第9話 偶然の必然
「で、一緒に行くことにしてあげたわけだ」
一通りを話し終えた私に、いつも通りにカクテルを差し出しながら、微笑む海里さん。
「でも、私が行ったら、宮間が私の方ばかりに来るんですよ〜。それだと進展しないかなぁなんて」
べチョリと机に突っ伏しながら言うと、海里さんは声を押し殺して笑った。
宮間の心を軽くするため。そう銘打っていても、
原因の浮気相手がどうにかならない限り、宮間は、軽くなった心をまた重くしてしまうだろう。
それじゃあ意味がないのだ。
宮間が今の状況から抜け出せなければ。この泥沼は永遠に続いていく。
この旅行で、少しでも宮間の中の友井が占める部分が増えてさえくれれば。
あわよくば、宮間の心が友井に移って仕舞えば。簡単ではなくとも、幸せに足を洗える。
わざわざ慣れていない赤い唇を持っていなければ、愛想を尽かすかもしれない男よりも、
どんな場所でも、どんな時でも宮間を思ってくれる男の方が幸せなのだと気付いてくれれば。
机の上に落ちた水滴を指で潰す。そんな無駄な動きを繰り返した。
「じゃあ、誰か同僚とでも一緒に行ったら?そしたら、そっちと話すって言う口実出来るじゃん」
同僚と言われると由梨だ。でも由梨は新婚さん。
ただでさえ、一緒に過ごす時間が少ないのにそれを旅行に割らせていいのだろうか。
あと一緒に行ってくれそうなのは、由梨の元カレで同じ会社の男ぐらいしかいない。
彼とはそこそこに馬が合うから、楽ではあると思うが。確か由梨と別れてからはフリーだった気がする。
旦那もそんなことを気にするほど愛されていないし、彼がちょうどいいはずだ。
しかも多分、宮間が人見知りして私に近づいてこないだろう。うん、適任だ。
百面相を終えて、まだ冷たいカクテルを飲んだ。
「お、その顔は結論出た感じ?」
「同僚に1人適任がいました」
スッキリとした私は突然空腹を思い出し、お気に入りの魚料理を思いつく限り頼んだ。
はいはい、と言いながら包丁を捌く横で、他愛のない話を繰り返す。
酒も進んできた頃に、カランコロンと言う音とともにドアが開いたらしく、
海里さんは人懐っこい笑顔でいらっしゃい、と告げていた。
魚の骨と格闘している私は、
常連さんらしいスーツを着た男性の後ろ姿に、若いバイトくんが声をかけているのをぼんやりと見た。
見たことのない後ろ姿だ。いつもと違う曜日に顔を出したからか、馴染みの顔が見えない。
そんなもんかとまた、カクテルを流し込むと海里さんが呆れたように笑った。
カクテルって浴びるように、飲むものじゃないからね。と。
酔いも気持ち良く回ってきて、そろそろお暇しようかと、
立ちあがろうとした瞬間肩をポンポンと叩かれた。
後ろを振り向くと楽しそうに笑う若いバイトくんが、私の顔を覗き込みながら、
見覚えのある黄色のパッケージを差し出した。
「あちらのイケメンお客様からです」
いらない情報を付け加えながら、言うバイトくんに申し訳程度に微笑んで、礼を言う。
同じ飴の人だ。そういえばこの前の礼も言えていない。と、フラリと立ち上がった。
バイトくんが指を指したのは、先程店に入店してきた男性。
高そうなスーツで、ピンと背筋が張っている。
その方へとおぼつかない足で辿り着く、肩を小さく叩いた。
「あの…飴、ありがとうございます」
爽やかな香りのするスーツが私の方を振り返る。
そのオレンジ色の瞳とかちあった瞬間に私の顔が驚きに歪んだ。
「…町岡!?」
「やっぱり大舞だったんだ、ビンゴ」
彼は相変わらず無邪気に笑って、隣の席の椅子をひいた。
彼に席を勧められた私は、その隣に腰掛ける。あまりの驚きにまだ頭の中の整理がついていなかった。
ついこの間まで、いや、未だに私の心を乱す様な爆弾を落としていった男が目の前にいるのだ。
私が驚いている間に、カウンターを横に滑って海里さんが、楽しそうに肘をついた。
「何、智樹、ナンパ?」
やはり彼はこの店の常連らしく、海里さんが私に話しかけるように笑う。
彼も彼で、違います。と笑い返す。
綺麗な顔の2人が微笑み合うのは、なんとも居心地の悪い空間だった。
知り合いです。という彼に私はようやく頭が追いついてくる。
「え?なんで、え?いつから知ってたの?私だって」
あまりの驚きに若い頃のような勢いで、彼の顔の前に自分のそれを、寄せる。
ヒューという尻上がりの口笛とともに、海里さんが悪ガキ顔で大胆だねーと揶揄った。
それにハッとした私は、椅子に深く座り込むとヘタクソに笑う。
彼は今度は社交辞令のような笑いを浮かべてから、この前飴をあげた時に、店で初めて会った。という。
店で見たの、2回目だよ。と。
まさか、こんなにも近くにいたなんて偶然だ。あまりの驚きに表情を取り繕うのも忘れていた。
「で?2人、どういう関係よ?」
関係。元同級生と言ったところか?心底興味深そうに尋ねる海里さんに、白い目を向けて答えを探す。
すると隣で、サッパリした声が聞こえた。
「元カノ」
「え…」「えー!?何、じゃあ智樹、昔ドクズだったの!?」
私の驚きに被せられた、海里さんの声に、慌てて取り繕う言葉を探した。
にも関わらず、町岡はコロコロ楽しそうに笑い、そうだな〜めっちゃ、クズだった!という。
私は二重の驚きだった。でもそうである、もう10年以上も前の恋の話だ。笑い話である。
私は何を気にしていたというのか、少し馬鹿らしい投げやりな気分になった。
「ちなみに明海ちゃん、智樹は何人目なの?」
「…1人目」
投げやり気分に加えて、居心地の悪い私は、汗のかいたカクテルを無理やり押し込んだ。
ついこの間も話題に上がっていたのが、彼なのだ。
海里さんはデリカシー概念が弱いから、何を滑らせるやら、たまったもんじゃない。
「じゃあ、智樹、不良だったんだぁ?よく、今みたいないい仕事につけたね」
デリカシーもってこいっ!と叫びたくなるのを抑えながら、必死に目で海里さんに訴える。
しかし、やっぱり町岡は、コロコロ笑う。
「卒業できたのは、大舞のおかげなんすよ〜。ほんとすごい勉強教えてくれて」
「たかが一年じゃん」
褒められて体温の上がる体に、海里さんは心底愉快そうに笑うと、私の前に新しいカクテルを置く。
頭の裏に彼に勉強を教えていた、若い頃の私と、それを見守っていた青すぎる空を思い出した。
俺邪魔だね〜と言いながら、お好きに昔話でも〜と、
去っていく海里さんに縋りたい気持ちになりながら、話題を探す。
「大舞、そんな嫌そうな顔しないでよ。俺、昔みたいにクズじゃないと思うし」
そんな言葉を楽しそうにいう彼に、呆れたような微笑みと、甘酸っぱい気持ちを少し思い出した。
口の中には、大人しか知らない苦い味がしている。
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