ご近所ですから、当然ご存知ですよね?
邑楽 じゅん
困った隣人
主人が会社に向かい、子供達が学校へと登校する。
その後、毎週月・水・金の可燃ゴミの日にはゴミ捨て場に集まり雑談を始めるご近所の主婦の皆さん。
それがそこでの日常であり、ありふれた風景だった。
僕は昨今のご時世を鑑みて仕事がテレワーク中心となり、アクセスの良い都心のアパートで高額な家賃を払う必要も無くなったから、郊外の年老いた両親の実家に身を寄せることにした。
最初は町内会の一部でも、いい若者の僕が毎日ダボッとした部屋着や、妙にパリッとしたノーネクタイのシャツ姿で実家にいることに訝しそうにしていたが、子供の頃にお世話になった懐かしいご近所の方に出会ったり、たまにはスーツを着て本社に出勤したりするうちに、僕の誤解は解けていった。
無論、誤解とは無職になって親元に転がり込んできた求職中のすねかじりだと思われていたということだが。
そんな誤解と興味本位と怪訝さの向かう先は、今度は別のご近所であって――。
「おはようございます」
僕が両親の代わりにゴミ捨てをしていると、ふくよかな体形でもじゃもじゃパーマでエプロンを着けた、いかにもな主婦が二人いた。
どちらも両親の家のすぐご近所のお母さん達だ。
「あら、ケンちゃん。おはよう。今日も偉いわね」
ゴミ出しくらいでエライもんなのだろうか。
僕ははにかみながら、軽い会釈をする。
「どう? お仕事は?」
「はぁ、ぼちぼちですね」
「立派なものよねぇ。テレワークとかで会社に行かなくてもお仕事しながら、おうちのことも手伝ってくれるんだから、ご両親も安心でしょ?」
そんなものかな?
まぁ同居の息子がいるとわかれば訪問詐欺や電話詐欺も減るだろうし、安心と言えば安心か。
そうやって立ち話をしている僕やおばさん達の近くを、存在を消すようにサッと通り過ぎた男がいる。
ご近所で有名な困った奴だ。
「ほら、あそこのお宅の息子さん。また『巡回』してるわよ」
「いやねぇ。でもあの子が昼間もウロウロしてるからこの辺は空き巣も少ないし、仕方ないわね」
おばさん達は眉をひそめて、小声で会話をする。
そんなおばさん達同様に、こっちに戻ってきた僕も彼を見て溜息をつく。
年は僕よりも二十くらいは上。
しかし仕事はしてないようで、平日でも祝日でもいつも家に居る。
だもんで普段は自動販売機やコインパーキングの精算機の釣銭口を漁っている。
また併設する飲料用ゴミ箱から空き缶を集め、資源ゴミの日には住所不定っぽい人や年金の足しにしているらしき老人達に混ざって、我先にと空き缶を拾う。
さっきもおばさんが言ってた通り、平日も土日も関係なく『巡回』する。
だから町内会でも浮いた爪弾き者でもあるのだが、逆に彼が居るから街の平和が保たれている。確かにこのあたりは空き巣被害も少ない。そりゃそうだ。彼が『巡回』してるんだから。
それに釣銭漁りや空き缶拾い以上の迷惑は働かない。
彼自身が他人の家に入り込むなんてことはしないし、資源ゴミの日まで軒下に保管されたよそのお宅の空き缶を持ち去ることもしない。
だから他の家も『しょうがない』と割り切っていた。
「ケンちゃんは良かったわね。ちゃんとしたお仕事があって」
「まぁそうっすねぇ。僕はあんまり他人に目立つような事もしないから……」
「そうよ、ケンちゃん。警察のお世話もダメだけど、ヘンなことばっかりして有名になるのもダメだからね」
「もちろんですよ、僕はそんなことするつもりは無いですから」
比較される相手があれでよいのだろうか。露骨に僕を褒めだすおばさんに苦笑しながらも、僕はまた会釈をして自宅に戻った。
玄関に入る前に僕は足早に街の中を歩いていく『彼』の後姿を見ていた。
部屋に戻った僕は壁に掛かった時計を見る。
午前八時三十分。
いつも通り彼の最初の『巡回』の時間だ。
僕は会社用のパソコンではなく、私物のパソコンを立ち上げる。
最初はふたつ先の曲がり角にある自動販売機から始まる。
僕と彼の互いの家。そこから一番すぐ近くにある自販機はわざと触らない。
彼は僕がテレワークを始めてこの家に平日も居る事を知ってるからだ。
ある日、僕が仕事の合間にベランダでタバコを吸っていたら、僕と視線がばっちり合って気まずそうにしてからというものの、ご近所の自販機は『巡回』の一番最後、帰宅前にサッと触れる程度にしたようだ。
そこから西に向かう。
そしてコインパーキングの精算機の釣銭口。さらに隣にある自販機の釣銭口。
そして同じ町内会の別のゴミ集積所。
当然、今日は燃えるゴミの日で、資源ゴミは出てないからパス。
