第2話
高校に入学して、彼女は念願だった軽音部に入部した。
本当は私も一緒に入りたかったけど、親から運動部にしなさいと言われていたのでできなかったのだ。でも今思えばそれも言い訳になるだろう。
一年生のとき、文化祭のステージでギターを弾きながら歌う彼女の姿を見て、やっぱり格好いいなあと思うと同時に、もしかしてこれはモテちゃうんじゃないだろうか、と複雑に感じたことを覚えている。だけど別に気にしなかった。どうせ私のは叶わぬ想いなのだ。高校に入ったら彼女とはちょっと距離をおこう。どうせならとっとと彼氏でも作ってくれればいい。そうしたら諦められるからと、そんなことを思っていた。
彼女に変化が起き始めたのは二年になってすぐのこと。
今まで遅刻寸前の時間に登校していた彼女が、教室にいるようになったのだ。
話を聞くと、どうやら朝練に出ているらしい。今まで出てなかったのに?と訊くと、後輩の子に誘われたらしい。
「……その後輩って、男の子?」
「いや、女子だよ」
生意気な奴でさ、すぐ抱きついたりしてくんだよな。でもなんか、文化祭の時のあたしの姿を見て入部を決めましたとか言ってくるからさ、仕方ねえなあって――と苦笑いをしながら話す彼女の姿を見て、私は嫌な予感がしていた。
まさか、そんなわけない――そんなわけないよね?
と、そう思ったけど、
「……」
「花?」
「な、なんでもないよ。朝練、頑張ってね」
と私は言った。
だってそう言うしかないじゃないか。その子とどういう関係なの?とか、そういうのじゃないよね?とか、訊けるわけがない。気持ち悪いと思われたりしたら嫌だし、彼女に嫌われてしまうことだけはなんとしても避けたかった。
「……」
それでも、時々思う。
あのときちゃんと踏み込めていれば、彼女の気持ちを確認していれば、不自然に思われてもいいから私の気持ちを少しでも伝えていれば、もっと違った今があったのかもしれない、と。
果たして彼女は、幼馴染みの私を「気持ち悪い」なんて思うような人だったろうか、と。
「……」
夏休みになってからも彼女は部活に精を出しているようだった。陸上部の練習で外周を回りながら、軽音部の練習場所がある教室の方を覗き見て、その後輩の子と一緒にバンドを組むことになったとか、夏休みの終わりごろに大きなライブがあって、その練習のためにスタジオを借りに行ったりもするんだ、という彼女の話を思い出していた。その口調は今まで通りに素っ気なかったけど、それでもなんだか彼女が遠くに行ってしまうような気になって、外周を走るこの足の速度をいくら早めても、その距離は縮まらなかった。
「……」
そして迎えたライブの日。
郊外のライブハウスで開かれたそれは、他校のバンドもたくさん参加しているような規模の大きなライブで、彼女の出番は出演順の中盤の辺りだった。暗い客席、大きな音、ちょっと埃っぽい雰囲気。居心地はあまりよくない。
そんな中で曲のイントロが始まって彼女が歌い始めたとき、私は、あっ、と思った。
聴いたことのある曲だ――
「……」
そうだ、これは中学のときの彼女が作った曲だ。
「実はあたし、曲を作ってたりするんだ」と中学生の時の彼女が私に打ち明けてくれて、それで、彼女の部屋で聴かせてくれた曲だ。あのときとは別のギターで、曲の感じも変わっているけれど間違いない。あのときの曲だ。
「……」
それを聴きながら私は、中学校時代の彼女のことを思い出していた。
将来のことで親と揉めてたりしてたこと、小学生のときよりも口数も少なくなって、周りからは不良みたいに思われていたけど、そんなことはないと私は知っていたこと――そんな記憶を思い出して。そして私は、部屋のベッドの上に腰掛けながらぼそぼそと歌うその姿を見て、なんだか大切な秘密を私だけに打ち明けてくれたような気がして嬉しくなって、それがきっかけで彼女のことを好きになったのだった――ということも思い出した。
「……」
彼女のバンドの出番はその一曲だけだった。
拍手されながらステージを下がっていく彼女を見て、私も客席から出ていった。ライブはまだ続いていたけど、他の人の曲なんて聴きたくはなかった。
ライブハウスの外に出ると、蝉が鳴いていた。郊外のバイパス道路沿いにある四角くて黒い形のライブハウス。その向こうには夕暮れが落ちかけていた。大きな音を聞いていたので耳が遠い。結局一時間くらい中にいただろうか。なんだかここに入る前と後とで別の世界になったようだと思った。蝉の声や車の音がどこか遠くに感じられて、まるで何かが終わってしまったような、景色が変わってしまったような、そんな気がした。
「……」
帰るに帰られず、彼女のことを待とうにも、出演者がいつここを出てくるのかもわからないし、会うことができるのかもわからない(ここに来ていることは彼女には話していない。来てほしい、と誘われてはいたけど、私はそのメッセージに返信することができなかった)。
そんな風にどっち付かずな思いを抱えたまま、錆びた自動販売機の横でぼうっとライブハウスの方を見ていると、何やら人影――夕日の逆光に照らされて本当に黒い影になっている――がふたつ、片方がもう片方の手を引いて出てくるのが見えた。
ふたつの影はバイパス道路の大きな歩道を滑るように走っていって、そのまま細い路地へと曲がっていった。
「……」
私はその手を引かれていた方のシルエットが、なんだか長くて重めの癖毛を揺らしているように見えて、また嫌な予感がして、それを否定するためにあとを追いかけた。
違うよね――?
