冷たい硬貨

四葉くらめ

冷たい硬貨

 大晦日に毎年やっている歌番組が、いつもの通り大量のクラッカーの音を響かせながら終わり、次の瞬間にはきらびやかな映像からお寺の荘厳とした風景に切り替わる。

 その落差の激しさがどこかおかしくて、僕はいつもこの瞬間を楽しみにしている。

「さてと、じゃあ準備しますか」

 準備と言っても大したことをするわけではない。しっかり着込んで、あとは財布の中に十円玉が入っているかをしっかりと確認するだけだ。

 普段であればこんな時間――深夜0時付近にわざわざ出かけようなんて思いはしないけど、大晦日である今日だけは特別で、せいぜい30分ほどのお出掛けだというのに、どこか気分は高揚している。

 アパートを出て、少し早足で近所の神社へと向かう。家で少しダラダラしてしまったから、年明けまであまり時間はない。別に年が明ける前に神社に着かないといけないわけではないのだが、毎年神社でSNSに「あけおめ」の投稿をしているため、今年も同じようにしたいだけだ。

 神社はうちのアパートから徒歩で10分弱のところにあって、境内に入ると既にやしろへの列ができている。時間は59分。どうやらギリギリ間に合ったらしい。

「お、そろそろだよ」

「ジャンプしよう、ジャンプ」

「えぇ……? マジでやるの?」

 少し前に並んでいる女の子たちがそんなことを言いながらカウントダウンを始めた。

 僕も急いで「あけましておめでとうございます」という簡素な文を入力し、スマートフォンの時計の表示が変わった瞬間に投稿ボタンを押す。

 タイムラインを更新すれば僕と同じような投稿が大量に出てくる。その中にはきちんと僕の投稿も含まれている。投稿時刻は0時0分4秒。その数字に意味も無く満足して笑みを浮かべる。

 それからガランガランという音と共に列が進み始める。この神社はそんなに人が来るような場所でもないので、列は長くない。これぐらいなら十分も待てば僕の番がやってくるだろう。

 そういえば、去年は一体なにをお願いしたのだったか。そう思いに耽り、去年のお願いを思い出せないことに気付く。おそらく僕のことだから、大して努力もしていない夢について、頑張れますようにとか、そんなことを願ったのだろうと思うのだが、それは覚えているわけではなく、僕が願いそうな願いだというだけだ。

 お賽銭箱が近付いてきて、財布の中から十円玉を出して手に握りしめる。

 こうして、大して覚えてもいないのであれば、お参りにはどれほどの意味があるのだろうか。意味がないと思うのならば、どんな意味を見出すべきなのだろうか。

 好きな小説でもこんなシーンがあった気がする。お賽銭箱じゃなかったけど、噴水か何かに小銭を投げ入れる観光スポットで、財布へのちょっとした痛みが願いを思い出させてくれる――みたいな。

 それならば、僕はいつのまにか十円のお賽銭というものに痛みを感じなくなっていたのかもしれない。なくさないように一生懸命握った硬貨は、しかしお賽銭箱にいれるときは容易に手を開いて手放せる。簡単に手放せるものと引き換えにして願いを思い出すなんてそりゃあ無理な話だろう。

 前から人がいなくなり、僕の番がやってくる。僕は体温で温まった十円玉を財布に戻して、少し躊躇ったあと、一回り大きな硬貨を手に取る。

 賽銭箱ここにコレを入れたからって願いが叶いやすくなるわけじゃない。そう考えたら少しもったいない。

 僕は一度、ぎゅっとその硬貨を握りしめたあと、握った拳を開いた。財布から出したばかりの冷たい硬貨が賽銭箱を落ちていく。その音はどこかいつもと違うように感じられた。


 境内にガランガランと鐘の音が響いた。


   〈了〉


 あとがき:https://kakuyomu.jp/users/kurame_yotsuba/news/16817330651353823904

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