確かなんだから、それが回復するまで休むべきだ。

 でも私はそのどちらもしない。

 こうして中途半端に学校に来て、中途半端に彼女のそばにいて、わざと心配させるようなことをしている。そうして彼女が恋人じゃなくて私の心配をしていることに嬉しくなったりしているのだ。

 ああ、嫌になる。この中途半端さは、私が自分の立ち位置を見失っている証拠だ。そんなことに彼女を付き合わせてしまっているなんて。


「なあ、あたしじゃ力になれないのか?中学の時はお前に助けられたから、今度はあたしが助けたいんだよ」

「……じゃあ、」


 恋人と別れてさ、私と付き合ってよ――

 とでも言えればいいだろうか。

 恋愛経験が豊富で勇気もある人なら、こういう場合にはどうするんだろう。うまく駆け引きをして彼女の気持ちを奪うのか、それとも潔く諦めるのだろうか。

 私にはわからない。そのどちらもできそうにない。


「じゃあ、私のことは放っておいてくれる?」

「……花」

「……心配かけてごめんね。もうちょっとしたら、大丈夫になるはずだから」


 もうちょっとして蝉の鳴き声も聞こえなくなって、夏の気配も過ぎ去って、もっともっと寒くなるぐらい時間が経ったら、またいつも通りに話せるようになるはずだから。


「だからそれまでは、私のことは気にしないで、放っておいてほしいの」


 私がそう言うと、彼女はほんの一瞬だけ、まるで置いていかれた子供のように寂しそうな表情を見せたあと、わかったよ、と呟いて背を向けた。

 私はそう自分で突き放したくせにもう耐えられなくなって、その背中に向けて呼び掛けた。


「あのさ、ライブ、よかったよ」


 彼女は立ち止まる。


「……来てくれてたのか」

「……うん」

「よかった――」


 あの曲、どうしてもお前に聴いてほしかったから――そう言って彼女はこちらを向いた。

 重くて長めの癖毛を揺らして、私をはっきりと見るその目はどこか野生のオオカミを思わせる。もう誰かのものになってしまった、私の好きなその姿。


「なあ、このまま終わりなんて嫌だからな」

「……」

「絶対絶対、嫌だからな」


 そう言って彼女は行ってしまう。


「……」


 校舎へと戻っていくその背中。

 きっとそのまま部室に向かって、恋人に会いに行くであろうその背中。それをやっぱり引き留められないのは、頭の中に浮かんだままの「失恋」という単語がこの心までちゃんと落ちてこないのは、悲しいはずのこの目から涙の一粒も出て来やしないのは――私はその舞台にも立てていないからだ。

 あのお団子頭の後輩は、私が最初から越えられないと諦めていた「普通じゃない」の壁を越えていった。決して軽々とではなく、勇気を出して乗り越えていった。嫌われたくない、という恐怖もあっただろう。普通な人たち周りの見る目も怖かっただろう。その恐怖は私が一番わかっている。

 しかしあの子はそれに立ち向かった。だからそれに応じて彼女の方もその壁を越えたのだ。そんな風に「普通じゃない」の壁の向こうへ行ったふたりは、そこから見えるふたりだけの景色を見て笑いあった――まるでこの世界を笑うみたいに、くすくすと。


「……」


 私にもできるだろうか。

 できるわけない。女子同士の恋愛なんて、――そんな風に「普通」という壁に怯えているこの心を越えて、あのふたりと一緒の場所まで行って、正々堂々、勝ったり負けたりできるだろうか。ちゃんと失恋して、泣いたりできるだろうか。


「……」


 私一人だけになった正門には、これから寒くなっていきそうな風が吹いている。

 私にそれを越えられる勇気があるかどうかはわからない。だけどきっと、たぶんだけど、この臆病な私の背中を押してくれるものがあるとしたら、それは暖かさではなく寒さだろう、と思う。

 もっともっと、もっともっと寒くなって、その寒さに震える白い息に混じって、


 本当は私も、貴女のことが好きでした――


 そういう風に口を滑らせることができる日がきたらいいと思う。



 

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優しくしないで きつね月 @ywrkywrk

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