第4話 ちょろい女

翌日。久々に母の味の濃い味噌汁を食べながら、妹の頼みを聞いていた。

妹の自室に入り、妹が苦手な文系科目を教えていく。

妹は気を遣って早く終わらせようとしていたが、どっちみちやることはないし。と諌めた。

私なんかより、よっぽど頭がいいんだが。人が良すぎるのは、少し良くない。

世間に出れば、図太いぐらいが丁度いいのだ。

カリカリと妹がシャーペンを鳴らしている横で、ノートパソコンを開いて仕事をする。

あともう少しで終わるコンプがある。もう、大詰めも済んで仕上げだけだが。

仕事をしている時が一番落ち着く。

昨日の夜から喉奥に引っかかっているような、酒に混じっても言えなかった本音。

妹が今朝から私の顔色をやたらと伺っているのも、昨日の出来事があるからだろう。

「絢香」

問題集越しに私の顔を見る妹の名前を呼ぶと、ビクリと肩を震わしてこちらを見る。

「私気にしてないよ。絢香が気にするようなことじゃない」

パタンと閉じたパソコンの音が2人の間に響く。

妹は暫く言いにくそうにしたあと、口を小さく動かした。

「お姉ちゃん。全然幸せそうじゃない」

「え?」

口からこぼれ落ちた音を見ていると、妹は真っ直ぐに私を見た。

「お姉ちゃん。昨日も結婚生活の話したがらなかった。私もう、子供じゃないよ。話してよ」

ポキンと力を込めすぎたのか、シャーペンの先が折れる音がする。

私は乾いた笑いを浮かべて、妹の心配に応えることはできないと悟った。

妹の頭を撫でる。

「んー。まだまだ子供だねぇ。なんでも知りたがるのは、子供よ」

「はぐらかさないでよ」

妹が頬を膨らませて拗ねた。そんな妹を安心させるように、私はもう一度クシャリと頭を撫ぜる。

そんな私を見て諦めたらしい妹は、カチカチとシャーペンを鳴らした。


東京に比べて早くやって来ている秋。学生時代に使っていたマフラーに顔を埋めた。

母はまともな防寒着を持って来ていない私に呆れながら、

どこからかこのマフラーを出してきて、持たせてくれたのだ。

母に感謝しながら、駅前まで歩き、目的の居酒屋へとたどり着く。

緊張と寒さからか、少しばかり自分の体が小さくなっている。

2階からは、賑やかな声が、聞こえてきていた。

少し急な階段を上がると、若い頃によく感じた熱気が顔に当たる。

見覚えのある顔を探すと、奥の方に好を中心に、固まっているのが見えた。

「やっほ」

言っても一二ヶ月ぶりの友人たちに挨拶を交わすと、好が嬉しそうに笑った。

「みんなー!10年ぶりの明海だよー」

もう酒が入っているのか、テンションが上がりまくっている好の声に、

少し歳をとった、見覚えのある友人たちが寄ってきた。

「明海ー久しぶり」

「パスタじゃん。マジで久々すぎね?」

先ほどまで少し緊張していた私だったが、

懐かしい友人たちのどこか変わらない本質のおかげで、昔のように笑って話せた。

「明海。何飲む?」

「取り敢えず生!」


「え?明海結婚したの?」

「うん、だいぶ前に」

友人たちにレアキャラだと囲まれ、懐かしい会話から今のことまで話していた。

そこで、結婚の話になる。まぁ、結婚しないとやばい年頃だし、当たり前か。

「え?あのクズ男ホイホイが!?結婚できる男見つけたの!?」

残念ながら、私がクズ男ホイホイ(本当は今も)なことは、誰も忘れてはくれず、変わらず呼ばれる。

「すごいよねぇ。1人目が不良で、2人目は5股の嘘つきで、3人目は浮気症」

今の旦那はそれをフルコンボした挙句に、それにギャンブル依存が付きます…。とは言えず曖昧に笑う。

酒を無駄に流し込んでいると、気付けばだんだん人が減って来ていた。

幹事の人が、一次会の終わりを告げると同時に、好たちが立ち上がる。

「二次会行く人ー!!」

私は小さく手を挙げて、緩い酒を一気に流し込んだ。


二次会も始まり、日を跨ぐほどになって来ていた。

盛り上がる熱気に酔って来て、酔い覚ましにと部屋の外へ出る。

取り敢えずと醜い欲望の匂いがする夜風に当たっていた。

学生時代に戻ったかのように、分け目も触れず騒ぎ通す。

酒が入るようになったからか、盛り上がりは昔よりもあるかもしれない。

こういうのも悪くない。と久々に思えた。

熱気に煽られることもなく、唐突に酔いが回って来た。気持ちが悪い。

水でも買ってこようかと思った瞬間、目の前に求めていたものが現れた。

「どうぞ」

と言われて取り敢えず受け取る。差し出した腕の主を見ると見覚えのない爽やかな男だった。