まさかね――?
「……」
ふたつの人影は路地をしばらく進み、やがてブランコとベンチがあるだけの小さな公園に入っていった。公園に他に人はいなくて、人影はそのベンチに座った。私は公園には入らず、ベンチの裏のフェンス越しにその二人の会話に耳をすませた。フェンスとベンチの間には植え込みがあって、例え二人が振り向いたとしても私の存在に気がつくことはないだろう。
――でも別に、気づかれてもよかった。
「……」
「なあ、急にどうしたんだよ」
「……」
「そろそろなんか言ってくれよ」
「……」
全く、本当に残念なことに、そんな風に話す一方の影の正体は彼女だった。いつもいいなと思って聞いている、女子にしては低めなその声。
もう一方の影に目を向ける。ここからじゃよく見えないけど、そのお団子みたいにまとめた髪には見覚えがあった。たぶん彼女の横でギターを弾いていた女子だろう。
「……なあってば」
「……ああもう」
先輩、もうわかってるんでしょ――お団子の方がそう話す。
私はそれを聞いて、この子が例の後輩だということがわかった。
全く、本当に残念で、こんなことは誰にも到底認められない。
「な、なにがだよ」
彼女が困ったように言うと、お団子は身を乗り出して彼女にキスをした、ように見えた。
「……」
「……こういうことですよ、先輩。好きです。初めて見たときから好きでした。付き合ってほしいです」
「……好きって」
「恋愛対象として好きって意味です。嫌だったらはっきり断ってください。ちゃんと引き下がるんで」
お団子頭の後輩は、そう言いきった。
私は、何を言ってるんだろうと思いながら、それを聞いていた。
「い、嫌じゃないけど……なあ、本当にあたしでいいのか?」
「いつも言ってるじゃないですか。先輩がいいんです。先輩こそ、私じゃダメですか?」
「……ダメなわけない。だけどわかんないんだよ。女子から好きだなんて言われたことないし。お前は怖くないのかよ」
「そんなの、怖いに決まってるじゃないですか。だけどしょうがないじゃないですか。好きになっちゃったんだから。先輩じゃないとダメなんです、他の人じゃ、ダメなんです」
「ち、ちょっと、泣くなよ」
「……ああ、嫌だ。もっと格好よくするつもりだったのに、こんなの」
告白なんて、うまくいかないもんですね――そう言って声を震わせる後輩のことを、彼女が抱きしめている、ように見える。
夕焼けがほとんど落ちかけていて、暗い公園に浮かぶ二人の影はまるで、この世界の明るい光から逃げ隠れているように映った。
「なあ、お前が入部してきたときさ、あたしに憧れてって言ってくれて、嬉しかったんだ。今までやってきたあたしの全部が肯定されたような気がしてさ、本当に嬉しかったんだ」
「……だって先輩、格好よかったですもん。オオカミみたいで」
「オオカミ?」
「知らないんですか?先輩、歌ってるときオオカミみたいなんですよ」
「知らなかったけど……それ、誉めてるのか?」
「いっぱいいっぱい誉めてますよ。格好いいんだもん。それに、朝弱いのに練習に付き合ってくれるのも好きです。そんなときの先輩はまるで寝起きのオオカミみたいで、髪を触りたくなります」
「ああ、だからいつも頭を撫でてくんのか。寝癖を直されてるんだと思ってた」
「ただ触りたいだけでした」
「そっか」
「そうです」
「……」
「……」
「……なあ、あたしさ、実は女子どころか、誰かと付き合ったこともないんだよ」
「……うそ」
「嘘じゃない。中学の時のあたしはちょっと病んでてな、ほとんど話すやつもいなかったし。高校に入ってからは部活ばっかりだったし」
「……」
「だからさ、こんなこと、本当によく分からないんだけどさ」
あたしも好きだよ――そう言って彼女はその後輩にキスを返した、ように見えた。
私は、何をやってるんだろうと思いながらそれを見ていた。
会話だけを聞けば、告白されて、それを受けたっていうだけの、よくある話だ。
だけど、ダメでしょう、許されないでしょう、こんなの――ねえ?
だって、普通の恋愛っていうのは異性同士でやるもので、普通の恋っていうのは男と女のためにあるもので、それなのに彼女とその後輩はどう見ても女同士で、普通じゃないから諦めなくちゃいけないはずなのに。世界はそうなっているはずなのに。
だってそうでしょう。だってそうじゃなかったら、私は。
「……」
彼女と後輩はキスが終わると、互いを見つめあってくすくす笑いあった。そして立ち上がって公園をあとにした。その手は繋いだまま、もちろん私のことなんかには気付きもせず。
そうして取り残された私の耳には、二人の笑い声が残っている。その笑いはどこか楽しげで、まるでこの世界をくすくす笑っているように聞こえた。
「……」
私はそこにずっと立っていた。
夕焼けはとっくに落ちきって、私はいつのまにかついていた外灯の白い明かりに照らされていた。
失恋――という単語が頭の中に浮かんでいだ。
普通じゃない私には、関係ないもののはずだったのに。
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