第5話

 翌日の放課後。私は、ため息を吐きながら『恋が叶う箱』を持ち上げた。吉岡さんのものも入っているのかと思うと、気が重い。


(でも、私は恋愛の神様なんだから)


 気合を入れて、美術室の戸を開けて、閉めた。


(今、会いたくない人がいたような?)


 もう1度、そうっと戸を開けてみる。窓際に、松坂君がいる。

 しかも、目が合ってしまった。「涌井」と呼ばれてしまったら、もう戸を開けて入るしかない。


「ちょうど良かった。聞きたいことがあってさ。とりあえず、箱、置いたら?」


「あ、うん」


 私は戸を閉めると、松坂君の近くに寄って、机の上に箱を置いた。


「それで、聞きたいことって?」


「これなんだけど」


 松坂君が背中に隠し持っていたものを見て、私は目を見開いた。


「そ、それは。なんで、それ」


「昨日、奥の物を取ろうとして、落としちゃったんだ。中の物が壊れてないか確認しようと思って、開けたんだけど」


 松坂君の手には、キューピッドの弓矢があった。


「説明書も読んだけど、涌井が叶えてたんだな」


「そう、です」


「どうやって?」


(どうって。説明書、読んだんじゃないの?)


 私は疑問に思いながらも、『恋が叶う箱』の蓋を開けた。机の上で箱をひっくり返すと、紙の山ができる。今日は、20枚以上あるかもしれない。


「えっと。まず、箱から紙を取り出して。時間順に並べて」


 紙の山を見下ろした私の目は、端に流れた1枚に釘付けになった。相合傘の右側に、吉岡さんの名前が書いてある。左側には当然、『松坂葵』。時間は、他の紙が邪魔をして見えない。


「涌井はさ。好きな奴、いないの? 同じ奴を好きな子が現れたら、どうするつもりだったんだ?」


「今、それを痛感しています」


 みんなの恋を叶えたら、みんなが幸せになれる。そう信じていた。

 昨日の部活のあの瞬間まで、こうなるとは思ってもみなかったのだ。可能性は、充分にあったのに。


「叶えるの?」


「叶えたくは、ない、かもです」


(恋愛の神様が言うことじゃないけど)


 実際に、吉岡さんの紙を目の当たりにしてしまったら。さっきの気合なんて、どこかへ行ってしまった。

 不意に、松坂君が「あれ?」と言って、私の目を釘付けにしている紙を奪ってしまう。


「昨日、はっきりと断ったんだけどな」


 ばっと、私は松坂君を見上げた。


「断ったの? 部活中、いっつも一緒にいるのに?」


「一緒って。一方的に、傍にいるだけだよ。昨日は、さすがに見かねて、はっきりと断ったんだ。俺、他に好きな奴いるし」


「あ、いるんだ。好きな子」


 正面きって言われると、胸が痛くなる。できれば聞きたくはないけれど、松坂君は容赦なく頷いて、紙を指差した。


「今日の昼休み、俺も書いてみたんだ。田崎のもあるよ」


「ほんとだ」


 紙の山の真ん中辺りに、『坂葵』と『時45分』という文字が見える。お昼休みに書いたのだから、時間は12時45分だろう。相手の名前は、隠れてしまって見えない。

 松坂君の紙の上には、田崎君のものもあった。一緒に書いたのだろう。時間は、12時45分。相手の最後の文字は、『央』だ。


(まさか、真央だったりして)


「あとは、説明書の通りで大丈夫? 順番に紙を矢の軸に巻いて、射るだけで良い?」


 松坂君の問いに、こくりと頷いた。


「そっか。じゃあ、とりあえず1枚目は、これかな」


 松坂君は紙を雑に並べると、1枚を選んで、矢の軸に巻きつけた。


「射るから、ちょっと離れてて」


 私は言われた通り、松坂君から距離を置いた。小さな弓なのに、弓を引く松坂君の首筋から腕までのラインが、すごく綺麗だ。

 見惚れている内に、矢は放たれた。矢の勢いはなく、直滑降にほど近い放物線を描く。床に触れる寸前で、矢は消えた。一呼吸おいて、カツンという音が美術室の中に響く。


「え?」


 私は呆然と、松坂君の顔を見た。「なに?」と問う松坂君は、少し不貞腐れたような顔している。


「いや、なんか、あまりにも」


 へたくそで、とは言えなかった。それでも察したようで、更に

顔をむすっとさせる。


「的が無いからダメなんだ。涌井。悪いけど、的になってくれ」

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