優しくしないで

きつね月

第1話


 彼女は朝に弱い――はずだった。

 いつも遅刻寸前の時間に登校してくる――はずだった。

 重くて長めの癖毛を揺らして、ただでさえ悪い目付きを寝起きでさらに鋭くしたその姿は、なんとなく野生のオオカミを思わせる。今まではそんな彼女の姿を見るのが毎朝の楽しみだったけど、今はそれを見たくない。来なければいいのにとすら思っている。だけど残念なことに、彼女は今日も学校に来ていた。それもこうして私が登校してくるよりも早い時間に。

 今が高校二年生で、彼女とは小学校のときから一緒にいるけど、こんなことはあり得なかったのだ。


「おはよ」

「……うん」


 彼女のくれたせっかくの挨拶に気のない返事をして、私は隣の席に座る。こんな風に隣の席になれて嬉しかったのも一学期が終わるまでのことだ。

 今の季節は秋。といっても夏休みが明けたばかりだからまだ夏と言えなくはないんだけど、もう夏とは言いたくない。外にはまだ蝉が鳴いていて残暑も厳しいけれど、それでも夜になるとこれからの寒さを予感させるような冷たい風が吹いてきて、私は安心する。もっと寒くなってくれれば、もっと大丈夫になれそうな気がする。寒さは私の味方だ。


「……なあ、はな


 彼女は私の名前を呼ぶ。私はその顔を見ずに、なに?と返す。


「お前、最近何かあったか?」

「何かって?」

「いや、それはわかんないけど……」

「……」


 そんなことを訊いてくる。心配しているようなその声色。

 私は、別に何もないよ、と言って誤魔化した。

 心配なんてされたくない、と思う。でもそう思うならもっとうまく誤魔化せればいいのにと嫌になる。

 もっと自然に、今まで通りに。いつもは素っ気ない彼女が、こうして私の変化に気づいてくれたなら、そしてまさか心配なんてしてくれようものなら、思わず嬉しくなって、笑顔になってしまいそうになるのをこらえながら返事をしていた――今までみたいに。


「……」


 そんなことできるはずがない、と思う。

 できるはずがないじゃないか、と思う。

 だってその心配はもう、私より大切な存在が他にいる人のくれる心配で、私はもう、彼女にとって一番心配な存在にはなり得ないのだから。こうして話していても、彼女のなかには常に別の存在がいる。私より大切な別の人。そんな影を感じながら彼女と自然に話せるわけがない。うまく誤魔化すどころか、相づちを打つので精一杯だ。

 早く席替えの日が来てほしい。なんで夏休みが明けたのに前のままの席なんだ。いやまあこのクラスでは席替えをする日程が決まっていて、それがあと一週間後だって言う話なんだけど。だからいっそその日が来るまで休んでいようかとも思う。だけど席替えの日になって急に登校し始めたら、それはそれであからさま過ぎる気がしてそれもできない。

 嫌になる。なにが嫌って、私はこの、言葉に表すとしたら「失恋」としか表しようがないこの出来事を、全然受け入れられていないっていうことなんだ。

 涙も出ない。

 ああ、嫌になる。本当に。


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