逆境を味わう

大隅 スミヲ

大食いチャレンジ

 昔からよく食べる方だった。

 子どもの頃は給食を必ずおかわりしていたし、大人になってからはテレビ番組の大食い選手権で入賞したこともある。


 最近は、常に空腹感を覚えている。

 一度、医者に診てもらったこともあったが、特に異常はなかった。


 食欲は増すばかりで、食べ放題の店では4チェーン店で出入り禁止となっている。

 もはや指名手配犯のような扱いで、レジの裏に自分の顔写真が貼られているのだ。


『大食いチャレンジしてみませんか?』

 そんな謳い文句の店がオープンしたのは12月の事だった。

 その店の存在を知った私は「チャレンジしわいわけにはいなかない」という妙な使命感に燃えてその店を訪れた。


 店のメニューは和、洋、中華とバラエティに富んでおり、大食いチャレンジではそのメニューがランダムで出てくるとのことだった。

 全部食べたら料金無料。さらに10万円が貰える。そんなおいしい話あるだろうか。

 もし、食べきれなかった場合は……。


 いや、そんなことはあり得ないことだ。残すことなどあり得ないことなのだ。

 でも念のため書いておこう。

 全部食べ切れない場合は、罰金5万円。さらには店の手伝いをしなければならないとのことだった。


 ハイリスク、ハイリターンとは、まさにこのことだ。



「いらっしゃい」

 店を訪れると、店主がニコニコと笑いながら出迎えてくれた。


 この店にも指名手配書はまわっているのか、私が席に着くと店主はテーブルの上に置かれていたメニューを片づけてしまった。


 まさか、チャレンジできないのか。

 私は不安に駆られた。


 しかし、その数秒後に私は勘違いをしていたことに気づく。


「チャレンジするんだろ、お客さん」

 店主は笑顔のまま、言った。


 もちろん。そのために私はこの店を訪れたのだ。

 店主にその旨を伝えると、店主は「腕が鳴るな」といって厨房へと入っていった。


 客は私以外にいなかった。

 ギャラリーがいない状態でチャレンジするというのは初めてのことだったが、ひとりで黙々と食べるというのも悪くない。


 最初に出てきたのは大盛りのチャーハンだった。

 大きなチャーシューがゴロゴロと入っていて、ごはんがパラッパラのチャーハンだ。


 私は大きなスプーンを手に取ると、さっそく食べはじめた。

 ひと口食べて、この店の店主の腕がわかった。


 うまい。かなり、うまい。これは期待できるぞ。

 私は歓喜の声を叫びたかった。しかし、口の中にはチャーハンが詰まっている。


 チャーハンを完食すると、タイミングを計っていたかのようにかき揚げ丼が出てきた。揚げたてのかき揚げ丼には、海老天、いか天などの海鮮ものとにんじん、玉ねぎといった野菜の天ぷらなどが乗っており、甘辛いタレが掛かっていた。

 これもまた、うまかった。うまいとだけいうと、この人は表現力が乏しいのかと思われるかもしれないが、本当にうまいのだ。うまい以外に表現が出来ない。海の宝石箱などといった例えをするグルメレポーターもいるが、そんな比喩などはいらない。うまい。その一言で十分においしさは伝わる。


 かき揚げ丼を食べおえると、次は熱々のハンバーグが出てきた。かなりの大きさで、人間の顔ぐらいはある。

 ハンバーグの上にはチーズが乗せられており、デミグラスソースが掛かっている。熱々だったので、冷ましながら食べたが、途中からは熱さを気にせずにバクバク食べることが出来た。


 まだ腹4分目ぐらいだった。


 ラーメンが出てくる。巨大な洗面器のようなどんぶりに入ったラーメンは味噌ラーメンであり、山盛りのもやしと巨大なチャーシューが印象的だった。



 どのぐらい食べたのだろうか。まだ厨房からは鍋を振る音が聞こえてきている。

 テーブルの上には食べ終わった食器が山積みになっていっている。

 値段にすると、もう5万円分以上は食べているような気もするが、まだ料理は出てくるようだ。


 そういえば、大食いチャレンジで何品出てくるとか制限時間は何分であるといったルール説明を受けていない。

 このチャレンジはいつまで続くのだろうか。


※ ※ ※ ※


 腹がはちきれそうだった。


 まだ、店主は厨房で鍋を振っている。


 店中の器を集めて来たのではないだろうかと思えるぐらいに、私の前には使用済みの食器が積み上げられている。


「まだ、食べれるだろ」

 巨大な餃子を持ってきた店主が笑顔でいう。


 私は逆境を味わっていた。

 本来ならば食事を味合わなければならないというのに。

 親父ギャグだ気にしないでくれ。


 腹が膨れすぎて、ズボンのウエストは限界まで伸びてしまっていた。

 私にとっての不運は、店主が上限なしで料理を作り続けて来るということだろう。


 最初にルールをきちんと確認しておかなかった自分が悪いのだ。

 財布の中には1万円しか入っていなかった。最初から、チャレンジを成功させるつもりだったからだ。料金、5万円が払えないと言ったら、店主はどのような顔をするだろうか。

 いまのところ、店主の笑顔しかみていない。

 あの顔が変わった時のことを想像するだけでも、恐ろしかった。



「もう、無理です。ギブアップ……」

 店主がマグロ一匹を解体して寿司を握ってきたところで、私はギブアップ宣言をした。

 もう動けなかった。


「え、終わりなの?」

 がっかりしたような声で店主がいう。


 厨房から出てきた店主はジュージューと焼けた音がするフライパンを手に持っている。


「まだ行けるでしょ。食べなよ」

 店主の言葉に応えることも出来なかった。喋れば口から食べたものが吹き出しそうだったからだ。


「なあ、食べれるだろ」

 店主はそういって熱々のフライパンをテーブルの上に置く。

 フライパンの熱気が伝わってくる。


「ほら、食べろって」

 どこか店主の声色が変わっているように思えた。


「おい、食えよっ!」


 店主がどのような顔をしているのか、目がかすんで見ることが出来なかった。


 呼吸をするのも苦しかった。


 意識が遠のいてくる。


 

 どこかから鐘の音が聞こえてきた。

 その鐘の音は、大納会で聞く終わりの鐘の音だった。

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