最終話
「ま、的?」
「目標があった方が射やすいと思う。途中で消えるんだから、問題ないだろ?」
「そうだけど」
(私って、的にするくらいの存在価値しかないんだ)
私は悲しみにくれながら、松坂君と距離を取った。廊下側の窓を背にして、真っ直ぐに立つ。
「ええと。じゃあ、どうぞ」
私の言葉を合図に、松坂君は矢の軸に紙を巻きつけて、弓を引いた。実際に矢の先を向けられると、消えると分かっていても怖い。
(大丈夫。東先輩だって、元気に走り回ってたし)
自分に言い聞かせても、やっぱり1本目は目を閉じてしまった。カツンという音がして、目を開ける。
2本目は、矢が飛んでくる様子を、薄目を開けて見てしまった。黒板に向かって射た時とは比べ物にならないくらい、真っ直ぐに矢が飛んでくる。的があると射やすいというのは、本当みたいだ。
矢は、教室の中間くらいの位置で、透明の壁に吸い込まれるようにして消えてしまった。
3本目も、薄目を開けて見ていた。やっぱり教室の半分くらいの位置で、矢は透明の壁に吸い込まれていった。
4本目からは、目をしっかりと開いて、矢の行方を見届けることができるようになった。矢は、細かな光の粒の波紋を作りながら消えていく。その波紋が、美しいとさえ思ってしまった。
それに、真っ直ぐにこっちを見て弓を構える松坂君は、かっこよかった。
「次は、俺のだ」
(光の波紋が綺麗で、忘れてた)
松坂君は大事そうに紙を軸に巻きつけて、矢をつがえる。
(この矢が放たれたら、私の恋も終わっちゃうのかな。いや、もう終わってるのか。的扱いだし)
大事そうに扱われる紙が、うらやましかった。顔中が、引きつって痛いくらいだ。
涙が零れそうになるけれど、松坂君の真剣な眼差しから目が離せなかった。
矢が、放たれる。すぐに、教室の半分の位置まで来る。
透明な壁に、矢は吸い込まれなかった。
「え?」
目を丸くするのと、胸に矢が刺さるのは、ほぼ同時だった。刺さったといっても、感覚は無い。視認しただけだ。
矢は、私の中に入るようにして消えた。遠くで、カツンという音が鳴った。
足の力が抜けて、その場に崩れ落ちる。
「涌井っ」
慌てた様子の松坂君が、駆け寄ってくる。座り込んでしまった私の両肩を、力強い手が支えた。
「ごめん、やり過ぎた。大丈夫か?」
「だい、じょうぶ、です。ちょっと、力が抜けちゃって」
「そっか。無事なら良いんだけど」
松坂君は、ほっと息を吐くと、私の顔を覗き込んだ。
「で、何か変わった?」
「何かって? 特に、何も」
矢が刺さった辺りを両手で押さえて、数秒。急に、顔が熱くなった。
(松坂君の矢が、私に刺さった、ということは)
ようやく、重大な事実を理解できた。まともに松坂君の顔が見れなくて、うつむいてしまう。
「あの、その、ドキドキしてる、けど。ま、前からっていうか。か、変わってないような」
「知ってる。鉛筆を持つ腕がかっこよくて、背中から腰にかけてのラインが綺麗なんだろ?」
つい、顔を上げてしまった。
「き、聞こえて」
「あれだけ横尾が、でかい声で言ってれば」
(バカ美雲ーっ)
私は、心の中で叫んだ。
「勝手に諦めてるみたいだったから、確実に分かってくれる方法を考えたんだ」
「それが、的?」
「やり過ぎたみたいだけど。分かってくれた?」
首を傾げる松坂君がかわいすぎて、私は両手で顔を覆った。
「わかりました」
それから、『恋が叶う箱』は処分して、一緒に下校したはずだけれど。残念ながら、何を話したのか覚えていない。
◇◇◇
翌週の金曜日の朝、松坂君と話していると、美雲が泣きついてきた。
「なんだかよく分からないけど、今朝、急に振られたー」
「それ、効果が切れたんじゃない?」
松坂君の言葉に、私は首を傾げる。
「効果が切れた?」
「説明書、最後まで読まなかった? 最長でも、14日しか持たないらしいよ。人の心を操ることは、神様でも難しいってことじゃないかな。まあ、涌井の思いは本物だから、14日経っても心変わりすることは無いと思うけど」
「松坂のくせに、ムカつくーっ。あんたなんかに、瀬名はもったいないわ。今すぐ別れろっ」
(それは、ものすごく困る)
美雲は松坂君に怒ることに専念して、泣くことを忘れてしまっているけれど。
(なんか、かわいそうなことしちゃったな。神様でも縁結びは難しいんだもん。私なんかが叶えられるはずもなかったんだ)
私は、弓矢を元の場所に隠しておくことにした。
◇◇◇
「あれ? それ、持ってきたの?」
新築の家にはまだ物が少なくて、問う声も特別に響く気がする。私は、ふふっと笑うと、頷いた。
「クローゼットの奥に、隠しておくの。いつか、私達の子供が見つけて、恋愛の神様をやってくれたら良いなって思ったんだ」
「子供って。気が早いな」
葵君は、はにかむようにして笑った。
キューピッドの弓矢 朝羽岬 @toratoraneko
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