第13話 電話は誰から

夕飯を食べ終わり、飲みなおすという男性陣について私たちもお茶を買いに行った。

温泉の時から心がどこかへ行ってしまっている宮間に余計なことを

言ってしまったかもしれないと反省する。

私の思いの捌け口に宮間を利用してしまった、そんな罪悪感が心の中を占めていた。

宮間の顔を眺めながら歩いていると、私の手元に収まっていたスマホが揺れる。

こちらを見てくる三人に断りを入れて、離れつつ、かけてきた名前を確認した。

そこには珍しい人の名前がある。

「町岡」とぶっきらぼうに書かれた画面に息が漏れた。

この名前から電話がかかってくるなんて。

あの十七になる前の冬にもう、二度とないと思っていたのに。

若い頃のように彼の電話を取る私がいるのだから、本当に人生はわからない。

間違いだったと後悔していた彼との恋を。楽しかったと笑えるまで大人になったのだ。

子供っぽい感情ばかりを持て余していた今、彼からの電話は救いのように思えた。

耳に当てると彼の優しげな声が聞こえてくる。

「ねぇ今どこにいるの?今日、来ないの?」

拗ねた子供のような声。高校時代は聞くことのなかった声だ。

ふっと笑うと彼は少し声を張り上げた。

「何笑ってんの?俺は来ないから心配で電話したんだけど」

「今日は旅行だって言ったじゃん。行かないよ」

なだめるように言うと向こうで聞いてないし!と言い返してくる彼の声が聞こえる。

「え?言ってたよ?」

なんて内容のない話なんだろう。なんてくだらない話なんだろう。

わざわざ旅行先で。わざわざ、電話なんか通して話すようなことじゃないのに。

こんなにもこの時間が楽しくて、馬鹿みたいに笑っている。

向こうで笑う彼と、海里さんの声。二人の声しか聞こえない静かな中庭。

楽しい。と小さく声を漏らすと、旅行が?と返される。

それに曖昧に返事をすると、彼はちゃんと休んで、

またバーで話そうよと言ってくれる。

海里さんも向こうで、男ばかりじゃつまらないんだと笑っている。

ああいけない、子供みたいだ。寂しいなんて。離れていつもわかるんだ。

自分の大切なもの。自分でも気づいていた、真っ直ぐな始まってもない

二人の恋を見るたびに恐ろしいぐらいにきしむ、自分の恋心。

自分は旦那を愛している。悔しいぐらいにわかってしまうこの気持ち。

逃げ出したいんだ。きっと真っ直ぐすぎる二人を見れば見るほど、寂しくなる。

あのバーに行ってごまかしたくなってしまう。

浮気されているからなんだ。それで嫌いになれるんだったらこんなにも苦労しない。

心のどこかで期待していた、何も紙も置かずに家を出てきた。心配ぐらいして、

連絡ぐらいよこしてくれるんじゃないか。そんなかわいい私は今泣きそうらしい。

こみあげてくる何かが、目尻にたまっていく。ああ、お酒を飲みすぎた。いけない。

大人になりなよ私と思う。いつまでもいつまでも、あの男に恋するだけで。

生きていけるような人生じゃないことを理解しなよと。立派な大人でしょうと。

ああ、痛い。苦しい。ねぇ、今あなた何してる?

私が家にいなくても気づかないあなた。嫌いになれない私が悪いのかな。

でもいいかげん言ってくれればいいじゃない、他の女が好きだったって。

そしたらさ、ちゃんと離れてあげるんだよ。あなたからいなくなってあげるんだよ。

なのに、帰る場所にあなたがいるのが悪いんじゃない。

黙り込んだ私に二人が声をかけてくれる、私はその優しさがもう、怖くて。

ぷつりと電話を切った。


折り返しが鳴り続けるスマホを片手に意味もなく空を眺める。

のどが張り付くように乾いていた。

自販機へ向かおうと立ち上がると、首元に衝撃が走る。

「つめたっ!」

後ろを振り向くと、悪ガキみたいに笑う中路の姿があった。恨めしくて、

多分ひどすぎる顔をさらしているのが悔しくて、俯いて彼から缶ビールを奪う。

彼は何も私の顔には触れずに、無理やり私をベンチに座らせた。

私は抵抗するような元気もなく素直に礼を言って、

ぷしゅりと鳴った缶ビールを口に運んだ。その姿をじっと見た中路は安心したように自身のビールも開ける、ぷはっという声とともにお前さ?と声が飛んでくる。

「なに」

「うっわ、ひでぇ声。かわいそーなアラサーだな、おい」

そんなことを言いながらも、決して私の顔を見ようとはしない無駄に優しいこの男。

本当一体、私とこいつのどこが似ているというのか、脳内で笑う由梨に問いかけた。

自分から不幸を選んで、優しすぎて、生きずらそうなこいつと同じなんて

まっぴらごめんだ。

「あんたはさ、由梨みてて苦しくなることないわけ?宮間たちみてて」

口から滑り落ちた言葉に彼は、一瞬息をのんだようだった。

ごめん。正気に戻ったとたんに口からまた出てくる反射的な言葉の前に彼は答える。

「いやあるだろ、ずっと好きだった女が、自分捨てて結婚してるわけだし」

当たり前じゃね?と笑う彼は、見たことないほど大人びた顔をしていた。

そうだ。当たり前だ。こいつが全力で恋をしていた姿を私は一番近くで見ていた。

「でもさぁ、あいつの笑顔見てるとどうでもよくなんだよなー。

 あいつが探してた王子様とかいうやつに出会えちゃったならさ、

 代理だった俺はいらねーの」

悔しいし、納得なんてしてやんねーけどな?と笑う、彼に醜い私はどんどん涙が引っ込んで、自分の感情が整理されていくのが分かった。

「あいつがさ、俺がもういいや、って思えちゃうぐらい幸せそうだからさ。

 旦那が外れ男だったら今すぐにでもかっさらう気満々だけど」

やべ、あいつには言うな。ぼそぼそという彼に、なぜかどこかから笑いがこみ上げる。

「そうねー私もあの人が幸せそうだったら、諦められるのかもしれないよね」

無理だろうけど。私は残念ながら自己犠牲なんてできるほど立派な人間じゃない。

どんなに足掻いても彼が好きなままかもしれない。

でも、彼みたいに矛盾した感情を言葉にしていったら、

恋している自分から逃げていた私をやめれば、何かが見えてくるかもしれないから。

「中路、黙って私の愚痴を聞きなさい。…私の旦那は白昼堂々浮気をしております」

初めて自分の外に出した言葉。次々に出てくる事実と、矛盾と、思いも全部。

彼は何も言わない。全てを言い終わったとき、

顔面はびしょびしょで言葉もへたくそで、いい年して何をしているのかと思った。

でも彼は私の横に座って黙っている。

「正直わけわかんねぇけど。由梨曰さ、俺達って似てるらしいじゃん?

 お前が不幸ムーブ醸し出してるとさ、俺までなんか似た感じになるわけ」

凹むほど握りしめた缶ビールの空を受け取って彼は、眩しいほどの笑顔を見せる。

「悔しいから、さっさと幸せになりやがれ馬鹿野郎」

彼が握っていたはずの缶ビールの空は私以上に凹んでいて、彼の手が私の頭をなでる。

こいつに似ているなんて、自分からこんなに苦しみに行くなんて、

やっぱりこいつに似ているなんて、まっぴらごめんだと思った。

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