「久しぶり。大舞」

私の旧姓を呼ぶ。学生時代の知り合いだろうか。でも、こんな人見覚えない。

真顔で突っ立っていると彼が、見覚えのある笑い方をした。

無邪気な笑い方。突然に幼くなる笑い方。すると、表現しがたいような気持ちに襲われた。

懐かしいような、寂しいような。でも、どこか嬉しいような。そんな、子供じみた感情。

「…町岡…?」

探るように尋ねると彼は少し驚いたような顔をして、一発目で当てられたの初めてだ。と言った。

忘れられるはずのない男。でもあまりにも変わり果ててしまっている。

彼は私の最初の彼氏だった。付き合いだしたのは、高校1年生の冬。別れたのはその一年後。

クラスで1番の不良だった彼と、何本かの指に入る優等生だった私。

まるで少女漫画でも始まりそうな組み合わせだったが、残念ながら幸せは雪に消えていった。

告白して来たのも彼で、振ってきたのも彼だった。でも、確かに私は彼が好きで。

よく見れば日本人離れしたオレンジ色っぽい瞳は昔のままだ。

真っ赤だった髪の毛は、綺麗な黒髪に変わっており、無数に空いていたピアスの穴は一つしかないけど。

昔は大胆に開けていた胸元も、今はぴっちりと着込まれ、さながら爽やかな営業マンって感じだ。

よく見ると服装も高いブランドのスーツで、センスがいい。仕事帰りなのだろうか。

「…あ、お水」

彼が私の目の前でカチリとペットボトルの蓋を開けて飲みだしたのを見て、手元に収まっているものを見る。

彼はああ、と言うとあげるよ。奢られて。と学生時代には信じられないような言葉を吐いた。

私もそれを断るほど子供でもなくて、ありがとうと呟いてカチリと蓋を開ける。

コクリと飲むと、もう自分の酔いが覚めていたことにようやく気がついた。

その隣で彼はペットボトルの蓋を閉めて、蛍光色ばかりが瞬く街を背に、私の方を振り返る。

サラリとした髪の毛に、甘酸っぱいような記憶が引っ張り出された。

サラサラの髪が私はお気に入りで、彼が嫌がるのをよそに、よくあの髪の毛で遊んでいた。

ブリーチしても痛まない彼の髪を羨みながら。

くすぐったい思い出、今思えばそんな恋は、レモンティーみたいものだった、多分。

最初は甘くて美味しいのに、時間が経って終わる頃にはレモンの苦さばっかりが目につく。

「元気にしてた?」

彼は優しく私に問いかけると、また無邪気に笑って見せた。私もぎこちないながら笑う。

「うん…。町岡。見た目が全然変わってて気付かなかった」

ペットボトルを凹むほど握りしめる。自分がガラにもなく、緊張しているのがわかった。

同窓会から逃げ続けていたのも、どこか引っかかったままに終えてしまった彼との恋があったから。

その引っ掛かりが心臓を引っ掻く。

だよなーと笑う彼は、青春の残穢を残している。欲望ばかりに塗れた夜の街で彼だけが。

「大舞は、変わってねぇな」

そう言われて苦笑いを浮かべる。そんなの嘘だろう。若い頃に比べてだんだん老けて来た。

彼と付き合っていた頃のまっすぐな恋をしていた私はいないのだ。

「いや、そんなことなかったわ」

私の不服そうな顔を見てか、彼は子供じみた声で楽しそうに、ペットボトルを投げる。

無意識に飛び上がったペットボトルを追いかける。ストンと彼の腕に落ちた。

「昔より、断然綺麗になった」

私に向かって彼はそう言った。その瞬間、私の胸には懐かしい鼓動が蘇ってくる。

自分の顔が熱くなっているのが、嫌でもわかった。

彼のオレンジ色の瞳を見ながら固まっていると、友人の声が聞こえてくる。

その瞬間私は、自分の顔が怖くなって部屋へと逃げた。


彼の言葉が頭から離れず、足元が浮いたような感情のまま好に連れられて、気づけば青い時期を過ごした、高校の前だった。

リフレインする彼の言葉、思い出す度に私の胸は、うるさいくらいで。顔も熱かった。

いやいやいやいや、ちょろすぎでしょ。私。

でも、高校を見ているともっと、彼の言葉がリフレインする。

青春の匂いが残ったままのマフラーが熱く感じてきた。

秋の寒いなかで、私は真夏のように熱く。そして、甘くて甘くて堪らない恋を思い出す。

でも、きっとそれはこの高校の前にいる時だけ。

東京の街へと戻ったら、きっと忘れてしまう恋だから。ちょろい女だろうが何だろうが。

今はこの恋を少しだけ、思い出してあげたいと思ってしまったんだった。

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