屍の花

空き巣薔薇 亮司(あきすばら りょうじ)

鐘巻自斎


 その2本の刀を異世界エラゲレスへ持ち込んだのは戦国時代末期の剣豪鐘巻自斎かねまき じさいである。


——転移前の彼の生活を少し綴る


 彼は弟子である前原弥五郎との果し合いに敗れ、愛刀であった甕割刀かめわりとうまでその折に奪われてしまい、浜辺近くの小さな漁村で静かに余生を暮らしていた。

 が、武の極みへの、そして刀という武器そのものへの執着は例え体が朽ち果てつつある中でも捨てられる物では無い。


 故に、彼の終の住処となる小さな掘立小屋の床下には常に大小二本の刀が仕舞われていた。

 しかし、到底名刀と呼べる代物ではなく、むしろその逆。

 竹光の如きなまくらであった。


 これらは彼がこの漁村へ行き着く旅の途中で商人から買い叩いた数打ち。

 人など到底切れず、大目に見ても鈍器としての活用しか叶わぬ粗品。


 それを鯉口を切り僅かに1,2寸ばかり鞘から引き出し眺める夜があった。

 手入れも碌にされていないため、鈍く、周りの景色、ひいてはシワだらけとなった自分の醜顔を、形容し難き憎念渦巻く己が瞳を写し出す。


——そんな日々が死ぬまで続く


 漠然とその様に考え始めた、ある明朝のこと。その日は早くから浜辺をほっつき歩いていた。


「おっぐっ……」


 重い。

 心の臓が、重い。血管が詰まった様な、握りつぶされた様な、それでいて全身の動脈血が何者かに天空へ引き摺り出された様な苦しみであった。

 その折、耳元で囁く邪なる含み笑いの聞こえた気がしたが、その事実を覚う暇なく、そして、そして……


 彼はこの漁村から、いや、日の本から、いや、ひいては地球、太陽系といったありとあらゆる、この世を表す概念、場所、空間から消え失せたのだ。

 鈍の2本の刀も含めて。


 よって、さして交流もなく彼をただの不気味なジジイと断じていた村民どもはそれを単なる失踪。およそ、ボケてどこへなりとも行ってのたれ死んだのだ。

 その様に噂し、1週間ほどで忘れ去った。


◆◆◆◆


はどこぞ?」


 これまでの彼の人生でまるで見たことのない光景であった。


 地面は剥き出しの砂。

 人の往来が多いのか、硬く、平らに均されている。


 いや、それ以外だ。

 それ以外全てが異様であった。

 まず天だ。

 恐るべきことに太陽が2つある。

 加え、往来を行く人の数々、一様に驚く視線、好奇の視線、不気味な物を見つめる視線でこちらを眺むる青き瞳。

 髪はくすんでおりながら、皆、光の様に金色で、彫りの深さは彼のこれまで見たどの人物より、いや、南蛮人の獣の如き彫りの深さ。


 建造物は木造の物も混ざっていながら、石で建造された背の高い佇まいも混ざる。


「此はどこぞ……」


 阿呆のように再び呟いた。

 それほど彼にとっては埒外の事態であった。が、己が手に握られた2本、大小二本の鈍刀を見て、少しばかり安心を覚えた。


 ただ、そんな彼の少しばかりの平穏はすぐに崩される。


「bls inwg⁉︎」


 訳のわからぬ叫び声。

 ふと、彼が視線を上げれば目の前にやや短めの槍を突き出す男。

 背は高く、いや、この場にいる誰も彼も、鐘巻自斎自身より背が高い。


 鎧、なのだろうか。やわそうな皮を鞣した鎧に鋼鉄の、何ら飾り気のないつんつるてんの被り物。


 そして、このような事態に直面した彼が心に抱いたのは困惑でも恐れでもなく、即ち怒り。


「……わしを……」


 モゴモゴとした呟き。

 人とまともに話すことなど10年来無かったためであろう。

 そして思い出すのは屈辱の日々。


「huh?」


「わしを鐘巻自斎かねまき じさいと知っての狼藉か!!」


 地に響くような、腹に響くような、それでいて剥き出しの刃物で全身を刺すような一声であった。


 いや、殺気か。


 妻と3人の子供を養う、この槍を持った男にしてみれば、不意に顔面に鈍い刃物を突き込まれたような衝撃であり、不意に、時間の引き延ばされたような不覚に陥った。

 脳裏に浮かぶ生まれ落ちてから、家族を養って街の衛兵として働く日々の記憶が蘇り、それ即ち走馬灯と言えた。


 だが、老人はすぐさま刀を抜き、斬りかかることはなく、瞬時に静けさを取り戻し、大刀と脇差を腰帯に差して立ち上がる。


 ほんの数秒の静寂。