いや、週一回の資源ゴミの日は空き缶を拾い集めるためにもっと『巡回』を早くしている。具体的には午前七時四十分くらいだろうか――。
となりの町内会まで足を延ばすと、今度はそこにある雑貨屋の店先の自販機。
コインパーキングも二か所ある。ここは期待値大。
いや、釣銭口に小銭を忘れる人なんてそう居ないのだろう。
むしろゴミ箱に入ったアルミ缶の方が確実な収穫になるから良いんだ。
僕はマウスを二度、クリックする。
すると画面が切り替わる。
こっちのコインパーキングは少し料金が安いからよく混んでるんだ。
駐車台数も多いから釣銭口の期待も高まるよな。
そして、次はタバコの自販機。
今やタバコはタスポが無いと買えない人も多いし、だったらコンビニで用を足す人も多いから、彼は割とスルー。
気が向いた時だけ、二日に一回くらいは釣銭口を覗き込んでいる程度。
さらに、次の自販機に。
おっと、急に立ち止まったぞ。
僕は人差し指でマウスホイールを回す。
パソコンモニターに映った画像はみるみる拡大されていく。
ははぁ。ポケットの小銭を落っことして焦ってたのか。
そんな奴の姿を見ていると、ちょっと笑える。
昔は乱暴に釣銭口に手を突っ込んで漁っていたんだが、最近は彼なりに人目を気にすることがあるのか、カモフラで先に小銭を入れるんだ。まるで「俺はこれからここでジュースを買うつもりなんだ」と言わんばかりに。
それをそのまま釣銭口に落として、取り忘れてある小銭を一緒に回収するという小芝居を混ぜるようになったんだよな。
これで逆に小銭を失ったら収穫どころか大損害だもんな。良かったな。
それから、いつもの曲がり角から徐々に自宅の方へ……。
「曲がらない?」
どういうことだ。
巡回コースを変えたのか?
僕の知らないうちにその先に魅力的な自販機やコインパーキングのゾーンでもできてたのか?
ふざけんな、冗談じゃない。
そっちは僕のカメラがまだ置かれていないんだ。
勝手な事をし始めて、僕の知らないうちにあいつが本物の犯罪行為に手を染めてたらどうする。
僕は慌てて薄着のコートを羽織ると、突っかけるように靴の中にかかとを入れて、玄関横に停めてある自転車にまたがった。
猛スピードで走り抜ける自転車を見ながらお隣の奥さんが苦笑していた。
またケンちゃんの例の正義感が出ちゃったみたいだ。
「なんやかんやであの二人、いっつも一緒に居るわよね?」
あたしの意見を聞いて、お隣さんも笑い出す。
「けっきょく、お互いが気になる者同士ってことなのよ」
「それは他の人から見ても気になるって気づいて欲しいものよねぇ?」
おもむろにほうきがけを止めた奥さんがあたしに声を掛ける。
「良かったらお茶していかない? また先が気になるし」
「そう? じゃあお邪魔しちゃおうかしら?」
あたしはそのままお隣さんのおうちにあがった。
リビングのテーブルの上にはタブレット端末が置かれている。
そう言うお隣さんもなんやかんやで気にしてるじゃないの。
「あたし、お茶を淹れるから好きに観てていいわよ?」
「そしたら遠慮なく失礼するわ」
あたしはお隣さんのタブレットを手に持つ。
そこで二分割された画面に映っているのはケンちゃんちの玄関。そしてゴミ拾いの彼の家の玄関。
しばらくしたら、ケンちゃんがおうちに戻ってきた。
と思ったらすぐに手に新しい監視カメラを持ってまた出てきた。
自転車にまたがると、そのままどっかに向かった。
その間にお隣さんが淹れてくれた紅茶の香りがリビングいっぱいに広がってきた。
システムキッチンから顔を覗かせながら、お隣さんがあたしに話が聞こえるように少しだけ大きな声を出す。
「あたし、例の彼のお父さんに、自販機の話したのよ。あの曲がり角の先に珍しくて安いドリンクを扱ってるものが置かれるようになったって」
「なんだ、あなたが吹き込んだの?」
「そうよ。そしたらあの子もケンちゃんも、あの様子じゃない。可笑しいわよね」
お盆に乗せられたティーカップとお菓子を並べながらお隣さんが笑う。
「こんなおばさんなあたし達の思惑通りに動いてるんだから、まだまだ二人とも若いもんだわね」
「でも、こうやってちゃんと見ておかないと何しだすか分からないものね」
あたしがふっと笑いを漏らすと、カップの中で赤茶けた水面が揺れる。
それから、あたたかな紅茶をゆっくりとすすった。
ご近所ですから、当然ご存知ですよね? 邑楽 じゅん @heinrich1077
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます