先生、見てる?

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先生、見てる?

「嫌だね! 俺はぜってー人の死ぬ話なんか書かねぇ!」


 我が演劇部の顧問であるは、部室の椅子にふんぞり返ったまま喚き散らすようにそう言って、ふんと鼻息荒くそっぽを向いた。


「先生~、そこをなんとか!」

「一回! 一回だけでいいから! ちょこーっと信念を曲げてもらって!」

「ああもう、うるっせぇな!」


 まとわりつく部員たちを振り払うようにして、先生は説教の構えをとった。


「あのな! 人が死ぬ話ってのはなんだよ! 脚本が下手だろうが芝居が下手だろうが、死ねば簡単に感動してくれんだ。人が死んで何も感じないような奴は人でなしに思えるからな。自分はそうじゃねぇって思いたくて、大半の人間は感動したって思いこむ。中身じゃなくて、泣いてみせる。そこに実力なんか関係あるもんか。だから俺ぁ、人死にや戦争や病気をもってきて『感動作』とか謳うもんが大ッッッ嫌いなんだ!」


 先生の剣幕に部員たちが怯む。けれど私たちだって、何もただのわがままで人が死ぬ話をやりたいなんて、趣味の悪い提案をしているわけではない。


「先生は嫌いでも、審査員と観客は好きなんですよ!」

「前回も、前々回も、その前だって! 大賞をとったのは人が死ぬ話だったじゃないですか!」


 高校の部活である以上、演劇部にも大会というものがある。我が校の演劇部も例にもれず、毎年参加している。しかし、賞をとるのは決まって人が死ぬ脚本を演じた学校だった。この傾向は、おそらく各校が把握している。先生の嫌いな『感動作』を題材に選ぶ学校は多かった。

 高校生のつたない芝居でも、人の死や戦争に向き合って一生懸命に演じている姿は、大人の心を打つのだろう。しかし、芝居をしたことのある者なら誰でも知っている。泣くのは、なのだ。盛大に泣きわめいたり、激しく怒り狂ってみせるのは簡単だ。大きな感情の動きは、わかりやすく観客に示すことができる。それより、笑いや喜びの方がずっと難しい。だからコメディを題材に選ぶところは少ない。よほど上手くやらないと、しらけてしまうとわかっているからだ。

 先生の好きな脚本は、哲学に近い。観客に考えさせたり、希望を与えたりする話だ。私たちは、それが嫌いじゃない。けれど、今回はどうしても賞が欲しかった。


「とにかく、俺は絶対に書かん! どうしてもやりたいならお前らで勝手にやれ!」


 大声で怒鳴って、先生は部室を出ていった。残された部員たちは、気まずそうに顔を合わせる。


「やっぱ怒らせちゃったね」

「先生頑固だもんねぇ」

「でもさぁ……今回で大会、最後なんだよ」


 私たちがどうしても賞をとりたい理由は、そこだった。今演劇部に残っているのは、三年生女子七人。これで全員。後輩はいない。つまり、今回の大会は私たち三年生にとって最後の大会であり、この演劇部にとっても最後の大会になる。


「先生の言うこともわかるんだけどね。なんで日本人って、感動っていうとまず『泣く』前提なんだろうね」

「ああー、たしかに。大きく感情が動く、ってことならめちゃくちゃ笑った、とかでもいいはずなのにね」

「わかりやすいもんね。日本中が泣いた、とかって言っとけば」

「メディアはわかりやすいの好きじゃん。だから感動ドキュメンタリーには子どもか動物出しておくんでしょ」

「でもわかりやすさって大事じゃん。だから審査員に媚びとけって話してんだし」


 本題に戻ったところで、みんなで難しい顔をして黙りこんだ。


「審査員は変わらないんだからさぁ……こっちが対策するしか、ないんだよね」

「でもさぁ、最後の大会なのに、今までずっと脚本書いてくれた先生無視したくないじゃん」

「他の学校、だいたい既存の脚本だもんね。部員数に合わせてオリジナル脚本書いてくれるなんて、なかなかないよ」


 先生の心遣いはわかっている。それでも、それがしない限り、賞はとれないのだ。


「……用意、するだけ、してみようよ」




***




「…………」


 部室にて。部員たちが用意した脚本を見て、先生はむっつりと黙りこんだ。私たちは先生の前に並んで、びくびくしながら反応を窺っている。


「お前ら、これ、やりたいのか」

「は、はい!」


 まず怒声が飛んでくると思ったが、意外にも落ちついた様子の先生に、部長が勢いよく答えた。


「なら、一回やってみろ」


 言われて、私たちは普段稽古場所にしている広い教室へ移動した。全員脚本に目は通してあるし、なんとなくの配役もしてある。台詞の暗記まではできていなかったが、全員分コピーして、半立ち(片手に台本を持ったまま、動きまでやる稽古)で披露して見せた。

 舞台は現代日本。高校生の女の子が、ある日突然不治の病にかかっていることが判明し、余命僅かと告げられてしまう。それを知ったクラスメイトが、彼女のやりたいことをみんなで協力して全部やろう、と提案して、彼女の余生を楽しいものにするために奮闘する。彼女はクラスメイトたちのおかげで、笑顔で人生の幕を閉じる。

 よくある感動物語だ。でも、大人受けしそうな要素も、審査員が好きな要素も、十分に満たしている。加えて舞台が現代日本だから時代考証をしなくていいし、舞台セットの準備も比較的楽だ。衣装も制服をそのまま使える。時間は貴重だ。部員は七人しかいない。道具の準備にどれだけ時間を割くかは重要な課題だった。そのあたりも踏まえて、なかなか悪くないチョイスをしたと思っている。


 どうだ、という顔で部員たちが先生を見る。先生は、大して面白くもなさそうな顔で、こちらを見ていた。


「お前ら、楽しかったか」

「……え?」

「やってて楽しかったか、って聞いてんだよ」


 予想外の問いかけに、私たちはとまどった。顔を見合わせて、おずおずと答える。


「え、っと。病気の話なので、楽しいとかは」

「そういうことじゃねぇ。手ごたえはあったのか?」

「手ごたえ……」

「これで何が伝えたかったんだ。何か伝わったと、思えたのか?」


 私たちは黙った。ただ、審査員に受ける脚本だと思ったから選んだ。でも、この脚本なら、きっと観客の何割かは泣いてくれるだろう。客が泣けば、いい芝居だった、ということになる。


「泣かせようとする芝居ほどしらけるもんはねぇな」


 どきりとした。私たちは、たしかに、観客を泣かせようとしていた。しかし、泣くのは心が動いた結果であって、泣かせること自体が目的になってはいけない。


白浜しらはまぁ」

「はい!」

「お前、病気の少女役だったな。最後、本当に満足だったか? 笑って死ねたか?」

「その、クラスメイトたちが、私のために頑張ってくれたので。満足だったと、思います」

「そうかぁ。俺だったら、死にたくねぇけどなぁ。たかだか十七年かそこらの人生で、満足だったなんて、嘘でも言いたくねぇな」


 病気の少女を演じた白浜さんは、うろたえたように口を開閉させた。


「クラスメイト全員が仲いいクラスなんて、存在しないだろ。こいつら、本気で全員が心から協力してたのかね。同調圧力でやらされてた奴、ひとりもいないと思うか? そんないかにもな優しさを見せつけられて、たった十七の女の子が笑って嬉しいって言わなきゃいけないの、残酷だと思うね。なんで人を感動させるために、綺麗に死ななきゃならないんだろうな。俺だったら、最後の『ありがとう』は皮肉を込めて言うね。たった十七年で終わる人生が、悔しくて悔しくて仕方ねぇよ。それを簡単に哀れんで施した気になってるクラスメイトなんか、憎くて呪ってやりたいね。世界を呪って、最後まであがいてもがいて、見苦しく死んでいくよ」