 それが怖い。


 そしてしばし、手の震えを抑えにかかるのか、大刀と脇差の柄の間を指先が彷徨い、不意に大刀に指を当て絡みつき。


——その間、意思に当てられた衛兵の男は動けず


 抜き打ち一刀。

 なまくらでサビのやや浮いた大刀の抜刀術は男の首の骨、いくつもの小さな骨が積み重なった構造のその隙間をいとも簡単に捉え、大した手応えなしに刃がそれをなぞった。

 それに伴い皮膚と血管と神経、そのほか諸々生存に必要な構造、管が絶たれ、首とそれより下が泣き別れ。

 放り投げたように首が宙を舞い、断面より噴き出す鮮血。 

 間欠泉のよう。


 広場へ集まった野次馬どもが次々に悲鳴をあげ蜘蛛の子散らし逃げ惑う中、鐘巻自斎は妙な居心地の良さを感じていた。


 脳裏に蘇るは己が弟子の見下し、蔑む目。 

 命を乞い、這いつくばって逃げ惑う自身を追い討ちするでもなく、ただぼうっと立ち……


(斬ってくれる……)


 目の前で槍を突きつけてきた南蛮人と思わしき男のその瞳がかつてのその瞳と重なって見えた。

 それ故に斬り殺した。


「はは……」


 最初は自棄やけっぱちになったように


「はっはっはっは……」


 さして声量があるわけではない。

 しかし、心底楽しそう。

 開き直っている。その様に……


 (目に映る人という人、全て斬り殺してくれる……)


 いや、これ以上言葉を尽くし彼の人間性を語る事に意味は無い。

 ただ、彼は魔道へ修羅へと堕ちていったのだ。


 よって、それより先、彼は見る人いる人逃げる人、全て目につきし者をひたすら斬り殺すこととなった。


 結果から言えば民間人を40名、衛兵を20名、精鋭の騎士を一度に相手取り8名斬り殺したが、その最後は実に呆気ない。


「魔術師様だ。魔術師様がきてくださったぞ!!」


 鐘巻自斎は不思議なことにこの世界の言語がなぜか聞き取れる様になっていたが、それを不思議と思えるほどの正気を彼はもはや持ち合わせていない。

 いや、不思議と言えばただの鈍刀が決して折れず刃こぼれせず、むしろ鋭さを増している事こそ不可解であるが、それももはや埒外の事。ただ、都合が良いとだけ感じている。


 そして、そんな彼の前にほっそりとした体型で、明らかに武器ではない、緻密な模様の施され、不思議に捩じくれ、湾曲したナイフを携えた黒装束の覆面の男が現れたが、当初、それを脅威と判断せず、むしろその周りで護るように控えていた騎士へ向け奔走を開始し、その瞬間のことだ。


——黒装束の男がボソボソと何かを唱え始め、不思議なことに自らの手首を浅く切り付けた。


 ガクッと足が止まる。

 爪先から徐々に冬の氷水に漬けられたかのように徐々に徐々に感覚がなくなってゆき、それは下から這い登ってくる。


 そうして下半身が硬直したように動かなくなったことを自覚した、その瞬間、護衛に控えていた騎士たちが突如、牙を剥き持っていた厚手の剣でいとも容易く厚手の刃物を振り翳し


「ああ……」


 肩口から斜めに切り裂いた。


 恐らくは骨と皮しか残っていない貧相な身体であったのだ。まともな食事など覚えが無い。

 手応え軽く、体が引き裂かれるのを感じていた。


◆◆◆◆


 詰まるところ、なぜ彼が異世界エラゲレスへ来たのか、その影響は?と聞かれれば、それを語るには時間がかかり過ぎるとしか言えない。


 そう、私にはそれしか言えないのだ。

 この混沌を司る神である私には。


 混沌を司る故に私は彼を2本の鈍刀と共に呼び出し、そして死に至らしめた。

 故に、計68名を斬り殺し、最後に使い手の、老剣豪『鐘巻自斎かねまき じさい』の怨念を啜ったこの2本の刀には魔が宿る。

 つまり魔剣。


 宇宙、太陽系第3惑星地球におけるある島国風に言えば『妖刀』と呼ぶべきか。


 これは例えるなら血の一雫だ。

 純粋で穢れなき水を穢しゆくための血の一滴。

 これが後にいかなる厄災を巻き起こすか。

 それは全て先の話。


——あなた達にとっては。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

屍の花 空き巣薔薇 亮司(あきすばら りょうじ) @akisubara_ryoji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