 白浜さんは俯いてしまった。私たちの誰も反論できなかった。

 だって概略にそう書いてあった。彼女は満足して死んだんだって。だから最後の『ありがとう』は、文字通り感謝の言葉だと思った。


「で。お前らは、これが、できると思ったわけだ。自分たちの実力で、十分に内容を理解して、観客をさせられると、思ったんだな?」


 念を押すような先生の言葉に、部員全員がうなだれた。もう無理だ。このままでもいい線はいくと思うが、演じる私たちが納得して作り上げることができない。今となっては、難病の人に対して冒涜的だとさえ思う。


「すみませんでした」


 部長が頭を下げた。それにならって、私たちも頭を下げる。


「考えが、足りませんでした。やっぱり、先生に脚本を書いてほしいです」

「俺の書いた話なんかやりたくないんだろ。賞がとれないから」


 ぐっと部長が言葉に詰まる。先生は、単に拗ねているのではない。私たちは先生を、傷つけたのだ。


「確かに、賞は欲しかったです。この演劇部の、最後の大会だから。結果を残して去りたかった。でも、芝居は……賞のためにやるものでは、ありませんでした」


 高校生だから。部活だから。賞のために頑張るのは、間違いではない。

 でも芝居は、賞なんて形にこだわるためにやるものじゃない。見ている人に、何かを伝えたいから。今の私たちに、病気や死についてなんて、語る技術はまだないのだ。


 先生は頭をがしがしとかいて、わざとらしく溜息を吐いた。


「絶対に文句言うなよ」

「ありがとうございます!」


 許されたことを悟った私たちは、ほっとして揃ってお礼を言った。




***




 結局、大会で私たちは何の賞もとれなかった。

 先生の書いた話は、やっぱり哲学的だった。今の環境に嫌気がさした女の子が、もっといい場所があるはずだと家出する。あっちこっちの世界を覗いてみるのだけれど、結局どこの世界も自分には相応しくないと思う。自分のために用意された世界なんてないということに気づいて、彼女は元の世界で努力することを選ぶ。自らの手で、自分に相応しい場所を作り出すために。

 観客の反応は、よくわからなかった。賞がとれなかったということは、審査員にも受けなかったのだろう。でも、先生は満足げにしていた。私たちには、それで十分だった。




 十年後。私たちは、当時の演劇部のメンバーで集まり、わいわい喋りながら山道を歩いていた。


「ねーもうアラサーだよ! やばい! 私職場でおつぼねって呼ばれだしたんだけど!」

「わかる。このくらいからなんか仕事のステージ変わるよね。焦る~寿退社したい~」

「無理無理。旦那の稼ぎだけで生活したいなら玉の輿狙わないと」

「出たー、唯一の既婚者からの金言いただきました!」

「いいじゃん仕事が恋人で! みんなバリバリ仕事してんだし! 特に、は我が演劇部の自慢でしょ」

「ちょっと、その呼び方やめてよ」


 私は居心地の悪さを感じて抗議した。それは先生の呼び方だ。


「まさかそっちいくとはねー」

「うーん……なんか、私には、演じるより書く方が合ってたかなって」

「ドラマの脚本とかやってるんでしょ? すごいよねぇ」

「でも、ちょっとモメたってSNSで見たぞ~」

「えっなになに、スキャンダル!?」

「ってほどじゃ、ないよ。ちょっと、書いてって依頼されちゃって」

「あー……」


 心得たように、みんなが苦笑した。


「相変わらず、死ネタは書かないんだ?」

「まぁね。だって最後ヒロイン死なせて、ってさ。薄幸系の女優に、それが際立つあてがきして欲しかったみたいなんだけど。物語の必要性から死ぬんじゃなくて、まず死がありきって、なんか変じゃん」

「先生の妙なこだわり受け継いじゃったね~」

「いいの。今はこれが私のポリシーなんだから」


 人の死を、絶対に書かないと決めているわけじゃない。でも、安っぽい感動のために利用するような形は嫌だ。

 必要性があって。伝えたいことがあって。私が十分に納得した上でなら、いつかきっとそんな話も書くだろう。けどそれは、だから死なせるんじゃない。ただ物語の中に、人の死が存在するだけ。

 いつか私にも、そんな話が書けるでしょう。


「あ、ついたよ!」


 目的地に辿りついて、私たちは笑顔で花束を供えた。


「久しぶり、先生!」

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